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2012年7月

2012年7月29日 (日)

キノコモルグ登場!!

 本日、7月29日、お友達の皆々様は、二輪の祭典、鈴鹿8時間耐久レースに御執心の一日だった事と思います。

 私はどうしていたかって・・・?

 もちろん善良な夫であり父である私は、コソーリとネットで8耐のリザルトをチェックしつつ、きっちりしかっり「家族サービス」なのです。

 午前中、以前このエントリーで紹介した「大きのこ展」に行ってきました。

 始めは乗り気でなかったわが相方もそれなりに楽しんだ模様。それにしてもショックだったのは、去年まで食べていた「シモコシ」という茸が「可食」→「毒」となっていたことでした。なんでも海外での中毒例があるとかで・・・歯触りの良い本当美味しい茸だったのに・・・もう残念すぎて家に帰ってからだって居ても立っても居られない。ネットで調べると、やはり最近「毒」指定となった模様。スギヒラタケといい・・・おいしい茸が食べられないように、突然変異で毒を持つようになったのでしょうか。とても好きな茸だったので、悲しいです。

 会場には、子供のキノココスプレコーナーもありました。

 そのコーナーで、キノコモルグになったつもりのキノコ好きな親を持った我が息子です。胞子のエフェクトとか欲しいところですな。

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 「イーッ!」

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2012年7月22日 (日)

レベルアップ

 先週末の三連休は、東京より弟一家が帰って来ておりました。

 このBlogを始めた当初から登場している甥っ子も、早、小学6年生。「中学受験で~」と少し大変そうでした。姪の方は剣道を始めこれもなかなか頑張っているもよう、同じ学年の大会で優勝したようです。

 そんなこんなで時代はめぐり、私が遊んでやっていたチビ共が、この度は息子の太一を相手に遊んでくれたのです。

 この三日間、親の私が初めて見るハイテンションな太一。

 11歳と7歳の兄妹に飛び込んで行き、もみくちゃにされております。およそ5歳飛ばしの3人組の力により、子供の笑い声の絶えない我が家はカオスに陥り、あまり干渉しないように、でも何かの事故が起こらないよう遠巻きに遠巻きに絶えず監視していた私は、この怒涛の3連休後、ぐったりと疲れるのだった。

 はっきりいって、その時の我が家は天下一武闘会の会場ですよ。

 さて、光陰矢のごとし、太一にとって生まれて初めての楽しかった週末も過ぎ、東京チームは東京へ帰っていきました。

 しかし、今だ意味不明ではありますが、太一の大きな声でのおしゃべりは、甥&姪が居た時そのままで、「自分で~したい」の意思表示も、この週末より目に見えて増え、運動活性もぐんと上がりました。

 徐々にレベルアップすつと言った感じではなく、刺激を受けると、いきなり階段を駆け上がるようにレベルが上がる感じ。(こうやって見ると、堀井雄二氏の作ったドラゴンクエストのレベルアップのしかたリアルなのだ)
 そのような息子の状況を、観察者目線で見ると、人間とは、このように社会性の強い生き物なのだという事よくわかったのです。

 

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2012年7月13日 (金)

扶養家族?

 さて、40代も半ばを超えると、何かにつけて昔の事を色々思い出すことが多くなってまいります。
 ついこの前も、フランス語の個人レッスンのための予習を深夜、眠い目をこすりなら、辞書を引き引き仏文を読んでおりました処、大学時代のフランス語の講義にフラッシュバックしてしまいました。睡魔にトランス状態で挑む、妄想族の面目躍如ですね。

 さて、それが、どんなフラッシュバックかといえば・・・

 講義中、先生曰く「アフリカのある部族では、彼らの集落を訪れる者は、先ず長老に接見し、その長老が口に入れ噛んでいた豆を、その訪れた者の口に入れられ、その長老の噛んでいた豆を飲み込むことで、その部族から客人として迎えられる。この行為は、鳥や獣が、食物を一度口にし、咀嚼、半消化させ、雛や子供にそれを吐き出して与え扶養するといった行為と同様の意味でありまして、弱きものを保護するし、また、与える側に対し、与えられる側の絶対の信頼と服従を求めるものなのです。実は外国語の世界も同じで、既でに誰かの手によって翻訳された文章を読むという行為はこれに同じで、誰かが噛んだ豆を喰らう行為と同じなのです。外国語で書いてある文章を他人の色を付けないで本当に理解しようと努めるならば、その言語を自ら読み理解するしかないのです。近道はありません」と。

