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2005年12月

2005年12月31日 (土)

Next year is another year

As God is my witness, as God is my witness they're not going to lick me.
I'm going to live through this and when it's all over,
I'll never be hungry again.
No, nor any of my folk. If I have to lie, steal, cheat or kill.
As God is my witness, I'll never be hungry again.

映画“風と共に去りぬ”より

 大晦日となりました。この一年を振り返ってみると、いろいろなことがありました。年初のプロヴィーニさんの訃報に始まり、レースに出れば「ゴキン・ボキン・グュシャ!」と転倒続き。結果、マシンも肉体も満身創痍。マシンの復旧具合は昨日の記事に書いている通りです。それにしても今年は満足に走れたレースは一つもありませんでした。

 結果から言うと、私にとって良い一年ではありませんでしたが、モーターサイクルにバックギアが付いていないのと同じように、今の科学力では時間を逆に巻き戻すことはできず、ただ自分を信じて、前に進むしかありません。

 「サンデーレースで、四十歳までに何かちゃんとしたリザルトを・・・」、と努力してきた二年間でしたが、思うように事が進まず、気がつけば三十八歳で迎える大晦日。二月で三十九になるので来年は自分でノルマを切った最後の歳となります。

 来年の抱負を今年最後の記事とします。

この記事を読んでいる読者の皆様が証人です。
今年のように転倒が続き、人馬共々打ちひしがれても、決して心を折るようなまねは致しません。
私のこの行動を理解できない方々に、どのようなそしりを受けようとも、その数は少なくとも、理解してくれる同志のため、そして何より自分のため、生きている証としてこの頭と体をレースのために使い切ります。
読者の皆様が証人です。
決して心を折るようなまねは致しません。

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2005年12月30日 (金)

中間報告

 この年の瀬も迫った今日、MOTO LAVOROより一通の電子メールが届いきました。

 なんと、ただ今大幅ヴァージョンアップ中の愛する我がマシン。その排気系、アルミスイングアーム、タンクの形状変更が出来上がったので、その中間報告でした。

  うひゃー、我がマシンながら、かっこいい。オーナーの私も、この冬の間に体を仕上げるので待っていてね、「私のいとしい人」(byゴラム)。

 今日はテキストここまで。後は画像見てね。   DSCN1496DSCN1500DSCN1492DSCN1493

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2005年12月29日 (木)

いそがしい~

 今日の午後から弟一家が帰省してくる。お袋は「掃除・掃除」と「レレレのおばさん」となっているし、私は私で、まだ一枚も書いていない年賀状をどうするか悩んでいます。今日は徹夜かな・・・・orz

 仕事柄、三十日までがっつりと仕事があるので、仕事後にジムに行ったりしていると、帰宅時間が10時前となる。その後ご飯食べたり(夜はほとんど小食でこれが食事といえるのかって云う位の量ですが)お風呂に入っていたりしていると、あっという間に11時、ほんとに「光陰矢のごとし」時間がすっ飛んでいきます。

 身代わりに、パーマンのコピーロボットがマジでほしい今日この頃、冷え切った事務所でこのBlogを書いている自分っていったい・・・「そんな暇あるなら、年賀状書けや!模型作れや!掃除しろや!」と、斜め45度上方より私を鳥瞰しているもう一人の自分が、私自身に言葉攻めだ。

 これからやりますよ・・・あぁ今何時・・・orz

 寝ている間に、親切な小人が出てきて、こういった仕事やっといてくれないかな。

 これを書いている最中、つけっぱにしているCATVから、バカボンのパパが41歳だと判明。あと三年弱でこうなるの・・・私・・・そう言えば最近、鼻毛の伸びるスピードが速くなったような。

 

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2005年12月28日 (水)

私の見える世界

 模型製作がテンパッている。忙しくて時間が取れないのだ。取れたとしても一時間・・・まるでだめだ。すいません今から告白します。一月六日のweb締め切り多分無理。なので過去に作ったカワサキの画像データを送っておきました。二月から新宿の西南堂にてリアルワールドの展示会があるので、それにはちゃんと間に合わせます。

 性格上、妥協が許せないもので・・・。

 さて、これから書く事について「大きく出たな」と皆様は思われるかもしれません。誤解されるのを覚悟で書きます。私の模型論と言うかリアルって何かって・・そんな意見です。

 それは、作り手の頭にあるイメージだと思うのです。KIM's HOUSEの輕部さんの作品の中古車のようなリアリティー、MOTO MODELINGの柴田さんの、まるで今工場からロールアウトしたばかりのリアリティー、プロヴィーニ追悼作品展のギャラリーコーナーのSHOGOさんこと、笑後さんの作品の持つ、まるで完成品に背筋が通った、凛とした上品な佇まいを纏ったリアリティー。全ては作り手一人一人皆の頭の中にある、モーターサイクルのイメージを、今現在の技術で再現できる限りの手法を用い、脳内イメージと云うヴァーチャルな物を、完成品と云ったリアルな物に変換する作業なのだ。

72tank  それでは私の目指すものは何かいうと、空気感なのです。縮尺された模型は、本物をちょっと距離を置いて見ているのと同じだと思うのです。ちょっと離れた被写体を観察すると、その間にある空気がフィルターの役目をして、彩度は落ちて明度が上がります。またサイズが小さいと光の拡散で、細かなディティールは飛んでしまいます。そんなときは光線の当たるところにハイライトを入れ、陰になる部分にはシェイドやシャドウの暗い色を差してやります。私にとっての模型製作は三次元の絵画を描く行為なのです。(画像は掌よりも小さな1/72の戦車です。ハイライトや影を描く事の説明として)

 今作っているのが二輪レーサーの模型であるなら、小春日和のサーキットのパドックに佇んでいる様な・・・、そんな完成品を作れればと思い日々精進しているのです。

 「また馬鹿な事を・・・」と、次に書くことについて、この記事をお読みの皆様に再び笑われると思いますが、私の目指すところはフェルメールの絵画の世界、フェルメールが作り出した空気感、あの様なリアリティーを目指しているのです。その画家フェルメール自身も遠近感を表現するため、カメラオブスキュラと言う針穴写真機の原型のような装置を使ってデッサンをしていたと伝え聞いています。そのフェルメールの作品「デルフトの眺望」、この空気感、リアリティーに憧れずにはいられません。

 こんな大きな事を言ってますが、現実の目標はまだまだ遠く、それに至る道は険しいのです。

  ちょっと前に、プロ写真家が逃げちゃう位の写真の腕をお持ちの無茶士さんに贈った言葉を、今現在の私の覚悟として、ここに記す事とします。

「私は私の見える世界を皆に見せるための機械だ」

 Dziga Vertov(1896-1954)ポーランド人映画監督の言葉より

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2005年12月27日 (火)

オムレツのドミソース掛けグラハム・カー風

 最近、お袋の手伝いで、夕食時に厨房に立つことがめっきり多くなりました。昨日はお魚のカレイを五枚に卸しましたし、ちゃんと中身が半熟のオムレツも親父とお袋の夕食のために焼いたりもしました。(ちゃんとドミソースつきで)

 この週末より、東京より弟一家が帰ってくるようなので、オフクロが家の準備(掃除をしたり、帰省してくる皆に振舞うおせち料理の下ごしらえ)をしている手前、私が料理を手伝っていると言う訳なのです。おばあちゃんが要介護な状態なのもあって、家事の忙しいときには、このくらいはやらないと唯の馬鹿息子となるので、こういった時には愚痴が出る前に、ちゃちゃとやってしまうのだ。

