感覚を研ぎ澄まして
この土曜日も、剣術稽古をしたのですが、師のおられない稽古でした。
居合いを本職?にされている方と、雖井蛙流の小太刀をされていて、この前から私が習っている太刀も習いたいと来られている方、この三人での稽古となりました。
三人なので、型をやるときどうしても一人余ります。その間私は道場の大きな姿見の前で、素振りです。
鏡を見ながら、素振りでは、八双に構えてから仮想敵の人中・水月・小手・左右の胴・膝で「ピタッ」っと止める。コレをひたすらしてました。
そして昨日、今にも小雨が降りそうな空の下、家の中庭で、土曜日の復習として素振りです。大きな姿見はないのですが、中庭に面した台所の硝子戸に移る姿を確認しながらの振るのです。
その時のチェック項目は、肩に力は入ってないか、手の内が変わっていないか、そしてコレが一番気をつけることなのですが、「空気を斬る音が何処でしているか」コレです。硝子に映るフォームを確認しながら耳を澄ますてこの空気を斬る音を拾います。これがどれだけ大切な事かと言えば、私の木剣は普通形をしているのですが、この音が出やすいように、樋(ひ)が切ってある素振り用の木剣もあるくらいなのです。
それでは何処で音が出れば・・・構えから動き始めて直ぐの位置で音が出るようでは駄目なのです。それって初速は出ているのですが後はスピードダウン・・・。理想は、先に書いた仮想敵の斬るべき部位、人間の急所に到達する時に音が出る。イメージ的には、振り下ろし始めると切先に加速がかかり初めて、物打ちの到達点でトップスピードになる。高校の物理で習った運動エネルギーの公式で書くと。
K(運動エネルギー)=1/2m(質量)v2(速度の二乗)
質量は刀の重さなので、向かい合っている相手も一般的な日本刀を持っていると仮定すれば、この数値はほぼ同じ、となると、斬撃の力は速度が速くなればその二乗で大きくなるって言う事なんです。なので刃の到達点でトップスピードを目指すのは理にかなっているのだ。古武道の根底に流れるのは徹底した合理性、コレを剣術では、「剣の理合」なんて言います。
耳を澄ましての素振り、中々望む位置で空気を斬る音が出ないものです。
そうこうしていると雨が落ち始めました。もうちょっとやろうかと思いましたが、雖井蛙流専用の白樫の木剣が雨にぬれるのはイヤなので、「今日は此処まで!」としました。
雨には濡れませんでしたが、握りは汗でびっしょりでした。
掌(たなごころ)に汗をかくようでは・・・まだまだやん自分。
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コメント
あまりに専門的レベルなので
良く理解できない部分はありますが
下記を連想しました。(意味不明)
http://ja.wikipedia.org/wiki/E%3Dmc²
投稿: zuka | 2007年10月 1日 (月) 01時34分
僕は高校時代に「武田流抜刀術」を習っていましたよ。
基本的に乗馬武術なのでちと違うかもしれませんが、立ちの武術も有ります。
もう忘れてしまっていますが・・・(笑)
投稿: 沢庵和尚 | 2007年10月 1日 (月) 02時03分
武道の型の練習の場合、独り稽古では「型」の形に捕われると
全く意図しない所で力が入り、相手の動きをイメージして動くとスピードが乗りますね。
組み手と決定的に違うのは正にここで一人で練習する場合は
型も素振りも相手をどれだけイメージ出来ているかではないのかなぁと思ったり。説明するのが難しいですけど。。。
投稿: VERTICAL | 2007年10月 1日 (月) 06時13分
zukaさま
相対性理論って・・・
私は対消滅機関で動くアンドロイドじゃないつーの(笑)。
沢庵和尚さま
武田流抜刀術とはさすが!
沢庵和尚と武術の話・・・バカボンドな気分の私。
VERTICALさま
素振りをしている私を見た母親曰く
「木剣持っている時のお前、堅気じゃない目つき」
・・・どうせ人間の急所を斬る練習をしている私ですから。
投稿: 松永 | 2007年10月 1日 (月) 21時54分