出来ない自分が分かる自分
「よしっ!」「引き際がはやいっ、焦るな、確実に!」「水月(みぞおちの事ね)まで斬り落とせ!」「切先のスピードを感じなさいっ!」「そうだっ!」
私の発する「えいっ!やーっ!」の気合の合間に、師の指導の声が響く、水銀灯に照らされた冷え切った板間の道場。
稽古内容にかつての「のどかさ」はありません。と言うか、かつての時点でも必死で「のどか」だなんて決して思ってはいなかったのですが、非常に細かな点まで注意の目が光る今を基準に考えると、「のどか」としか言いようが無い「ゆる~い」内容だったのが分かってしまう今の自分。
特に型の四本目「砧」において、相手の刃を自分の刃で巻き込んで斬り返すこの巻き込みが、小さくまとまっているような気がして気になります。師の巻き込みは、もっとダイナミックで、それでいてその後の斬り返しの切先にスピードが乗って走るんです。
うーむ・・・
何度か稽古をしても、思ったような動きが出来ないし、この事に付いて師から何も注意は無いし、けれど「自分の動き違うよな」と、気になってしょうがないし・・・。それぞれの技ごとの型の稽古が終わり、それらを通してやる前、呼吸を整えるための小休止の時、「違う」と思った自分が正しいのか確認するうえでも、意を決してこれらの質問をぶつけてみました。
師は「をっ!」言ったよな顔をされ、「『今回はそこのところはどうしようかな』と思っていましたが自分で分かったか。君の動きは本当に言葉通りの『小手先だけ』の動きになっているんだ。よーく私の動きを見てみろ」と言われその部分をやって見せていただき、「そしてこれが君の動き」と続けて私の真似。「手首の動かし方は良いのだけれど、君のはそれだけでしょう。これに肩の振りをつけると、自然と刃を上段に位置に振りかぶる到達時間も短縮できます」と話しながら、もう一通り師のバージョンと私のバージョンを目の前でやりながら「なっ!君のは小さくやっていて一見速そうだけど、これだと間が遅れているよね、竹刀を使う剣道じゃなくて、最終目的は鉄で出来た日本刀を振るんです、小手先だけでは人は斬れません、肩を使って刀の重さも利用しないと。てこの原理と同じ、力点、支点、作用点が何処で、それら距離は?」と含蓄のある指導を受けます。
・・・肘から先だけ私と、肩を使った師・・・レバー比が全然ちゃう。まるで1098の長いスイングアームと、私のルマンレーサーの短いスイングアームみたいに・・・バイクのサスペンションと同じ、物理学だ。
そしてその日の最後、やり直しの無し、最初の「錫杖」から五番目の「高波」まで通して行う型をやりましたが、自分でも納得が出来ないまま、「本日はここまで」となってしまいました。(いつもや・・・)
出来ているようで出来てない、自分の動きが「似て非なるもの」と、わかるだけヒジョーに辛い・・・。
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