The rain in Spain stays mainly in the plain.
私の名前は「ロシナンテ」。1970年代の後半、北イタリア、コモ湖の辺で生を受け、遠く極東の国に旅立った・・・
その国でモーターサイクルとしての役目を終え、心臓を失い、手脚を捥がれ、さながら井戸の底に打ち捨てられた狂骨のように日の光など当たらない仄暗い地下の倉庫に眠る事、幾年月・・・錆が噴き、自分が生きているのか死んでいるのか判らぬまま、ここで朽ち果てるままに永遠とも思われる時間が過ぎていった。
それは突然にやって来た、再び日の当たる世界へ・・・
錆だらけだったフレームは、丁寧に錆が落とされ、補強をする場所と、その強さについて推敲が重ねられ、補強材がメインフレームに溶接され、その補強材と入れ替わるように小骨が取り除かれていく。美しく強くシンプルとなった骨格には、金色のカラーリングが施された。私のために赤に白いストライプの入ったアルミ製の燃料タンクが用意され、向こうにはFRP樹脂製の小さなビキニカウリングが見える・・・よく見るとゼッケンベースが描かれている・・・そうか・・・この私が競技車両となるのか・・・。
隣では、東洋人のスペシャリストの非常に繊細な仕事によって、力強い心臓が組み立てられつつある。
そして、一年に及ぶこれらの作業により私は生まれ変わった。それはまるで映画「マイ・フェアレディ」のオードリー・ヘップバーンの演じた主人公、ロンドン下町育ちで英語の発音もちゃんとできない花売り娘が、淑女と洗練されていったように、倉庫の奥で朽ち果てて逝く身の上の私が、美しい外装を纏い、力強い心臓を持った競技車両として生まれ変わった。
オーバーウエイト気味の我がオーナーは、私の事を「ロシナンテ」と名付け、エンジンブローや、ハイサイドによる目を覆いたくなるような激しい転倒しても、結してあきらめる事無く、修復し、私を美しく維持し続けてくれている。いや、そんな事が起きる度、性能が上がる方向へ仕立て直し続けてきてくれた。
オーナーはオーナーで、この2年前の激しいハイサイド→転倒よる左肩の負傷の時から、サンデーレーサーとしての心構えを真摯に改め、筋力Upと減量のためジム通いをしている。この二年余り一日もサボらずに。今は勝負にかける意気込みが、以前に比べると毎回・毎回、真剣勝負だ。
私は、自らの競技車両として私の事を選んでくれたこの物好きなオーナーと、これからどのくらい共にサーキットを駆け続ける事ができるだろうか・・・
私の名前は「ロシナンテ」、1970年代の後半、北イタリア、コモ湖の辺で生を受け・・・
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