 学生時代、百を超える数の三角コルベンを、ケミカルフリーとなるまで洗浄ながら、同時に実験をする段取りをつかんでいたので、家でも料理をしながら使い終わった、鍋、釜、食器を洗うのを同時進行で行うことができる。料理なんて科学実験と同じなんですよね。始める前に頭の中で段取りを決めればその行程の8割は終わっているんです(様な気がする・・・)。

 ちょっと欲が出て、この前テレビでやっていた、フォークひとつで作るオムレツに挑戦したのだが、最初の一個目(お袋分)はちょっと熱が通り過ぎ、再チャレンジの親父用は何とかきれいな黄色の中身半熟のオムレツが焼く事ができた。先にも書いたように、科学実験としてオムレツ製作を考えれば、卵の蛋白質が熱変性を起こすタイミング、そのきっかけの熱量を考えながら、火からフライパン離したり近づけたりしながら調子をとることがコツだと分かって来ました。

tomato  ドミソースの味付けは、かなりアバウトでしたが、この前MOTO LAVOROの忘年会で、お仲間の内山さんから頂いた、美味しい手作りトマトケチャップの味がフォローしてくれ、好評でした。

 ただ、自分でも思い返すと、どのくらいアバウトだったかというと、“グラハム・カーの世界の料理ショー”(たとえが古いね)並みにアバウトでした。もう一度同じことをやれと言われても、再現性はありません。しかも、結果オーライなところまで番組といっしょです。

 鉄のフライパンでオムレツを反す、これもちょっとした筋トレみたいなもので、けっこう疲れるのです。

 「おーいスティーヴ、お冷頂戴!」 

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2005年12月26日 (月)

井の中の蛙と雖も

 この週末の稽古で、剣術の先生に四度は斬られた。後の先(返し技)の型の決まり事で、私は打太刀の先生を倒す側の仕太刀であるのに、返す前に斬られているのだ。

 「持っているのが木剣と思わないで、真剣で私を斬るつもりで来なさい」と注意を受ける。

 この日は、素足の感覚が無くなる程冷え切った板張りの道場だったにもかかわらず、10分も木剣を使い型の稽古をしていると、張り詰めた精神状態の中、変な汗をかくのです。

 「動きにメリハリをつけて。それでは刀を置きにきてるだけ、斬れていない。腰を前に出す。そんなに力まず、刀に身を任せる」あぁ・・・思い出してこう書いていても注意だらけだ。なんだか出来の悪い生徒で、申し訳ない気持ちになる。

 今頃になってとお思いの方もいらっしゃると思いますが、私が習っている剣術の流派をここに記そうと思います。ずっと、その稽古内容について行けるか不安だったので、心底、覚悟が決まるまで、書き辛かったのです。(コメント欄にチョコッと書いちゃった事はありましが・・・)

 私が今、習っているのは「雖井蛙流平法」と言います。読みは「せいありゅうへいほう」です。最初の「雖」の字は読みません。開祖・深尾 角馬は丹石流、去水流、東軍流、卜伝流、神道流、新陰流、富田流、タイ捨流、念阿弥流を学び、これら流儀の極意に対する「返し技」として雖井蛙流平法を生み出しました。

 流派の名前の由来は、「井の中の蛙と雖(いへど)も」つまり、自分は因幡の国の取るに足らない武士だが、剣についてはそうではないぞ、といった気概が込められているのです。兵法を平法としているのは、平時より備えるべき心得として名付けられているからです。

 一時間に及ぶ稽古の終りに「もっと呼吸一つ、歩み一つに気を配ってください。これから斬り合いに入る人間が、軽率に前に出たりしませんよね。そういうことなんです」と指導を受ける。

 そんなことだから、斬られるはずのない仕太刀なのに、四度も斬られたのです・・・。

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2005年12月25日 (日)

ランボルギーニ・ムルシエラゴ!!

 甥坊主がトミカのランボルギーニ・カウンタック(私的にはこう読むのは不本意)、ムルシエラゴの二台を手に入れたらしい。

 電話口で私相手に自慢が始まった。そこで「なんでカウンタックっていうの?」とストライクな質問をしてきた。甥よ、質問した相手を間違えましたね。覚悟しなさい。と言う事で、みっちり教えてやりましたカウンタック(クンタッチ)の名前の由来を、すると解ったのか解らないのか、それとも簡単に答えてきた伯父をなんとか困らせようとした、浅はかな子供の考えなのか、「じゅあムルシエラゴは?」ときた。あぁ・・それも伯父さんが知らぬはずがないであろう・・・なんやかんや言ってもやはり五歳児だな・・・と言う事でこのスペイン語で「蝙蝠」と言う意味、そしてその由来も、子供にわかりやすいようにみっちり教えてやりました。

 そばにいた義妹によると、電話口で「すごいねぇ~」と連呼し眼をキラキラさせていたそうだ。

 何でも、聞く処によると、彼のトミカ・コレクションはたいしたものだと云う。しかも子供らしく遊ぶのではなく、綺麗に並べているのが好きらしい。

 あぁ・・・こんな伯父さんみたいになっちゃあ、駄目じゃないか。

 冥府魔道に堕ちるぞ。

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2005年12月24日 (土)

サウジの王子様

 SONYの株価がえらいことになっている。

 何でもサウジ・アラビアのアルワリード・ビンタラール王子が、投資を検討している企業の一つとして同社を挙げているそうだ。

 今の時期のこの投資話、なにか感じません?

 インテルはアメリカに本社がありますが、事実上、チップの生産拠点はイスラエルに存在します。チップの名前も旧約聖書の中の言葉からとっているくらいです。

 今現在、各マイクロチップメーカーが脅威の眼で見ているSONY製CELLプロセッサ。

 ただ単なる経済活動としてではなく、もしかして宗教的なパワーバランスのイスラム側として、インテル社に対抗できうる可能性の有るマイクロチップ生産メーカーになるであろうSONYに投資するのでは?なんてうがった見方しかできない、大うつけの私が居ます。

 さーて週明けの東京市場どうなりますやら。

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2005年12月23日 (金)

五十六億七千万年

ankoku  昨日のニュースに、“生まれたばかりの銀河が、宇宙の2割を占める謎の「暗黒物質」とみられる塊の中に存在する様子を、2つの研究チームが国立天文台のすばる望遠鏡(米ハワイ島)を使って観測した。”とあった。

 ちょっと待ってくれ!!!これじゃあまるで漫画の中の名作中の名作、諸星大二郎の「暗黒神話」そのままじゃないか!!!

