焼き物

2011年2月28日 (月)

おもてなし

 この週末はオヨバレ週末、土曜日は先日のエントリーに書きましたとおり、ホテルニューオータニ鳥取でのイタリアンディナー、そして日曜日の午前中、結婚祝いのために、年上の友人が、私たち夫婦二人をご自宅に招き、お茶会を開いて頂いたのでした。

 その年上の友人とココでは気安く書いておりますが、大手広告代理店の鳥取支社の責任者の方で、元々商業デザインの現場でお仕事をされていた方、絵心をお持ちで、それゆえ自分なりの審美眼もお持ちです。そして何より焼き物のコレクター。また最近は、広告代理店なのか蕎麦屋なのか?と言う位に蕎麦打ちに熱中されている方なのです。

 そのお方が「是非、家に来て。結婚祝いのお蕎麦茶懐石をやろう」とのお話になったのです。

 ご自宅に伺うと、先ずほうじ茶で一服、その時にあつらえてあったお菓子が器といいお菓子といいすばらしくイイッ!!なセンスなのです。

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 幼児の書いたような(ちゃんとした作家さんの物ですよ)可愛らしい絵付けの白磁の器に、金平糖、一口大に割った和三盆、そしてゼリービーンズ。見て下さいなんともカワイイお茶菓子ではないですか。
 これは20代のおねぇちゃんの見立てではないのです、還暦を越えたオジサンの見立てですよ。素晴らしいですよね。コレで相方はすっかり上機嫌。

 ゼリービーンズをつまみ、ほうじ茶を啜って暖機運転終了、これから隣の部屋へ向かいます。すると、その部屋の長机の上にはおびただしい数の桐箱が出番を待っております。

 桐箱を開け、ウコン染めの黄袋を解きますと、出て来る出て来る、お宝の山です。30年を超えるコレクター道の結果が其処に現れたのです。

 黒楽、備前、志野、織部、白磁、青瓷、萩・・・

 一つ一つの由来、作家、作陶方法、高台のつくり、器の個性、そんなこんなをお話して頂きます。この方はとても話し上手な方。美術の講義のようなそれではなく、笑いの尽きない楽しいお話でリズムを載せての器の説明に、こっちからも調子に乗って質問君、するとまたそれに返答と、あっちゅー間に時間が過ぎていきます。

 そして、お茶会の始まり始まり。

 今度はスタンダードに、実に春らしい練りきりの生菓子を用意されていました。

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 お菓子を頂きながら抹茶を点てて頂き、作法にしばられる事なく、笑いの絶えない楽しい会話の中でのお茶席です。そこに存在するマナーと言えば「客は亭主に恥をかかさず、亭主もまた客に恥をかかさせない」その信頼関係があるのみです。

 さて、そんなこんなで楽しい時間はあっという間に過ぎていくものでお昼近くなりました、すると自らが手打ちされたお蕎麦が登場です。

 見て下さい。この艶かしいほどに艶のあるこの半透明な蕎麦面を。そばつゆも、返しを寝かして全て自家製。

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 これに、ご自宅の裏の畑で栽培された辛味大根のとっても辛~い大根おろしを添えて、おろし蕎麦として頂きました。

 蕎麦打ちをされ始めてまだ一年経つか経たないかなんですよ。実は私、蕎麦打ち第一回目の蕎麦も頂いているのですが、あの時はそりゃーもうね・・・今では笑い話として語られる内容だったのです。それから何度蕎麦を打たれたのか。今やお金を取れる内容の蕎麦に仕上がっています。

 最後にもう一服ずつ抹茶を点てていただき、それを頂くと、会は終了となりました。

 我々の結婚の祝いに、手作りの暖かいもてなしを受け、ありがたさ一杯で日曜日の午前を過ごしたのです。

 あと20年歳を取ってから・・・私はこんな風に生きているのでしょうか・・・

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2008年6月 8日 (日)

喫茶の至福

 先週の事です。

 レース仲間のO.C MAKOTOさんから、「ちょと尾道に行く用事があったんで、ドライブがてらクニちゃんとお茶をしに、ギムネマンさんのところの新しいお店に行ってきたんよぉ~(ちょっち広島弁)」との報告がありました。

 何ですと!新しいお店とな!よくよく聞いてみれば、日本茶専門のCafeを開店されたとの事です。私の耳に入った以上、行かなくてはなりますまい。

 思い立ったら直ぐ行動ってことで、岡山在住のhey君にも「土曜日の午後空いてるぅ~」と軽く召集し、昨日ミッションスタート。

 で、やってきました尾道、片道170km弱、やはり坂が凄いです。時間があれば、「小津安二郎“東京物語”一人ツアー、あの場面が今こんな事になっております!」企画がやりたかったのですが、昨日は開店祝いを持って、半日で行って来いの強行軍、この企画は又の機会と言う事で。

