弦は張りすぎると・・・
昨日の記事に書いたとおり、雖井蛙流のDVDを頂きに行き、二度・三度と繰り返し観ている。
その中の先生の技の動きを観ていて気がついた。まあ、今の自分のレベルが『技』をどうのこうの言えるレベルでは無いのは良く判っています。感じたのは、その一連の留まる事の無い、「緩急」の付け具合なのだ。
「ふわ~」と動いたかと思えば「バシッ」と木剣が振り下ろされ、そのメリハリの利いた動きは見ていても心地よい。
自分はどうであろう・・・足の動き、振り下ろす木剣の位置、もとより間合いは?そんなこんなが気になって「上手くやらなきゃ」と欲が出て、肩に力が入り、足捌きに滑らかさが失われ、見苦しいほどギクシャクしているではないか・・・。
「あっ」と思った。
ジンさんも私のラィデイングの写真を見ては、「肩に力の入りすぎ」とよく指摘されていた。頭では解ったつもり=全然解っていないだ。それとジムのトレーナーも「体型がいかり肩なのは、肩の筋肉に緊張が続いている可能性がある。ここを柔らかくして、体型も今より少し肩の位置が下がった状態にします。」と秋口に言われていた。
上記の事柄を頭の中で反芻しながら、とある仏教説話を思い出した。
釈尊は悟りを求め、厳しい断食苦行をやっているとき、とある川の辺で、楽器の演奏家の師が弟子に対して「弦は確かにピンと張ると高い音が出るが、切れやすい。緩みすぎると音は出ない。ではどうすればよいか・・何事もころあいというものがある。中庸であること。そしてそうあることの難しさを理解すること」との会話を偶然に耳にしてしまい、今自分のやっている苦行の行き着く先には「悟り」は無いと気が付いて、スジャータという名の少女が施した粥を口にする。
古武道のDVDを観ながら、こんなことが頭の中をグルグル回っているのだ。
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コメント
演奏後に弦を緩める その加減が分っていない。ピアノでも本当は緩めるところまでがチュ-ナ-の仕事でしょう。
クールダウンをしながら精神の高揚をしてます。次は座禅ですか?
投稿: 無茶士 | 2006年1月30日 (月) 08時57分