  1976年の漫画で予見されていた事をこういった形で見るのは、なんだかとっても変な気分です。

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クルクルパー

 またCATVのアニマックスネタで恐縮なのですが、深夜放送されている“元祖天才バカボン”が松永的に今、最高にいけている。

 昨日放送分で最高に笑ったのが、空手家が頭突き使って板割りをしていて、頭が痛いと医者に掛かるのだが、お医者が空手家に「これ以上、空手で頭を使うとクルクルパーになります。」と言うのだ。「クルクルパー!!!」久々に聞きました、しかもテレビ放送で連呼している、もうおかしくておかしくて・・・。

 この話の落ちは、お約束の通り、空手家が最後にはクルクルパーの電波・お花畑系の方となり、自分の頭をトンカチでポカンとやると難しい数学の問題を説いてしまう。クルクルパーと天才は紙一重と云う“天才バカボン”の黄金律を見事に表現した内容でした。

  一回ニ話の放送なのですがBパートの話では、なんと!つながり目玉のお巡りさんは、警視庁模型倶楽部エースだとの事が発覚、石炭で走る鉄道模型のD51三重連を自作してしまう腕前、しまいには、1/1のスクラップのD51をレストアしてしまう・・・ある意味、我々不老隊にとっては神だな、つながリ目玉のお巡りさん。

 メンバーの皆様どうよ?・・・駄目ですね。

 しかし・・・また流行らないかな「クルクルパー」w。

 でもこの台詞、今のテレビで連呼していいの?

 バカボンのパパならこう言うであろう「これでいいのだ」

P.Sちょうど今はまっている本も、赤塚つながりでした。

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2005年12月22日 (木)

腰に来てます

 先ず初めに。コンピューターの入れ替えできましたが・・・防壁が無いっ!!一日に何回かワームの侵入を阻止したと言う警告が出る昨今、そんな環境でNETに繋げませんと云う事で、対策済の古いコンピューターを使ってこの記事を書いています。明日には最新版のシマンティックのソフトウエアが来るとのこと、新しいやつは明日から活躍してもらいます。なので今日一日メールも見ていません(メールアカウントとか移しちゃった)悪しからず。

 さて、今日のタイトル「腰に来てます」ですが、これを読んで皆様は「ついにトレーニングのオーヴァーロードで腰をやりおった。松永はアホやのぅ~」とかお思いでしょうがちょっと違います。

 確かに、少し腰痛が出ています。しかし逆にトレーニングでその痛さは和らいだ方です。ではいったい何が原因で、こんな事になったかと言えば・・・「雪かき」が原因なのです。

 メインはホンダの除雪機で雪かきをするのですが、車庫に面した歩道と路側帯の部分にかけて、車道の雪を除雪車がかいた雪が、大量に大量に大量に(どれだけ大量かわかってもらえます?)積み上げられている。これじゃあ車が出せないのでこの山を崩して車が出るように雪かきをしなくてはならないのですが、もはや除雪機なんて使えないレベル。そうなると使えるのは、スコップとミオシンとアクチンの筋収縮運動に頼るのみで、夕刻から行うトレーニングジムでのトレーニングと同等の、厳し~い肉体労働が、会社の出社前にガッツリ待っているのである。雪の馬・鹿・。しかも体位は同じポジションで少し中腰、腰に来るんですねこれが。

 だけど「家の前の歩道はその家の人間が雪かきをする」それがこの町の暗黙のルールだ。(最近はやらない世帯も多いが・・・。)この町内の最古参である我が家、本家九代目(馬鹿息子とも呼ばれている)たる私の責務でございます。←雪かきごときで大袈裟。

 今、真剣に模型製作をやらなければならない時期なのに、朝の雪かき、夕刻の筋トレで、帰宅した時にはすっかり魂が抜けて空蝉(うつせみ)な状態、低炭水化物で高たんぱくの質素な夕食を食べ、お風呂に入ると、「もう寝ろ」と体が言うのです。(涙)

 納期、本当に軽く(マジで)ヤバイです。模型製作の脅威、それは豪雪だった・・・今もまた物凄く吹雪いているし・・・来週末はもう一つの脅威、東京の甥&姪のプチ・怪獣兄妹がやってくる。マジでヤバイ・・・でももう寝ます、疲労がピークなんです。

oragamachi AM8:15自宅前の光景です。

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2005年12月21日 (水)

ぐっときた

 この前から映画“ミリオン・ダラー・ベイビー”を「何度も何度も繰り返し」(モーガン・フリーマン調で)観ている。“ミリオン・ダラー・ベイビー”と言えば、クリント・イーストウッドが監督した昨年のアカデミー賞4部門を獲得した、女性ボクサーのお話だ。

 何度も見ていると書いたが、正確に言えば通して何度も見ているのではなく、同じシーンを繰り返し見ているのです。

 そのシーンとは、冒頭のトレーニングシーン。

 そのシーンにオーヴァーラップするモーガン・フリーマンのナレーションは我々世代にはなんか懐かしい、まるでやさしい語り口バージョンの丹下段平「明日のためのその壱・その弐・・・」なんですから。

 もう号泣である。「なぜ?」って、このトレーニングシーン、まるで他人事とは思えないのだ、イーストウッド演じるトレーナーに主人公マギーが、トレーニングを着けてくれるよう頼むシーンから号泣。軽くヤバイです。

 周りでその様子を見ている家族も引きまくりで、お茶の間で潮干狩りができそうです。

 でもこのモーガン・フリーマンのナレーション、私が日ごろジムや道場で言われている事とまるで同じなのだ。

 洋の東西は違えども、命がけの人間の尊厳の競技と言う意味では、体の鍛え方は同じ事になるのだと、よーくわかりやした。

 よって昨日も、この寒い中汗だくで湯気ボウボウ、最後の方は疲労でトレーナーの声しか聞こえなくなるほどのトレーニング内容でした。

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2005年12月20日 (火)

Welcome to The Fight Club

 大雪である。洒落にならないくらいの雪である。なんたって普段の足の四駆の軽四輪は、タイヤはもちろんスタッドレスだが、後輪にチェーンを巻いた。「スキーに行くんじゃないんだから」と言われる方もいらしゃいますが、坂の登りの圧雪の上など、スタッドレスなど意味ないです。そのくらい凄い雪なのだ。

 そんな雪の中、ジムに行ってみると、いつもよりゆったりできる少人数、面子は毎日会う方ばかりだ。その中で最近仲良くなったのが、高校生の男子400mの選手の学生君。

 やたらと私のトレーニング内容にライバル心というかチョッカイを出してくるのである。私のやっている重りを見ては、「140kg!!俺も」とか「いやー、今日からもっと厳しいのになったんすよ、いっしょにやりましょうよ。」

 もちろん私の答えは「やだ!」「僕は僕の体つくりがあるんです。君はちゃんとトレーナー師の言う事聞いて自分のすべき事をしなさい(笑)」と言うと。

 「いやーきびしいっす」と言って悪びれた感じもなく、また同じノリでやっている。若いっていいなぁ~。でもそれじゃいかんぞ400mは命がけのレースじゃないか!!辛いトレーニングでめげないよう、「なんか毎日来ている変なオッサン」を、たまにからかって遊んでいるだけだと、良い方に考えたい。

 同じように毎日来る組の面々の方が、こんな感じで天気が悪く足元の悪い少人数の時、いつもの様に混んでいてマシンをチャッチャと捌く必要がないのか、結構話しかけてこられるのです。

 「毎日来られてますね」から始まって「何かスポーツをやられているのですか?」「いつから来られているのですか?」「メニューの内容は?」時には「歳は?」とか「どうやったらそんなに痩せられるのか?」・・・ 実は、私は普段から寡黙なトレーニングを心がけ、あまり来ている人と話すと言う事をあえてしなかった。マシンの待ち時間が長くて、間を持たせるのにどうしようもない時とかには、一緒に待っている人と待っている間、ちょっと話す事があるのですが、原則トレーナー師と身体を作るための質問以外は、特に私や相手がトレーニング中であれば話す事をしないようにしていたのです。