 さてさて、それでも到着予定時刻よりも30分早く付いてしまったのですが、hey君も同じ時刻に尾道到着、タイミングよく携帯に連絡が入り、二人仲良く目的のお店に向かいます。

 茶寮UZI

 UZIって言ってもイスラエル製のマシンガンちゃいます。宇治のUZIです。そこんとこヨロシク!このBlogの読者の中で何人か、こんなボケをしそうな気配がしますので、今のうちにしっかりボケ潰しです。

 ここでギムネマンさん登場、お店の中に促され、祝いをお渡しして、席に着きます。

 オーダーはお任せです。

 私の前には、白磁の煎茶道具一式が、hey君の前には細かな貫入(釉薬の層に入った細かなヒビの事)が、茶器の表面に満遍なく入った薄紫陽花色の景色がかった萩焼の道具、この煎茶急須を観察すると、注ぎ口の周りの貫入に、この一週間の営業で程よく渋が入り、茶器としての貫禄と風情を持ち始めています、そして、それぞれに摘んで持つと丁度良い大きさ(小ささ)の煎茶茶碗が2つ、どうやら違うお茶を二人でそれぞれ喫めるようにとの計らいのようです。

 先ずはhey君の前の新茶:後光の一煎目です。さわやかです。新茶の味です。そして甘いです。

 「美味しいね」なんて言っていると、ギムネマンさんの目が企んだがの如く輝いております。「次はこれを喫んで下さい」と私の前の玉露を薦められました。

 これを口にして我々二人は言葉を失いました。

 反則です。先ほどのお茶がかすむほどの濃厚なうま味、舌の奥から唾液が「じわわわ~」と出て脳がしびれるこの感じ、これはアミノ酸由来の甘みです。本場のエスプレッソよりもまだ少ない量でのサーヴなのですが、量的にはそれで十分、あまりの濃厚な甘みにノックアウトです。

 そして二煎目、一煎目の角が取れて、尚更まろやかで雑味が無くなり「こっくり」とした甘み、私はこの雑味の消えた二煎目が大好きです。二煎目を喫みながら、茶器の選択に「なるほど」と、私なりの結論がたのです。

 先ほどの煎茶が貫入の入った萩の茶器を使われているのに対して、この玉露だけが長石釉のヌルリとした肌の白磁の茶器を使われています。煎茶に用いられていた貫入入りの茶器は風情があるのですが、そのヒビに染み込んだ茶渋によって、入れているお茶の馨が移ってしまいます。(それ故、入れるお茶の種類をゴジャ混ぜは絶対NG)毎回同じ玉露を入れると言えども、僅かな馨が茶器に移るのを嫌ってのお店側の処置なのでしょう。

 ギムネマンさん、私の推理どうでしょう。

 三煎目まで頂き、その開ききった茶葉をお皿に移し、ポン酢を掛けて頂く様に薦められます。お茶の葉の御浸しです。新茶特有の葉の柔らかさ、言い方が悪いんですが出がらしとは言え、まだまだ十分に美味しくいただけます。

 そして、ギムネマンさんが京都修行時代の折に考案された、抹茶パフェが運ばれてきました。もちろん修行時代から幾年月、その年月分しっかり進化、いやお互いイタリア車乗りですので「エボルツォーネ」しておるそうです。(なんのこっちゃ)

 これも、抹茶の馨が素晴らしく、洋風の生クリームやバニラアイスクリームの脂肪分ガッツリ系のへヴィーなイメージに負けていない清々とした仕上がり。これって女の子凄い喜びそうな・・・それを三十路と四十路のオヤジ二人が食すの図。

 か・わ・い・い?(あ~どうしたもんか)

 オヤジ二人パフェを食す図はチョイキモですが、物の本質、味は最高です。私の言っている事が嘘かどうか、このお近くの人は是非、食べに行って確認してください。(私はこのパフェ、グルマンな番長ドリーさんのキビシイ感想が是非、聞いてみたかとです)

 最後に、尾道名物杜仲茶でいれたコーヒーで〆させて頂きました。

 ギムネマンさん、お世辞じゃなくて本当に美味しかったです。特に玉露はこのエントリーを書いている今でも、奥歯の奥から無いはずの甘みが「じわぁ~」と味の記憶として復活してきます。相当、脳に衝撃が走ったようです。(こういった状況を鑑み、冗談ではなく生化学的に確実)次は玉露だけを喫みにこっそり行かして頂きます。

 勿論その時は一人“東京物語”ツアー結構です。

 私たちのお相手をしてくださった、お母様にもよろしくお伝えくださいませ。

 とまあ、このように昨日頂いた玉露のような濃厚な土曜の午後を過させてもらえた訳なのです。

 あ~なんちゅうお茶だ、今だ興奮して眠れない。

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2007年7月28日 (土)

神の使いか、さもなくば自然の警告か!謎の生物(UMA)は廃棄物処理場に実在した!!

