猿に始まり狐に終わる
年が明けた来月の19日、この鳥取で茂山一門の狂言の公演がある。
演目に「釣狐」の文字。狂言師の世界は2,3歳の時に始めて舞台を踏む「うつぼ猿」の子猿の役に始まり、この「釣狐」の古狐を演じて一人前と云われています。猿廻しの子猿と云えば「慰み物」。幼き折より、大衆のおもちゃと云った芸能本来の本質を叩き込まれ、人を騙し誑かす古狐を演じることができて初めて一人前、なんと狂言は実践主義な芸能なのかと感じるのです。
じゃあいったい「釣狐」ってどんなお話なの?と言う読者もいらっしゃると思います。
ある所に一匹の古狐がいました。一族が次々と猟師に捕らえられ根絶やしにされ、最後に残った我が身も狙われている身の上。そこで、猟師の伯父である白蔵主と云う僧侶に化け、猟師の所に行き、妖狐「九尾の狐」の玉藻前(たまものまえ)の伝説、殺生石の話など物語り、狐の執心の恐ろしさを説いて聞かせます。古狐は猟師に罠を捨てさせることに成功します。喜んで小歌混じりに帰る道すがら、先刻捨てさせた罠を見れば、大好物の若鼠の湯揚げが付いています。何度か食おうと迷い悶えますが、なんとか思い止まり、人としての化身解き身軽になってから食おうと、その場を立ち去ります。一方、伯父の所作に引っかかる思いを持っていた猟師は、罠が荒らされているのを見て、あれは狐の仕業と確信し、罠を掛け直し物陰に隠れ狐が現れるのを待ちます。やがてその正体を現した古狐が罠に掛かるのですが、命がけで猟師と立ち向かい罠を外して逃げて行く・・・そんなお話です。
為政者に愛された能とは違い、大衆に愛された狂言。その内容はユーモアを交えた体制批判であり、直球勝負で弾圧の対象となるを避け、「狂言」と云う言葉が表すとおり、「まともな話ではなく、狂った言葉なんですよ」と上手くかわしているのです。こういったことは洋の東西を問わず、スウィフトの「ガリバー旅行記」、カレル・チャペクの「山椒魚戦争」ガルシア・マルケスの「百年の孤独」なども言い訳として「馬鹿げた御伽噺です」と煙に巻いている同一のジャンルである。
そういえば古の中国に、気が狂っているとされ、字(あざな)に狂の字を持つ接輿(せつよ)と云う名の楚の人がいました。その人が孔子に向って詠んだ漢詩です。
鳳兮鳳兮
何德之衰
往者不可諫
來者猶可追
已而已而
今之從政者殆而 狂接輿
(読み)
鳳や、鳳や、
何ぞ德の衰へたる。
往く者は諫(いさ)むべからず、
來る者は猶(な)ほ追ふべし。
已(や)みなん!已(や)みなん!
今の政に從ふ者は殆(あやふ)し。
(現代語訳)
孔子よ孔子よ
(鳳=徳の高い人物の事、ここでは孔子の意)
なんと德の衰えた時代になったものだ。
過ぎ去った過去はもう取り戻す事はできない、
これから来る未来はまだ追いついて変更できる。
やめた!やめた!
今の政治に携わっている者は破滅が近い。
このような詩を詠んでいたので、狂っているとしていたのでしょう。「狂言」と同じですね。
年が明けた一月中頃、私はこの「釣狐」に何を見るのでしょうか・・・。
この記事を書いていて思い出しましたが、大学時代のフランス語の先生が言ってましたっけ「全ての人は、多少の差があれ狂人である」と。
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コメント
ハイハイ今日のお題は「狂言」ですね。
議会とかけて狂言ととく
シテ その心は
世襲の戯言。
泉モトヤ聞いてるか?
プロレス舞台やってる場合じゃネエゾ。
茂山一門 ごめんなさい。
投稿: BJOD改め無茶士 | 2005年12月 8日 (木) 15時18分
>議会とかけて狂言ととく
>シテ その心は
>世襲の戯言。
うまいっ!
>シテ←とくにここ
山田君座布団1枚。
投稿: 松永 | 2005年12月 8日 (木) 15時31分
さかのぼって、ミニのホイル、マグライトは
駄目ですか。「どちらでも良いのじゃ」
投稿: 狂減者 | 2005年12月 8日 (木) 16時49分
コスミックよりイイじゃん。
ハウス!!! キャフン。
投稿: BJOD改め無茶士 | 2005年12月 8日 (木) 17時10分
先日、NHKで特番をやっていたが、免疫学者の多田富雄氏は、新作の能を発表し続けている。能は古典ではなく常に新しいものを送り出せる伝統芸能です。
「科学者はハムレットを、芸術家は相対性理論を読むべきだ」という彼の言葉は印象深い。
投稿: kuwa | 2005年12月 8日 (木) 18時07分
多田富雄の番組は私も見ました。
己の死をみつめざるえない状況から
広島現代能の製作エネルギーに転化させてゆく
挑戦過程が素晴らしかった。
つくづく創作とは人を活性化させる物ですな。
投稿: zuka | 2005年12月 8日 (木) 19時17分
破壊と創造ですね。
創造し続けることは不可能。 自らの限界を知り、それを打ち破るべくもがくことにより新たな創造物が産まれると・・・この繰りかえしですね。
まてよ、わたちは破壊と迷走か、はたまた破戒と妄想か・・・これまた繰りかえし。
おあとがよろしいようで。
投稿: 瓶星@家出中 | 2005年12月 9日 (金) 09時47分