 ただこういった私の姿勢が「少し前から毎日来る、謎の人」となっていたようで、今回、ちょっと雑談話をしていると、次から次に他の人が横入りされてきて、上記のような質問を矢継ぎ早にされ、ちょっとしたプチ・コミュニティーができあがる。

 そしてこれら質問の相手は、実はサッカーのJ2の選手だったり、ハンデキャップを一桁にするため必死になっているゴルフ愛好家だったり、体型維持のため毎日30分でもあれば来ている(私と同じだ・・・)OLさんだったりと様々だけれど、皆同様にストイックだ。類友なのである。

 こういった面々に次のような事を言おうと思ったが、皆がこの映画を見ていなくて洒落が通じなかったら・・・と思いやめてしまった。

「ファイトクラブへようこそ!ルールその1、クラブの事を口外してはならない。ルールその2、クラブの事を決して口外してはならない・・・・」

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2005年12月19日 (月)

200回目の更新

 今回のこの記事がこのBlogを始めて、200回目の更新となりました。累計アクセス数も41,000をちょっと超えたくらい。最初の一ヶ月が一日辺り10+αくらいの訪問者だったことを考えると本当に信じられません。

 ほぼ毎日の更新を続けるモティベーションを維持する事ができたのも、懲りずにこんな半ヒッキーの戯言とも取れる変な記事を読んでくださる皆様のおかげです。本当にありがたさで一杯です。

 Blogを書いていて自分でも思うのですが、この私の偏重した「知らずにいられない・・・」と云うこの知識欲ってなんなんでしょう。思い起こせば私が本を読むと云う行為に没頭した最初の記憶は幼稚園の時、親が買ってくれたオールカラーの昆虫図鑑でした。字を覚えたのもこの本、何度も何度も読み返し、その図鑑に載っている昆虫は全て覚えてしまった。その後小学校に入ると「ファーブル昆虫記」「シートン動物記」学研が出していた「科学の漫画全集」そしていまでも読みたい「クワガタクワジ物語」。こうして理科大好き少年となっていきます。

 幼稚園の頃から仲間と山に入っては虫取りが日課だったので、今やっている春の山菜、秋の茸狩なんてその延長のようなもので、ちっとも自分としては違和感がない。

 東京時代の大学生の時、上京してから数年間テレビを持っていなかった時期があったのですが、それ原因で過剰な読書癖、映画館(笹塚駅の下にあった名画座・笹塚京王)に入りびたりの日々となったのです。食費を削って映画を見ていたのあの日々・・・何もかも懐かしい・・・(By沖田艦長)。テレビと言うメディアを否定するつもりなど毛頭ありませんが、また一方で、見ないと選択することによって、いかに日々の時間をテレビ視聴に割かれているか・・・そんなことを解ったことだけでも収穫です。こんな感じで今の私の下地が出来上がったように思います。

 それと、上京して数年間、笹塚にいたため、村山モータース、諸井・敬商亊で、イタリアのオートバイを見て、MOTO GUZZIをGUZZI SPORTで購入するに至ります。

 こうやってBlogを書く事は自分を客観視する上でも良い道具ですし、毎日更新する行為も、自分の中身を搾り出す感じで辛い時もありますが、緊張感があり、日々に張り合いが出て良い物だと思います。ネタを作るために好奇心が磨かれます。

 さあ、「これから私もBlogを始めようかな」なんて思っているあなた、思い立ったが吉日です。鼻を摘んで「えいっ」とこちらの世界へ飛び込んでみてください。

 これをお読みになっていらしゃいます皆様、これからもよろしくお願いいたします。

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2005年12月18日 (日)

理力の共にあらん事を

 12月1日の記事「藍より青く」に書いた装束についての続報です。っていうか本当にあの記事のままなので・・・私も無茶士さまに対して説明責任があると思っていたので、ただ、文字で書くよりも百聞は一見にしかず。特別に画像添付だっ!!もちろん下着は無しだ!

keikogi

 撮影場所、我が家坪庭。

 まくらはこのくらいにして・・・、

 今日、道場に行ってまいりました。

 自分が駄目駄目すぎて、稽古の内容についてはまだ記事に書ける次元にありません。

 ただ先生より重要なアドヴァイスを頂きました。驚いた事にトレーニングジムのトレーナー師と同じ事だったのです。「一番難しいのは歩く事、呼吸する事」「機械的にただ前に足を出しているだけじゃありませんか?普段からちゃんと考えての足運びを心がけなさい。呼吸も同じ、ただ、息を吸って吐くだけの呼吸になっていませんか?間合いの取り具合は呼吸と、足運びに重要なポイントがあります」という事でした。

 「レースの時のコーナリングに飛びこむ時の呼吸もおなじだ・・・あれも間・・・やはり深く掘れば横につながるな物事は」と思いながらも、足運びすら儘ならない自分に対して苛立つ自分がいます。でも苛立つ所が未熟ですね。

“感情をコントロールするのじゃ”マスター・ヨーダ台詞が身に染みます。

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2005年12月17日 (土)

田舎者の推察

 最近、「『安い』という事には理由が有る」という至極当たり前のことが、マンション・ホテルの構造強度偽装問題&アメリカ牛肉輸入再開等で声高に言われるようになっています。

 デフレのスパイラルから抜け出すため、日銀がいくら量的緩和をやっても、この数年ほとんど効果がなかったのは、それを受け入れる事ができない「安さ=正義」と言った世間の風潮があったように思えます。しかし、上記の二件の事柄が、そのデフレの根源たる人の気持ちに冷や水をかけたようには思えないだろうか?

 確かに、構造強度偽装問題はあってはならない事だし、そこに入居されている住人の方々の事を気の毒だとは思うのですが、良い悪い、気の毒と言ったような主観を取り除き、そういったこととは違う別の次元で、これらの事を観(見じゃなく観)ると、デフレ脱却のための意識改革のため意図的にリークされたり、また強硬に推し進められているのでは・・・と感じる私がいるのです。

 ここをターニングポイントとして一気にインフレに持って行き、国の債務を圧縮し、年金問題も一件落着。そんなシナリオのプロローグを書いている人物、団体がいるように思えてしょうがないのです。これらの人・団体がそのようなネタを探している時、都合よく政治家の所に相談に来た羊ちゃんがいた・・・私の単なる妄想です。

 ただ、1939年より廃止されていたコメの先物取引が、この9日より復活した事を皆様はどう思われますか? 

