私の見える世界
模型製作がテンパッている。忙しくて時間が取れないのだ。取れたとしても一時間・・・まるでだめだ。すいません今から告白します。一月六日のweb締め切り多分無理。なので過去に作ったカワサキの画像データを送っておきました。二月から新宿の西南堂にてリアルワールドの展示会があるので、それにはちゃんと間に合わせます。
性格上、妥協が許せないもので・・・。
さて、これから書く事について「大きく出たな」と皆様は思われるかもしれません。誤解されるのを覚悟で書きます。私の模型論と言うかリアルって何かって・・そんな意見です。
それは、作り手の頭にあるイメージだと思うのです。KIM's HOUSEの輕部さんの作品の中古車のようなリアリティー、MOTO MODELINGの柴田さんの、まるで今工場からロールアウトしたばかりのリアリティー、プロヴィーニ追悼作品展のギャラリーコーナーのSHOGOさんこと、笑後さんの作品の持つ、まるで完成品に背筋が通った、凛とした上品な佇まいを纏ったリアリティー。全ては作り手一人一人皆の頭の中にある、モーターサイクルのイメージを、今現在の技術で再現できる限りの手法を用い、脳内イメージと云うヴァーチャルな物を、完成品と云ったリアルな物に変換する作業なのだ。
それでは私の目指すものは何かいうと、空気感なのです。縮尺された模型は、本物をちょっと距離を置いて見ているのと同じだと思うのです。ちょっと離れた被写体を観察すると、その間にある空気がフィルターの役目をして、彩度は落ちて明度が上がります。またサイズが小さいと光の拡散で、細かなディティールは飛んでしまいます。そんなときは光線の当たるところにハイライトを入れ、陰になる部分にはシェイドやシャドウの暗い色を差してやります。私にとっての模型製作は三次元の絵画を描く行為なのです。(画像は掌よりも小さな1/72の戦車です。ハイライトや影を描く事の説明として)
今作っているのが二輪レーサーの模型であるなら、小春日和のサーキットのパドックに佇んでいる様な・・・、そんな完成品を作れればと思い日々精進しているのです。
「また馬鹿な事を・・・」と、次に書くことについて、この記事をお読みの皆様に再び笑われると思いますが、私の目指すところはフェルメールの絵画の世界、フェルメールが作り出した空気感、あの様なリアリティーを目指しているのです。その画家フェルメール自身も遠近感を表現するため、カメラオブスキュラと言う針穴写真機の原型のような装置を使ってデッサンをしていたと伝え聞いています。そのフェルメールの作品「デルフトの眺望」、この空気感、リアリティーに憧れずにはいられません。
こんな大きな事を言ってますが、現実の目標はまだまだ遠く、それに至る道は険しいのです。
ちょっと前に、プロ写真家が逃げちゃう位の写真の腕をお持ちの無茶士さんに贈った言葉を、今現在の私の覚悟として、ここに記す事とします。
Dziga Vertov(1896-1954)ポーランド人映画監督の言葉より
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