三つ子の魂百まで
私の模型仲間で、これから旧車レースデビューを近々される予定でサーキット友人にもなっていただけるsuzukiさん。氏の模型HPの最新日記を読ませていただいていて、ちょっと懐かしい思いに駆られました。
どの単語が私にノスタルジア感じさせたかと言えば、「志賀昆虫のインセクトピン」なのです。インセクトピンとは虫ピンのことです。昆虫標本と作る時に虫に刺すあの虫ピンです。
「模型の人がなぜ虫ピン?」という声が聞えてきそうです。
それは、このピンがステンレス製で錆びず、頭の部分が鍛造で丁寧に作られていて、サイズもちょうど模型の縮尺に適当な事もあり、二輪模型好きの間では、スポークホイルを実車同様に組みなおす時のスポークとして使用されているのです。
しかし私にとって、「志賀昆虫」と言う単語は、模型の仲間から聞くよりも以前に耳にして・・・と言うか、本で目にしたことのある単語だったのです。
その本とは、TVドラマ「ムー一族」の脚本家・久世光彦氏の著書“蝶とヒットラー”なのです。その作品は14篇の短編からなる読み物なのですが、それぞれの短編の前にその短編の内容をイメージさせる、東京に実在するコアなお店の店名と住所が記されてあり、その後に物語が始まると言った構成となっているのです。その中の第十篇“神秘昆虫館”の冒頭に「志賀昆虫普及社 東京都渋谷区渋谷一-七-六」と、あったのを憶えていたのです。
告白します。私は幼少の折、昆虫採集小僧でした。幼稚園の時に親に昆虫図鑑を買ってもらったのが虫好き病の始まり、そして繰り返し眺めるうち、その本でひらかな・カタカナを覚えました。学年が進み小学生低学年になると、友人の影響も有って「蝶」と「小さなカミキリムシ」の類(たぐい)に異常に凝っておりました。勿論その時の愛読書は“ファーブル昆虫記”に“図説昆虫図鑑”“クワガタクワジ”コレ基本です。本当に今思えば、学校が終り天気が良いと、毎日のように山に入り、捕虫網を手に蝶を狩っておりました。「狩る」と書いたのは、蝶は種類によって、決まった時間帯に決まった道筋を飛びます(これを蝶道と言う)、其処に息を潜め音を立てず待ち構え、飛んできたのを見つけるとやおら「ばっばっ」と捕虫網を8の字を書くように振り回して捕まえていたのです。ねっ「狩り」でしょう。
志賀昆虫のインセクトピン・・・その言葉の響きは、そんな遠い昔のあの頃の記憶を、私にTime warpさせてくれるのです。
そういえば、このエントリーを用意していて、昆虫標本について過去に面白いコラムを読んだ事を思い出しました。我が蔵書の中を発掘する事小一時間、見つけました。“芸術新潮”の2001年7月号にフランス文学者の奥本大三郎氏の書かれたコラム「パリの標本商」でした。そこに書かれている「クロード・ナチュール シャンチエ通り六番地」と言うお店は、普段はアルコール漬けにしてしまうような芋虫・毛虫も、内臓を丁寧に抜き取り空気を入れて乾燥させた生態標本を作っているお店なのです。芋虫毛虫だって美しいのだ!(なんだかナウシカみたいになってきたぞ!)
上京の折、時間があれば純粋に虫好きとして「志賀昆虫普及社」を尋ねてみよう、そしてパリに行く事があれば「クロード・ナチュール」に是非行ってみたいですな。
まさに「三つ子の魂百まで」です。
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コメント
手塚先生と同胞とは恐ろしい限りです。
やはりただ者ではないですね(ニヤッ)
ところであそこは自社ビルでしょうか、、、?
そんな佇まいを感じるのですが、だとすると
「昆虫でビルが建つ」、、ただ者ではない!
投稿: SUZUKI | 2007年3月16日 (金) 18時06分