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2005年12月16日 (金)

体重の四倍つまり4G

 今日ジムにて、「エコノミーレッグプレス」をしていると隣の高校生にトレーナー師が「片足でのエコノミーレッグプレスは体重の4倍のウエイトに耐えられるようになりなさい。」と言っているのが聞こえた。

 「なぬっ?」と思いその会話に横入りをして、まるで五歳の甥坊主のように「なぜ?どうして?」と質問したのです。すると、「走ったりすると着地の時、片足に掛かる負担が、MAXで体重の四倍くらいです。着地時のその負荷に、関節が耐えられなくなりバランスが崩れると、フォームが崩れ結果が出ません」

 私「走ったりする競技ってことを考えると、何も陸上競技に限った事じゃないよね?」

 トレーナー師「その通りです。プロ・スポーツの一線級のアスリートの方々はこのくらいの負荷に耐えられるように身体を調整されています」

 ここで考えた、この世の中、悲しいかな、本人がいくら望もうとも、物理法則を精神力で捻じ曲げる事はできない。全てが物理法則の範疇で事が終わってるのである。関節に4Gの負荷が掛かる・・・それに耐えるため、関節の強化、つまり腱、筋肉、神経伝達経路のバージョンアップをしなければならない。しかし、それにばかりこだわると筋量が増えて、関節可動範囲が狭くなる。だとすると考え方を逆にして、算出の基礎の体重を減らせば4Gの値もおのずと減る。しかも関節の可動範囲をたっぷり残したまま。

 今、両足でやっている140kgのレッグプレスをこっそり片足でやってみた。楽勝である。「目標体重が68kgの私は、272kgができるようになればよいのかって・・・まだまだやな、体重も下半身強化も・・・」心の中でそう呟きさらなる闘志が燃え上がった。

 このオフの間みてろよ~。ジンさんがマシンのバージョンアップに励んでくれている。マシンの内容を鑑みて、ライダーの私も二皮くらい剥けなくてはならないのだ。

 トレーニングが終わりジムを出ると、寒さのため、まるで自分自身が蒸しあがった肉まんのごとく、全身から湯気を出していた。

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2005年12月15日 (木)

Na Géanna Fiáine

 最近良く起こることで「おやっ」と思うことがあるんです。

 なにか調べ物をしていて、そのことについて掘り下げていると、まったく別の事で過去調べていたことや、後追いであるが、調べていたそのものに、こっちはその気がないのにぶち当たるとか・・・縦に深く掘っている坑道が深く掘るほど横に繋がっている・・・そんな時、まるで気分はNAMCOのゲーム“鉄拳”シリーズで10連コンボのキー入力が決まった時のような気分になるのですが、皆さんそんな経験ありませんか?

 ちょっと前の記事「ドトールの隣の席」の中で、頼まれ事の調べ物をしていて“傭兵の二千年史”という本を読んでいると書きました。その本の最後の方の「アイルランドの傭兵哀史」言うべきワイルド・ギースについての章が今回のお話のキーストーンです。少し内容を記すと、

 1689年・イギリス、名誉革命で王位を剥奪されフランスに亡命したジェームス二世が、王位奪還のためルイ十四世のフランス軍と共にアイルランドに上陸します。この時とばかり、日ごろイギリスに圧制を敷かれていたアイルランド人は反乱を起こし、ジェームス二世軍と共に首都ダブリンを制圧。対するウイリアム三世率いるイギリス軍はオランダ軍と共に、アイルランド東部を流れるボイン川付近で最終決戦を挑んだのです。

 結果はイギリス軍の圧勝。ジェームス二世はあっという間に逃亡し、さっさとフランス(二回目)に亡命してしまいます。アイルランドの民衆は屋根に上がって梯子をはずされた状態になってしまいました。彼らには前にも増して一層過酷な運命しか待っていなかったのです。 ここにきてアイルランドの若者達はは故郷を捨てる事を決意し、ルイ十四世の大陸軍にアイルランド傭兵として入隊します。その数一万二千から一万四千。

 そしてアイルランドの悲しい歴史を背負って傭兵として異国に旅立った若者を「The Wild Geese(野生のガチョウ)」と呼ぶようになったのです。

と有ります。 

 英語でThe Wild Geese、「今現在ならまだしも、その時分、敵国語の英語で言う奴おらへんやろ~(大木こだま調で)」と思い、同じ意味でアイルランド人本来の母国語のゲール語での表記Na Géanna Fiáine(ナジェナフィエン)を調べた時です 、「はて、この謂れ、それとこの言葉、かつてどこかで見たような・・・」と私のゴーストが囁くのです。灰色の脳細胞の記憶を辿って行くと、バイク仲間の岡部さん(PROTARの岡部さんと違うよ)と飲みに行ったスナックの光景・・・「そうだ岡部さんがボトルキープしていた、Hennessyのウイスキー!!!」 

 「なにゆうてるねん、Hennessyはブランデーでウイスキーちゃうやろ~(再び大木こだま調で)」と言う声が聞こえてきそうですが、間違いなくウイスキーなんです。しかもアイリッシュ・ウイスキーその名を「Hennessy Na Géanna 」。

 このお酒のラベルには次のようにあります。

 厳選された良質の大麦麦芽(モルト)と古代ケルト神話にも登場する清流クラン川の水を原料とし、ピートを使わないモルティングと、スコッチウイスキーやコニャック同様2回の蒸留により生まれた原酒は、7世代にもわたり培われたヘネシー社のブレンディングの技により、モルト本来のコクが最大限に引き出されながらも、極めてまろやかな味わいに仕上げられています。 

 18世紀はじめ、イギリスの支配下にあったアイルランドから自由を求めて新天地に渡った者達を、アイルランドでは畏敬の念を込めて “ナジェーナフィエン”(ゲール語で“野鴨=渡り鳥”の意)と呼びます。 その、冒険心溢れる若者達のうちのひとりが、フランスに渡ったリチャード・ヘネシーでした。 ヘネシー ナジェーナは、ヘネシー家の今も変わらぬ祖国への想いから生まれた本物のウイスキーです。

 ねっ、前に書いた“傭兵の二千年史”と後半一緒でしょ。はっはーん!Hennessy社の創始者Richard Hennessyはフランス軍アイルランド傭兵だったのね。創業は1765年、傭兵として生き抜き、引退後創業したとすれば年代的には符合します。私の拙い推理ではあるのですが・・・。

 そしてこの話には続きがあるのです。

 この週末のMOTO LAVOROの忘年会の席で、この話を少しふってみたのです、するとメカの福田さんが、ボソッと「このHennessy Na Géanna の発表会をかねたアイルランド大使館で行われたレセプションに出席してたんですよね、私・・・」とカミングアウト。 上記の内容を聞いてみると「なんかそんな話してましたよね・・・」ってさらっと・・・こんな人がスタッフにいるMOTO LAVORO、恐るべし。

 最後に、Hennessy社が自身のルーツを賭けて作ったお酒の味ですが、非常に上品な丸い味だったように記憶しています。疲れた仕事帰りに一杯やってみてください元気が出ます。

  それでは「Slaintheva(スランジバール)!!!」

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2005年12月14日 (水)

Out of order

 松永@故障中です。

 日頃の無理がたたったのか、ちょっち体調崩しております。

 傍目には、顔色凄く悪いそうです。どのくらい悪いかと言うと「ホランドがステルス塗料を顔に塗っているくらい悪い」そうです。って「“エウレカセブン”なんて日曜朝7時からやっているTVアニメ見てないと、わからない事書くな」とお叱りの声が聞こえてきそうです。

 すいません、故障中なもので。

 でも、身体に鞭打って仕事だけはちゃんとしています。ただ今日のこのBlog0:00更新は力尽きて無理でした。

 明日はちゃんと更新します・・・。

 さぁ~て仕事仕事。

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2005年12月13日 (火)

The Longest Weekend 2

 昨日よりつづき

 8:00になるとジンさんkuwaさんと3人そろって、MOTO LAVOROに出社(社員でもないのに出社って(笑))です。

sus  そこで見てはならないものを・・・私のオーリンズ「フォーッ!!!」ク。

 あまりの輝き(あ゛ーっちょっち派手すぎた) に手ブレちゃいました。ごめんなさい。

 ジンさん、これを手に取り「クック」と細かく押しながら、「やっぱオーリンズだよなぁ~サスペンションは!この細かい動き・・・。」と上機嫌。うひゃ~これが来期、我が愛機に付くのだ。12:00までお邪魔をして、昨日に引き続き渋谷に出動です。