 (注)本日のエントリーには読み方があります、できることなら、頭の中で田中信夫さん(テレビチャンピオンナレーションの声の人)の声に変換して読んで頂きたい。勿論、脳内i-podからは映画“U-ボート”の音楽をBGMとして流していただいくともっと良いです。

 それでは行ってみよう。

 「神の使いか、さもなくば自然の警告か!謎の生物(UMA)は廃棄物処理場に実在した!! 」バーンッ!!!

 我々探検隊は、今、とある廃棄物処理場に来ている。原住民の噂によれば、ココに神の使いと呼ばれている、謎の生物が生息していると耳にしていたからだ。

 それは遺伝子の突然変異によるものなのか、それとも言い伝え通り「神の使い」なのか、それを確かめるべくこの辺境の地に赴いたのである。

F1000123F1000122 この穏やかな田園地帯に、その謎の生物は生息するのかっ!!

 地元の人に聞いてみた。

 「・・・・しら~ん」

 やはり、謎の生物のようである。我々探検隊は、されなる情報を求め、目撃記録に残っていた廃棄物処理場へと足を進めた。そこには何が待っているのかっ!!!バッバッーン!!

 そこには金属くずの山、アイアン・ジャイアントが今ココに居れば大喜びしそうなくらいの量である。

 この瓦礫の山を住処として、通りかかる生き物を贄としてその生物は生きているかっ?!

 我々も足音を立てないように慎重に歩き進める。雖井蛙流の足捌きだ。ちなみに「ポイントマンは君だ、バックアップは僕だ」なんて言わせないで欲しい。これはサバゲーではないのだ。ちなみにクレイモアの敷設もしなくて良いのだ。←あたりまえ。

 開始から5時間、日も落ち始め、ココに居る時間も残り少なくなったその時、隊員の一人が素っ頓狂な声を上げた。「ぬふぅ!!!」←これもちがいます。

 「なんだっ!これ!!!!?」

 猛ダッシュで集まる隊員達。

 そこで我々が見たものは!!!

F1000120 見よっ!その生き物は、この瓦礫の国の大帝の如く、朽ちかけたドラム缶を、まるで我が玉座としてそこに座していた。。

 その皮膚のは、まるでヌルリとした白磁の焼き物と思わせる、その姿形、しかしそれは磁器の作り物なんかでは無く、確かに生きていた。観察すると、呼吸で喉を細かく震わせながら、時折目を閉じるのだ。

 確かに、この排気物処理場に謎の生物は実在した。

 しかし、この生物が一体どのように、そして何のため生まれ来たのか、21世紀に生きる現代人の我々の科学力をもってしても、解明は不可能なのであった!! 

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2005年9月12日 (月)

気持ち悪い~

 習慣とは恐ろしいものである・・・・。

 この週末は土日とジムが休みの週末で、なおかつ天気が晴れたり降ったりと不安定・・・自転車やジョギングもできません。 2日間の休息日となったのですが、休息日どころか、なんか気持ち悪いと言うか、体調が悪い。

 マラソン選手がインタビューかなんかで「走らない日があるとなんか体調が悪くって・・・」なんて言うのを聞くにつれ、「んな、あほな~」なんてテレビ画面に突っ込みを入れていましたが、今の自分はちゃいます。「そう、その通り!」と激しく膝を叩いております。

 まあトレーニングをできないのをいいことに、金~土曜日にかけてプラモ三昧、睡眠時間3時間というのも原因の一つかもしれません。

 あと模型作りながら、喫む大量の煎茶・・・急須とヤカンが私の模型製作には欠かせません。そういや今日の体臭、ちょっとお茶くさい・・・。

tea-set   かくいう今も、清水六兵衛作、松の描かれた煎茶茶碗で一杯やっております。

 とにかく雨の日でもできるトレーニングを考えなくては・・・(ローラー台かな?)

