仲間としてのお父さん
久しぶりにBlogに帰ってきました。皆さまご無沙汰です。
ただ今私、一生懸命お父さんやってます。
長男も5歳となり、幼稚園の年長ともなりますと、園という小さな世界であっても、人にしっかり揉まれている様子で、人として結構突っ込んだコミュニケーションをとるのに何の障害もなくなってきました。と、いうことで私の映画レーティングまるで無視な家庭内座学のおかげか、ヲタク的にも中々の資質を身に着け、ただ頭でっかちばかりではいけないと思い、フィジカルな教えも実践中。鬼ごっこ、ストライダー、小さなマウンテンバイク、QR50、つまり、自分の足、ペダル無し自転車、ペダル有り変速機付自転車、そして原動機付二輪レーサーと、移動のための身体器官の拡張実践教育を使える練習場所に応じて同時並行で行なっています。
さて、自転車についてです。うちの場合、いきなり補助輪無しです。でも普段からストライダー乗ってます。いけると思ってました。ダメでした。
私の両親は「いきなりなんて可哀想だ」と言い、私は私で「そもそも二輪はエンジンがついていようといなかろうとハンドルで曲がるのでなくて、タイヤのラウンド形状にそって・・・(以下略)」と理屈で返す、幸か不幸か、こんな二輪中二病をこじらせた父親を持ったのが運のツキなんです。
5月の半ばから日が長くなってきました。会社から帰ると、夕食前に乗り物教室を始めたのでした。
自転車教室の初日、乗り初めで、初速が稼げずジャイロ効果が効く前にバランスを崩してこけてました。幼児なのでもちろんいじけます。「痛いからもういやだ」とかつぶやいています。
ここでヲタク座学が効きます。「ストライダーですごい下り坂とかをピューってできるのに、出来ない訳無いじゃない。できないのは怖くって『エイッ』って力いっぱいペダルを踏み込めてないからだよ、最初にスピードが乗ればもう大丈夫」
「でもコケると怖いもん」
「そうだね、でも乗れない原因は恐怖に取り憑かれたその心だよ。ヨーダはルークになんて言ってた?息を大きく吸って落ち着いてもう一度やってみない」
その時の長男の服装は、ユニクロで買ったSWシリーズ。胸にはヨーダのイラストと彼の金言“Do or do not. There is no try”とプリントとされています。
いじけたまま、5分弱何やら考え中、「日も暮れてきたし、今日はここまでかな」と思い始めたころ、自分でペダルの上死点を出し始めました。
ちょっと切れ気味に「おとーさんっ、もうちょっと頑張るからちょっと支えてて」と上死点出しを手伝うと、上死点から10度ほど進角させたペダルに足をかけ、踏み込みます。
スピードが乗るまでふらいています。「近くを見るから、目線を自分の行きたいところ、遠くにとって、自転車は見ているところについていくよ」とアドバイス。
一度上手くいくと「もう一回」「もう一回」と中々家に帰せてもらえません。自信がついて満足すると「じゃあ帰ろうか」となり、途中のコンビニでガリガリ君を買って、二人でそれを頬張りながら帰還です。 走り初めで少しヨロヨロしたけれど、初日からうまいことやりました。
帰りながら「よく、上手く行かなくて、いじけて、もうやめた!って言わなかったなぁ~」と問えば「『やるか、やらぬかじゃ』でしょ」と応える。
「わかっているじゃないか」(心の声)と、満足なヲタクなお父さんなのだった。
日が変わって翌日の明け方・・・自転車の伴走で走り回ったおかげで、脹脛がつってその激痛で目の覚める49歳4か月。
まだまだねじ巻いてお父さんを頑張るのだ。
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