後の先であっても先の先
この前の述べましたように、演武が決まったこともあり、師弟共々、稽古に熱が入ります。
稽古前・・・
師「刀とはどう言う道具か、もう一度良く考えてください。突く、斬る。人を殺めるための道具です。さて、西洋のフェンシング等は受けて突くといった、『後の先』が基本となっていますが、日本のそれは『先の先』、初めから斬りに行くのです。それは本来、スポーツとなった剣道であってもそうだと私は思います。我々がやっている流派は一見、形を見ると『後の先』と思われがちですが、しかし実際見えない処で、相手に対してプレッシャーを与え続け、それにこらえ切れなくなった相手を誘い込み、こちらの技にかける。実はプレッシャーを与え続けるという、目に見えない攻撃が技の前にあるのです、気持ち的には『先の先』これを忘れないように」
・・・と。
当然の事ですが、昨日の稽古では、微に入り細に入り注意が入ります。
外は吹雪いて、板張りの床は凍えるほどの冷たさ、しかしこの形稽古で、私は稽古着から湯気出してます。
「今、空中の刀に合わせたな!そうじゃなく私の急所を狙って斬って来い。私も君を狙って刀を繰り出す、その結果として空中でお互いの刀が合う、そうでしょう。こめかみを狙って来い。もう一度!」檄が飛びます。
木剣を握る掌も、汗でべっとりです。
あと二ヶ月です。
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コメント
「今、空中の刀に合わせたな!」
ってわかっちゃうんですね。
このダメ出しにショックを受けました。
そうですよね、言葉は悪いですが茶番になってしまいますものね、「刀に合わせた」のでは。
日常にもこれと同じようなことがあるような気がして、忸怩たる思いです。
私にとって武道は周辺事情でしかないのですが、いつも気になります。
投稿: yo | 2008年2月24日 (日) 09時17分
厳寒の板張ダゴバ道場での修行お疲れさんどす。
師匠の言葉・・・深いですなあ。
投稿: zuka | 2008年2月24日 (日) 10時22分
yoさま
>ってわかっちゃうんですね。
バレバレです。
注意されまくりです。
古流はやっている内容が内容だけに、いろいろな面でキビシイです。
zukaさま
立ち居振る舞いが一番難しいです。
古流をやると、今の日本人は、かつての日本人の身体ではない事が良くわかります。
ちなみにシグルイの10巻店頭に並んでいます。
投稿: 松永 | 2008年2月24日 (日) 20時36分
演武は型とはいえ所作では無く実戦からの抽出物であると考えなければというのは空手でも一緒ですね。
投稿: VCE | 2008年2月25日 (月) 01時13分
VCEさま
全くもってその通りです。
誤解を恐れず書きますと「人を殺める術利にちゃんとなっているか?」と、師より問われているわけです。
この本質から離れては、殺陣であり、それはすでに古流の剣術ではなくなってしまいます。
投稿: 松永 | 2008年2月25日 (月) 11時22分