 あっ、それと甥っ子のプレゼントにつける手紙を書かなくては・・・。5歳児にも解ってちょっと毒があって、くすっと笑えるやつをね。

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2005年7月 7日 (木)

The God Father

 私の伯父の処に仕事で伺う用事がありました。

 朝一でご自宅を訪問し、仕事の方はサクサクっと終わり、抹茶をご馳走になっている時、「僕もだいぶ歳を取ってしまい、今まで大切にしていたコレクションを、生きてまだ頭がシャンとしているうちに、物の良し悪しの判る人間に形見分けしたい。」という申し出があったのです。

 私が『物の良し悪しが判る人間』かとどうかは本人には良くわかりませんが、そう言われた事はちょっと評価されたようで嬉しく思いました。

 この伯父はかつて百貨店の外商部長をやっていたこともあり、彼こそ『本当に物の良し悪しが判る人間』であり、その伯父が心を砕いて集めていたのが、焼き物、特に小品のぐい呑みのコレクションです。

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 コレクションの中より二つ選びなさいとのこと、一つ目にまず選んだのは、谷口良三作の『柿天目』のぐい呑みです。見た目は熟した柿の実の緋色をしていますが、日光にかざすと赤紫色の色が出、まるで熱帯の甲虫の羽の色のようにギラリと輝きます。飲み口の部分が波型に強弱が付けてあり、優雅な立ち姿をしています。前に見せてもらった時に「良いですね。」と言ったのを憶えてくれていたようで、桐の箱の蓋のところに「法くん」と書かれた付箋を貼っておいてくれていました。伯父も先ずこれを、と思ってくれていたのでしょう。

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 二つ目は、まるで雪をかぶったような半透明の青みががった白い釉薬がぽってりと掛かった美しい志野焼きと、耀変の掛かった天目との間をさんざ悩んだ挙句、鈴木健司作『油滴天目』を選びました。釉薬の正面に浮かぶ油を垂らしたような耀変の輝きが見えますでしょうか?

 かつて伯父の家に遊びに行った時には、先代の六代・清水六兵衛先生と懇意だった話、そして、なぜぐい呑みが好きか話をしてくれました。「小さいものを作る方が技術的に難しいのだよ。生地の薄さ、釉薬のかけ具合、高台の削り具合、全てがぎりぎりの緊張された処に小品の美しさがある。」と、好きなぐい呑みを手に、愛しむようにそれを見ながら、そう私に教えてくれたものです。「無理をして出来る範囲なら良い物を選べ、だが皆が言う『良い物』、値段が高いから『良い物』というのに騙されないで。なぜそれが良いかという事、その「なぜ?」の気持ちが無いと駄目だよ。一生勉強です、自分の中にちゃんとした基準を作りなさい。」

 伯父といっても母の姉の旦那なので、血が繋がっているわけでは無いのですが、この伯父とはなぜか馬が合い、よく話をし、いろんなことを教えてもらえたのです。

 幼少の折より、普通の人には考えられないような苦労をし、兵隊として戦争を経験し、戦後は百貨店の外商部長として鎬を削り、退職後はボランティアとして点字翻訳の活動。人に対して物事をズバッと言ってしまう処がありましたが裏表の無い性格の現われであって悪意は無く、私にとっては映画“ゴッド・ファーザー”の「Don Vito Corleone」のような存在の人物です。

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 かつて模型の展示会で掌に乗るほどの大きさの、イタレリ1/72シャーマン戦車を作ったことがありましたが、それはこの伯父の「小さな物の中にこそ、本当の緊張した美しさがある。」の一言が製作動機といっても過言ではありません。

 いとおしみながら集めたコレクションを渡す時、伯父はどういった思いでそれを私に託したのでしょうか?本当に私でよいのですか?まだ人間として私のレベルが物に負けていませんか?

 そんなこんなを考えると、貰った側としては身の引き締まる思いです。

 だって人間はいつか死んで塵芥となる定めですが、大切に扱えばこういった物はずっと残る物ですよね。「もののあはれ」とか言って、簡単に壊してしまうようなことがあってはオーナー失格です。

 こういう物のオーナーたるは、手に入れた物をどうにでも好きにしていいって訳では無く、ただ次のオーナーに手渡すまで一緒にいる時間を許された存在ってだけの事です。だから次のオーナーのために心を砕いて現状を必死で維持する。それがオーナーとなりうるべき義務と責任だと私は思うのですが、皆様はそう思いませんか?

 少なくともこの伯父にそう習いました。ただし、仕舞い込んでおくだけではなく、ちゃんと盃として使用するのが前提の話しですよ。

 ありがとう・・・伯父さん。本当に大切にします。

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