鎬を削る
昨日の稽古はずばり「鎬(シノギ)の使い方」に終始しました。
シノギといっても、怖いお兄さんのお金を稼ぐ方法なんかじゃなくて、どー言ったら良いかなぁ~、辞書によると「刀剣で、刃と峰との間に刀身を貫いて走る稜線」・・・ってなおさら解らんがな。
百聞は一見にしかず、と言う事で私の木剣の指を指してる膨らみの所ね。解ります?皆様が解ったことを前提に話を始めます。
では、この前の記事で書いた「五乱太刀之分」を一通り習ったことにより、そのそれぞれの技の意味、細かな立ち振る舞いの稽古が始まったわけですが、私の習っている流派は、他流派の技の返し技として成り立っているのです。
例えば一本目の「錫杖」は去水流の「流水」を敵とし、二本目「稲妻」は東軍流の「微塵」、三本目「曲龍」は神道流の「埋木」、四本目「碪」は和田卜伝の「一ノ太刀」、そして五本目「高波」は新陰流の「釣曲」を敵としています。相手の技を受けて返す「後の先」の太刀筋なので、斬りかかって来る相手の刀を擦り上げたり、受けて巻き込む等の動作全てに鎬を使い、相手の刀と鎬を合わせる(この事より激しい戦いのことを形容して「鎬を削る」と言う諺となる)のです。具体的に説明すると、この刀身の膨らみを使って、まっすぐ斬りかかって来る相手に、こちらもまっすぐ斬りかかり、自分の鎬の僅かな厚みで相手の鎬を弾き、それに伴い相手の剣筋を殺し、私の切先を相手よりも早く相手の急所(この場合は頭の正中線)に斬り込むという具合に、この僅かな刀の膨らみが生死を分けるのです。カッコ良く書いてますが、この事の逆、相手の剣筋のほうが強く速度が有った場合、私の切先が殺され弾かれて、返すことができず其のまま相手の切先が私の急所にズブッと・・・と、なります。(現実に先生と稽古をしているとそうなる場合が多い・・・)
やはり前にも言われた、手首の柔らかさ、掌(たなごころ)の使い方(これを「手の内」と言います。皆様も使いますよね「私の『手の内』を明かすと・・」なんて)肩を柔らかく、普段力を入れない事が瞬時瞬時に「パッパッ」と力を入れることになる等、指摘された注意点は山のようにありました。
それと斬りかかって来ている相手の刀に合わせるように、振り下ろしている刀の軌跡が真っ直ぐでなく、斜めとなり刀を叩いているの事、「相手の刀を恐れず、真っ直ぐ振り下ろし自分の鎬で相手を弾くように」との指摘を受けます。
それと先生曰く「音を聞けばちゃんと木剣を振れているかどうか直ぐ解る」と。鎬を上手に使えていないと木剣の当たる音の高さでバレちゃうのです。上手くいっている時には「カツッ!」と乾いた短い音、駄目駄目な私の音は「バカッ」と鈍い音・・・合格点がいただけるまで、連続して先生と何度も鎬を合わせるのです。
私たち二人だけの道場に木剣の激しくぶつかる音が響きます。
「カツッ・バカッ・ガッ・カッ・バカッ・カッ・・・・」
やっている実際の行為も、内容も「鎬を削る」稽古となりました。
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コメント
刃先のチャンバラ状態のこの国のスポーツ・文化・商売には「鎬を削る」のたとえは当て嵌まりませんネ。鍔迫り合いがよいとこでしょうか?
鍔迫り合いにも深い”意味”があるのでしょうか?
投稿: 無茶士 | 2006年9月26日 (火) 09時53分
無茶士さま
よーく考えていたので返事が遅くなりました。
「鎬を削る」のは私がいつもやっている技のことなので、イメージ的には動きが激しく、「バチッ」って刀と刀から火花が出る感じの「動」の戦いです。
対して「鍔迫り合い」はボクシングで言うところのクリンチですので、自分の鍔と相手の鍔がぶつかり合うほどの近距離で、不用意に前にも出れず、かといって後にも退けず、相手を目の前に動ける時を待ち、ただまんじりと相手と組んでいる感じ、「静」の戦いイメージです。
精神的にはこちらのほうが辛いかもしれません。
投稿: 松永 | 2006年9月28日 (木) 00時01分