 実はこの妄想にはきっかけがありました。

 その日の夕食時、先週の金曜日でしたが、翌日が週末との事もあり、家で久々の晩酌がしたくなったのです。晩酌と言えば私はビールの小瓶を一本開けます。(小瓶つーのが私のこだわりで、北大路魯山人もそうだったとの事。)そのビールのアテに、スルメを1枚焼いてもらったのです。
 私の席の相向かいでは、1歳4か月の太一が「うまー」と言って、夕食を相方に食べさせてもらっていました。
 太一の食事が大方終わりそうだったので、細~く裂いたスルメの切れ端を太一に手渡してみました。始めの内は「なんじゃこりゃ?」といった表情を浮かべていましたが、スルメの端を口に入れしゃぶり始めると、とてもお気に召した様子。相方の「たいちゃん、そんな固いものもうパイしよう」と、取り上げようとしても「イヤイヤ」をして、小さな手に握ったスルメを離す様子はありません。その内、彼のよだれで程よくソフトになり、3つ位に折り畳んで、両手で大きく開けた口に折りたたんだそれを押し込み、モグモグとしていました。ちなみにその時、彼がしていたよど掛けは、とても「イカ臭い」よど掛けとなっちゃったのだった。

 食事も洗い物も終わり、お風呂まで一休みタイム。太一は食堂でおもちゃ遊び、私は別の部屋に行き、そこでTVを観ていました。10分ほど経ったでしょうか。廊下から「テテテテテッ」と太一の足音、そして私が居る部屋に入ってきて「おとっと見つけ~」とでも言いたそうな満面の笑みを浮かべながら、寝転んでいる私の顔にくっついて来ると見せかけ、やおら自分の口に指を入れ、電光石火の早業で、その指を私の口にねじ込んだのでした。「これ美味いから、食ってみろ」と。

 指には、1時間近く太一の口の中でたっぷりのよだれ吸い込み、やっと生え始めた上下の臼歯によりボロボロになって味の抜けたスルメの残骸があったのです。

 そうか太一よ「おとっとは歳だから、一刻も早くオイラが面倒を看てやるぞ!」そーゆー事なのか。そうなんだな。ギュー(抱きしめ)モグモグ・・・ゴクン。

 さて、この事象から推測すると、どうやら幼児のよだれには、遅行性の幻覚物質が入っているようです。

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2012年7月10日 (火)

23年間ためた経験値

 さて、ソフトバンクの「留学生のタダ」にはじまり、エンジン01なんてイベントや、この秋のマンガサミットなど、終わった事、これからある事で「結構最近、鳥取って、来てるよね」なんて事を言う方々が少なからずいらっしゃいます。

 私的にはタダよりもダダA,B,Cの方が良いですし、01と言えばキカイダー以外無いですよね。そして私には県内イベントならば、このイベントをもっとフュチャーして欲しいと思っているイベントがあるんです。

 鳥取県立博物館で今週末より始まる「大きのこ展」!!!

 そのポスターには私の大好きなキノコ、タマゴタケがズズーンッ!それだけでたまらんのです。このキノコ旨いのよね。伝えるところによると、かのカエサルも大好物だったとのこと。私のキノコ好きは過去のエントリー を見ていただくとして、勤務中の営業車の車窓より、真っ赤なタマゴタケのポスターを眺めながら「キノコ狩りって本当に森に目が慣れないと、足元に生えている、アメジスト色のムラサキシメジでも見落としちゃうんだよなぁ~」なんて、夏を飛び越して秋の山へ思いが飛んでいます。でも皆さん、本当ですよ、あんなに鮮やかでも、森の中で目の慣れない人は蹴っ飛ばしちゃうんです。ましてや保護色のシメジ、コウタケ、マツタケ本当に光学迷彩を身に纏った攻殻機動隊なみに見えやしないんです。何事も経験値なんです。

 さて、そんなこんな仕事中の妄想族な私、その私の帰宅後のお仕事と言えば、この前のエントリーの通り、蔵書の整理整頓に明け暮れておりました。その過程で皆様も経験があると思いますが、内容のチェックをしていると、ついつい読み込んでしまい、知らぬ間に時間を取られ「本を整理をしようとして気が付いたら、記憶の無いまま2時間経っていた、きっと宇宙人アブストラクトされたんだ」なんて苦しい言い訳をされた事もありますよね。