 待ち合わせの場所モヤイ像の髪型がドレッドなってる・・・。サッカーワールドカップのための装飾のようです。

 今日の面子はzukaさんgoshiさん瓶星さんkuwaさんそして私です。話すためにbunkamuraのB1「Les deux magots」へ。

 zukaさんgoshiさんそしてトリノ帰りの瓶星さんは、この日の高い昼間から、アルコールです。「じゃ私もそういうことで」って云う感じでオーダーを取りに来られていた若いギャルソン氏に「メニューには書いてないんですが・・・(もじもじ)普通のペルノーじゃなくてペルノー・アブサン有ります?」と駄目元で尋ねてみると。ギャルソン氏「お店には・・・・(ここで彼の目が光る「キラーン」)私の私物で良ければお分けしますが」と願ってもない申し出、渡りに船とはこのことです。(←ちがうだろ)

 「飲み方はどうされますか?ストレート?」それに答えて「『しきたり』どおりに角砂糖と、冷たいお水をお願いします」

 「わかりました」とにっこり、なんか「お前に飲む資格あるのか」ってテストされてる感じ。さーて、一人だけなんだか盛り上がってきたぞー!!

 さて皆のオーダーがテーブルにサーヴされてきました。もちろんアブサンは抜かりなく「アブサンレードル」付きで。ちゃんとこういった小道具までそろえているのが「Les deux magots」の「Les deux magots」たる由縁。と言うより夜の銀座ならまだしも、昼間の渋谷で、こういった客に我侭に、柔軟に対応できる若い(←ここ重要)ギャルソンの質の高さにビックリです。もう客とギャルソン氏の丁々発止の戦いの場であります。

 テラス席でしたのでちょっち寒かったですが、遠巻きに見ているギャルソン氏の視線、追加オーダー、空になった食器の引き上げタイミングといい、ホスピタリティーは非常に良かったです。

 サービスのよさに「これで暖かい飲み物でも」って自然とそのギャルソン氏に、清算の時のお釣の範囲内の小額でしたが、ちゃんとした喫茶店でコーヒーを飲める位のチップを渡さずにはいられませんでした。本当に自然に。「良いサービスだったなぁ~。これより私は、上京の折の待ち合わせは、ここに決定」(深夜プラス1のカントンの様に)お店を出る時、長ーい登りのエスカレーターに乗った我々を、見えなくなるまでそのギャルソン氏は見送ってくれていました。

 「してアブサンどうだったのよ?」と画面の向こうから聞こえてきますので、簡単に説明すると、フィンセント・ファン・ゴッホの「星月夜」って云う作品がありますよね。「あれって写実作品なんだ」って実感できると言えば解りますか?

 その後、kuwaさんと私の帰省時間調整のため、皆で別のお店でちょっとした時間つぶしをして、渋谷駅から羽田に向いました。

 お約束なのか、空港に到着して、鳥取への出発ロビーに入って待っていると、昨日と同じようにこれから乗る予定の到着便遅れによるスケジュール変更のアナウンスが流れていた・・・。

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2005年12月12日 (月)

The Longest Weekend 1

 東京より帰ってきました。いろいろありました。

 それでは、いってみよう!

 9:10発の飛行機に乗るため8:30には飛行場に到着。搭乗手続きを済ませ出発ロビーにて飛行機の到着を待っていると。到着便の出発遅れのため9:10発が10:45に遅れることに・・・。お食事代と言う事で全日空より1000円を頂きましたが、このスケジュールではとても『イームズ展』見に行く時間無いや・・・。

 なんと羽田到着が11:10、ボーディングブリッジ着でなく飛行場内バスでの到着ロビーまで移動なのでここで10分のロス、1:00に模型仲間と約束しているシェラトン・ホテルのロビーでの待ち合わせに間に合うか・・・それよりも前に、一緒に横浜に行く、PROTAR/JAPANの岡部社長との渋谷12:00の待ち合わせに遅刻しそうです。

 グルカバックの肩掛けストラップを襷がけ(さすが英国傭兵仕様)にして、徒歩区間はひたすらダッシュ!!階段も二段飛ばし(あぁ日ごろの鍛錬が役に立つ)柵越えも股関節の柔軟性が上がって足が上がるので、まるでハードルを飛び越えるよう、ひたすら走るのです。(太陽にほえろ状態)途中、携帯に岡部社長からの連絡があり、飛行機の羽田到着遅れで遅刻する故を話し、急いで渋谷に向います。東横口で岡部社長と合流し、皆の待つ横浜へ。10分ほどの遅刻をしてしまいましたが目的地に到着しました。気温は寒いくらいなのに額に汗かいてました。

 そこでは、岡部さん、青年隊の笑後さん、NOG兄さんと私を、このようにリアルワールドで巡り合わせてくれた張本人、今はもう存在していないHP“SCALE MODELS PAGE”を主催をされていた栗原さん。その氏と何年かぶりの懐かしい再開です。

 近場のファミレスで私の滞在限界時間18:00までがっつりと濃い話が始まりました。まるでヲタクダメ男漫画“THE3名様”みたいだと私が言ったのでしたが、他の皆がどんな漫画か知りません・・・ある意味幸せだったような・・・(笑)。聞けば栗原さん今は模型からはなれ、ビーシュリンプと言う海老の飼育に凝っているとのこと。相変わらずのこだわり具合に納得である。

 模型の話などほったらかしで、それぞれの近況、こだわっている事、こだわっていた事、話は付きません。あっという間に18:00です。皆と横浜駅まで行き、今度はゆったりと時間が取れるよう再開を約束し、今回の本題、「MOTO LAVOROの忘年会」のため渋谷のお店「七半」に向います。この日本料理店の名前を見て「ニヤッ」っとした方、正解です。社長さんはバイク大好きです。

 扉をくぐると、もう大先輩が来られています。「まっちゃん!」「おっ、遠いとこから又来たね!」なんて一年ぶりの再会を喜んでいると、五郎さん登場。私に握手を求めながら、この前私の書いたBlogの記事を「どうもありがとう」と私の出した右手を両手で「グッ」と握りながら褒めてくれたのです。(正直嬉しかった・・・)皆がそろった所で会が始まり、それぞれ仲間と楽しい話をしながらの宴です。久々のお酒、普段の質素極まりない食事に比べ、なんとおいしい料理。幸せな時間ほどあっという間に過ぎていきます。話したかった相手とも十分に話ができぬままお開きの時間となりました。私とKuwaさん、神宮司社長(ジンさん)とスタッフの肴倉君、そしてGUZZI道大先輩の北島さんと二次会のお店に流れ込みます。

 そこはジンさんの行きつけの世田谷のお店。一次会で席の離れていて、あまり話しのできなかった北島さんとじっくりお話ができました。ここも2:00でお開きとなり。タクシーにて横浜のジンさん宅に向います。kuwaさんと私は泊めて貰う事となっていたのです。この松永、誠に不覚ながら、ジンさん宅に付くや否や堕ちてしまいました・・・。ちょっと横になったら記憶がありません。物音(ジンさんが起きてゴソゴソやってた)で「はっ」っと気が付くと朝の7:30でした。あー宇宙人に誘拐されていた気分。

 日曜日編は明日に続く・・・

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2005年12月10日 (土)

No Rest for the Wicked

 またまた東京です。

 今週末は、『GUZZI SPORT JINGUSHI』改め『MOTO LAVORO』の忘年会で渋谷にいます。

 午前中には羽田に着くので、目黒都立美術館に行ってイームズ展を見て、その足で横浜に行き、インターネットの普及期に、模型のHP(もう今はもうない)で知り合い、サンデーレース以外の私のもう一つの生甲斐となった模型製作の仲間とのちょっと遅めの昼食、そこでは何年もお会いできていない方との面談もあるんです。積もる話も有ります、お会いできるのが大変楽しみです。

 その後、先に述べたMOTO LAVOROの忘年会です。多分朝まで・・・。そして翌日はそのままKuwa氏とzuka氏そして私で会食、濃いーい会話の予定です。すでに相当濃い前振りがzuka氏からありました。「フリッツ・ラングの“M”のDVD出してるところ知らない?」って。私もこのフリッツ・ラング作品を調べていたばかりだったので「北米仕様のリージョン1の物であればAMAZON.COMにあるよ、日本版は版権が切れていてすでに絶版。」と即答できてしてしまう辺り、電話の後に自分の業の深さに気が付き「・・・」となっちゃいました。

 そして急いで羽田に向かい、鳥取へととんぼ返りです。

 又、休息無しの週末ですね。諺にあるように「悪人に休息無し」なのですかね。

 よって明日のこのBlogの更新はありません。

 明後日午前0:00更新の「The Longest Weekend」でお会いしましょう。

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2005年12月 9日 (金)

神の見えざる手

  8日の東京株式市場で、東京証券取引所のマザーズ市場に同日上場したジェイコムの株式に対し、みずほ証券が誤って大量の売り注文を出したようだ。 

 それでは、みずほ証券がどんなミスをやらかしたかというと、

 同日午前の取引開始直後、ジェイコム株の売買注文の入力を、1株61万円で1株の売り注文を出そうとしたらしのだが、実際は、1株1円で61万株の売り注文を出してしまった。(ノ∀`)アチャー
 誤発注の影響で、ジェイコムの株価は乱高下。初値は67万2000円だったが、その後急落、ストップ安の57万2000円まで値を下げ、その後、買い戻され、今度は、ストップ高の77万2000円まで上昇、取引を終えた。
 ストップ安の値で買えた人、おめでとう!!うらやますぃ~。

 この日の取引終了後、みずほ証券が誤って発注したことを発表。相当数の株式が投資家に買われちゃったみたいなんだけど、みずほ証券、現物用意できるの?だってジェイコムの発行済み株式総数は1万4500株しかないよ。このままじゃ買方すべてに株券が用意できないじゃん。コワー

 「その場合、『みずほ証券が投資家に対し、株券の代わりに現金を供与することなどが考えられ、数百億円規模の資金が必要になる』(準大手証券)との見方も出ている。」ってNEWSに書いて有るけど、こんなことって許されるの・・・?証券会社は普段から個人投資家には「自己責任です」なんて言っているくせに、自分がミスって困ったからって勝手にルール変えるなよな。

 さーて幸運なホルダーの皆様、明日からお祭り相場の予感・・って言うよりみずほ証券が作り上げた「一人自爆シテ相場」の始まりです。どこまで上がるか、まるでチキンレースの様相です。

 こういった場合って、アダム・スミスの言う処の「神の見えざる手」って現れるのでしょうか?

 明日からのヤフーファイナンスのジェイコムの欄を見るのが楽しみだ・・・w。

  しつこい様だけどホルダーの人、「いいなぁ~」

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2005年12月 8日 (木)

猿に始まり狐に終わる

kyougen_tottori  年が明けた来月の19日、この鳥取で茂山一門の狂言の公演がある。

 演目に「釣狐」の文字。狂言師の世界は2,3歳の時に始めて舞台を踏む「うつぼ猿」の子猿の役に始まり、この「釣狐」の古狐を演じて一人前と云われています。猿廻しの子猿と云えば「慰み物」。幼き折より、大衆のおもちゃと云った芸能本来の本質を叩き込まれ、人を騙し誑かす古狐を演じることができて初めて一人前、なんと狂言は実践主義な芸能なのかと感じるのです。

 じゃあいったい「釣狐」ってどんなお話なの?と言う読者もいらっしゃると思います。

 ある所に一匹の古狐がいました。一族が次々と猟師に捕らえられ根絶やしにされ、最後に残った我が身も狙われている身の上。そこで、猟師の伯父である白蔵主と云う僧侶に化け、猟師の所に行き、妖狐「九尾の狐」の玉藻前(たまものまえ)の伝説、殺生石の話など物語り、狐の執心の恐ろしさを説いて聞かせます。古狐は猟師に罠を捨てさせることに成功します。喜んで小歌混じりに帰る道すがら、先刻捨てさせた罠を見れば、大好物の若鼠の湯揚げが付いています。何度か食おうと迷い悶えますが、なんとか思い止まり、人としての化身解き身軽になってから食おうと、その場を立ち去ります。一方、伯父の所作に引っかかる思いを持っていた猟師は、罠が荒らされているのを見て、あれは狐の仕業と確信し、罠を掛け直し物陰に隠れ狐が現れるのを待ちます。やがてその正体を現した古狐が罠に掛かるのですが、命がけで猟師と立ち向かい罠を外して逃げて行く・・・そんなお話です。

 為政者に愛された能とは違い、大衆に愛された狂言。その内容はユーモアを交えた体制批判であり、直球勝負で弾圧の対象となるを避け、「狂言」と云う言葉が表すとおり、「まともな話ではなく、狂った言葉なんですよ」と上手くかわしているのです。こういったことは洋の東西を問わず、スウィフトの「ガリバー旅行記」、カレル・チャペクの「山椒魚戦争」ガルシア・マルケスの「百年の孤独」なども言い訳として「馬鹿げた御伽噺です」と煙に巻いている同一のジャンルである。

 そういえば古の中国に、気が狂っているとされ、字(あざな)に狂の字を持つ接輿(せつよ)と云う名の楚の人がいました。その人が孔子に向って詠んだ漢詩です。

鳳兮鳳兮
何德之衰
往者不可諫
來者猶可追
已而已而
今之從政者殆而  狂接輿

(読み)
鳳や、鳳や、
何ぞ德の衰へたる。
往く者は諫(いさ)むべからず、
來る者は猶(な)ほ追ふべし。
已(や)みなん!已(や)みなん!
今の政に從ふ者は殆(あやふ)し。

(現代語訳)
孔子よ孔子よ
(鳳=徳の高い人物の事、ここでは孔子の意)
なんと德の衰えた時代になったものだ。
過ぎ去った過去はもう取り戻す事はできない、
これから来る未来はまだ追いついて変更できる。
やめた!やめた!
今の政治に携わっている者は破滅が近い。

 このような詩を詠んでいたので、狂っているとしていたのでしょう。「狂言」と同じですね。

 年が明けた一月中頃、私はこの「釣狐」に何を見るのでしょうか・・・。

 この記事を書いていて思い出しましたが、大学時代のフランス語の先生が言ってましたっけ「全ての人は、多少の差があれ狂人である」と。

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2005年12月 7日 (水)