 私もついついこの本に虜に・・・もとい、宇宙人に誘拐されちゃたんですよ。

20120710224827 1989年10月第39号Clubman 縦置きVツインの甘美なる世界part2。

 MOTO GUZZI乗りにはバイブルとも言われるこの一冊。
 もちろん、ことある事に引っ張り出しては繰り返し読むこと幾年月、表表紙、背表紙、裏表紙・・・見ての通り、画像の如く随分草臥れてきています。

 この本は、松永家に現存する、私がリアルタイムで買った最古の二輪誌なのです。(後にバックナンバーとして取り寄せた本は除く)これを書棚の「Clubman」の収納位置の最初から始め、この後の号が続いておるのですが、整理整頓の最中もついつい手を取ってしまっていたのです。

 そんな折、この本の64~65頁、亡くなった小野勝司さんのコラムのページに使ってある白黒の印刷の1枚の写真を目にし固まってしまったのです。

 この写真です。

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 ペコちゃん人形のたたずむ部屋に、イタリアンの小排気量車が2台、エンジンが単体で3基・・・手前の一台は、模型仲間の柴田さんが1/9でフルスクラッチで模型化された「モトモリーニ175セッテベロ」そしてその奥の一台が大問題なのです。

 こ・・・この車両・・・私の友人が購入し、今現在を持ってしてもレストア&レーサー化中のF.B Mondialのそのものの車両じゃないか!!!しかもMondialの右横、ハンガーに乗っているエンジンは・・・・よく見るとホンダのRCの6気筒だーっ!!!床に転がっているのはBSAのゴルディのエンジン!!な・・・な・な・な・な・なんだ此処!!!

 23年前にこの本を購入してからつい数日前まで、こんな大事な事に気が付いていなかったんです。あぁ、この数年来、二輪愛好家として解ったようなふりをして、何も解っていないアンポンタンな私。 

 齢45を超え、GUZZI SPORTの門を敲いて23年を超えて、やっと見えるものがある事を学んだこの度の整理整頓。

  「23年殺し」的な小野 勝司さんの謎掛けでもあったわけです。

 謎掛けと言う事でしたら、謎は一つも解けていません。
 関係者の方で、この写真について何か詳細を知っておられる方がおられましたら、連絡いただきたくお願い申し上げ奉ります。

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2012年7月 8日 (日)

引っ越し作業ほぼ完了

 4月22日のエントリーにて実家に帰りました事を報告しました。
 両親との同居ですが、我々の世帯は2階に住むこととしまして、納戸として使っている一室を、またこれがすごい状態だったのですが・・・東京から鳥取に帰省しておよそ20年、その間にため込んだ模型、平積みの本で構成された魔窟となっていたのですが、それを書斎にしようと動いていたのです。

 生活空間の他の二部屋は、昼間私が会社に出ている間に、相方がちゃっちゃと引っ越しの荷物を解いては収納をしていてくれていたおかげで、引っ越してから一カ月程で、大学生くらいから独身貴族を気取っていた頃迄の私の生活環境と、相方が設えてくれた今のそれとを比べれば、穴居人と小津安二郎の映画にあるような生活空間程の差があるのですよ。

 相方は主婦としてのミッションをコツコツとこなしていく一方、私はといえば、仕事から帰ってきて帰宅後、父ちゃんとしての息子の相手をして息子と共に布団でグーグーグーな日常。週末に至っては色々と付き合い事、学び事と言っては家を空けるしまつ。蝸牛の歩みのごとく遅々として進まない納戸→書斎化計画に、家族の皆から非難囂々の毎日でした。物が物だけに、本当は手を出して早々に片を付けたい相方も、アンタッチャブルな聖域なのだ。

 それが本日、二ヶ月を優に超える時間を掛けやっと形になりました。(涙)とりあえずですが、今の段階で保管を決めた本と模型は、ちゃんと収まるべきところに収まり、20年近く日の目を見ることのなかった床がちゃんと姿を現し、「この部屋ってこんなに広かったんだねぇ~」と感心することしきり。後はそこに居るであろう人間の為に机と椅子を配置し、電気スタンド等細々したものが揃えば、本当の意味の書斎の完成です。

 永かった・・・本当に永かった。

 後は、私がこの書斎を使って、使い易いように、ちょっとづつモデファイしていくのみです。

 だれだっ、また「魔窟」とか「腐海」に逆戻りだと、思っているのは!!

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