ねむの木

 昨日、ジムから帰ってきてから、私のmini-bonsaiのコレクションの「ねむの木」の剪定をしました。

 コケ順(幹の太さが根元から上にいくにしたがって、だんだんと細くなっていくこと。小さな盆栽を不自然でなく、まるで大木のように見せるのにはこのコケ順が重要となります。)を考えて、枯れていた葉を全て掃除し、今年伸びた枝をきり詰めた。来年はもっと良い姿かたちになることを期待しながら・・・

 これがその切り詰められて裸にされた「ねむの木」です。

nemunoki  かわいそうと、言わないでください。

 来年、さらに美しくなるための試練なのです。

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2005年12月 6日 (火)

チュリニー峠の妄想

 今日のBlog記事は「MOTO LAVOROの野口宇宙飛行士」こと関戸君を、ただ喜ばせるために書いたようなものです。言うなればレーザー誘導付きバンカーバスターのピンポイント爆撃みたいなネタですが、他の皆様もお付き合いください。

 昨日は朝から何やらワクワクです。そう雪が降っているのです。←犬かあんた

 金曜日に会社の営業車のVitzのタイヤはちゃんとスタッドレスに交換済み。空気圧も水切りを良くする為、指定より0.1程高めに入れて、自分で組み替えたのだ。そこに早速の雪。あぁ「郊外の会社から仕事の電話来ないかなぁ~」なんて思っていたら。

 朝一で取引先のゴルフ場から電話。

 キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!

 それでは、本日のレグの説明です。往路はスタート地点の会社駐車場より、市街地リエゾン区間を走り、広域農道が続く高速セクションのSS1、そこが終わると温泉街に入り再びリエゾン区間、そして山道に入りワインディングが続くSS2、そして続くSS3は厳しい登りが続くヒルクライムセクション。山のてっぺんのゴルフ場クラブハウスで仕事を一発こなし、折り返し、復路は今登った坂を下るダウンヒルから始まり、ワインディングを走り温泉街のリエゾンをへて、広域農道高速セクション、そして市街地リエゾンを通過し、スタート地点だったゴールに帰る往復50kmの道のりです。

 スタートッ!!雪がモーレツに降っていて、市街地はライトオンで周りのペースに合わせ20km/hくらいのゆっくりペース。郊外で幹線道路を左折して広域農道に入りSS1が始まります。高速といっても60km/h以上出せません。だって駆動輪空回りしてるし、直線でも40km/hも出すとお尻ふらふらしているし、でも凄いスピード感。お尻でタイヤグリップを測りながらの走行です。

ss2  SS1を無事に走り温泉街の中を幹線バスに続いて走り、そこから本格的な山道のSS2に・・・・うぎゃー積雪が凄い・・・ちょっとブレーキを架けると、ABSが直ぐ作動する。40km/h以上出せない。アンダーが出て曲がりきれないコーナーは、サイドブレーキを引いてノーズをインに向け、向きが変わったらアクセルオン・・・ってこんなことできるのは、絶対速度が恐ろしく遅いからだ。でもたのしー!

clubhouse  ついに最大の難関ヒルクライムセクションだ。アクセレーションをラフにするとホイルスピンして登れない。セナ足でバッバッバッとアクセルを小刻みにあおりながら、タイヤグリップを確保しながら登っていきます。でも中々速度がでない・・・。やっとの事でクラブハウスに到着し仕事のお話です。仕事をチャチャと終わらせ、ダウンヒルから始まる復路の始まりです。

ss3

 ウワー曲がらないー、ABS効きっぱなし、タイヤがグリップしていません。アンダーが出て大回りばかりです。心臓バクバクさせながら、このSSを無事終わらせ、続く緩やかな下りのワインディングの始まりです。いい気になっていると、緩やかなコーナーで車が真横向きました。立て直しにカウンターをあてましたが、おつりをもらって逆方向に又横向きました。又カウンター、その後は車のお尻が右に左に振られて収拾できません。覚悟をきめて(30km/h位しか出ていなかったこともある)行きたい方向に目線をやり、ハンドルを握る手の力を抜き、車の挙動を車自身にゆだね、靴の中で指を丸める感じのアクセレーションしながらパーシャルを保ちます。セルフステアリング効果で車が元に戻ろうとするのを利用して、車の鼻先が行きたい方向を向いた時、ハンドルを「ガッ」と固定しそこでアクセルオン(FFだからね)、何とか立て直しに成功しました。「ふぅ~こわー」。

rieson  もうこれでテンション・ダウン、高速セクションも安全運転で市街地に入り無事会社の駐車場に帰ってくる事ができました。

 でも楽しかったですよ。なんか仕事に張りが出ます。モンテを走ったミニ・クーパー気取りです。

 今、雨が降っているので、この雪も消えてしまうんでしょうね・・・つまらん。

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2005年12月 5日 (月)

もどかしい

 この週末は古武道の稽古に行ってきました。本格的に木刀を持ち、最初の型を教わりました。

 が・・・・過去の剣道の経験が足を引っ張る、木刀の握りと竹刀のそれとの違い、剣道のようにいかなる時も必ず右足が前に有るといった「すり足」ではなく、左右の足を交互前後させる足運びの「歩み足」となるのです。右足が前に来る形での打ち込みは違和感がないのですが、左が前に来て右足が支えとなる足運びの打ち込みの時、支えの右足の運びが上手くできず、腰が引けたようになってテンポがずれる。頭では解っているのだが、自分の体が思うように動かないまどろっこしさ、直そうとして意識すればするほど上手くいかず、焦るばかり。

 先生は「いきなり上手くできてもこちらが困る、焦らなくても良い」と言われるが、あまりの自分の不器用さに自らに失望しっぱなし・・・。自分の納得できる、一振りの打ち込みもできませんでした。

 これじゃ駄目だと思い、家にて毎日素振り1,000本と決めた。

 稽古の後、引き続きジムに行き筋トレです。負荷をかけながらトレーニングをしている時、負荷が重くなりセット数が進み辛くなるにつれ、大音量で掛かっているBGMも聴こえなくなり、スーッと内なる自分の世界に入っていく事ができるのです。そこは静かな世界、聞こうとしないと周りの音は聞こえず、頭の中で課題を決めてイメージトレーニングをするのですが、習ったばかりの古武道の型を頭の端っこのに置いて、その型を頭の中で何度も何度も繰り返し反芻しながらのイメージトレーニング。もう一人の自分が、自分のことを鳥瞰できるようなイメージを持てるように心がけます。

 その結果 

 結論、朝起きて毎日素振り1,500本に変更!!

 高校の時の事を考えたら軽いもんだ。(歳の違いを考えろちゅーに。byもう一人の自分)

 

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2005年12月 4日 (日)

MGS4(号外)

 スネークが帰ってきた。

 SONYより年末発売のPS3のキラーコンテンツとして、MGS4である。

 トレーラーはここよりどうぞ。

 今日は多くは語りません。特にkuwaさま、待っていたでしょ。

 トレーラーを堪能してください。

 

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どんどろけ

 終にと言うか、この二日前から白いものが降り始めた。

 まだ雪ではなく霰ですが、時折パラパラ、パラパラと降っているのです。

 そういえば一昨日、ものすごい雷が明け方から昼過ぎまで落ちていて、一度は辺りが紫色に光ったと思ったら、タイムラグ無しで「バッシャーン」と辺りの空気が振動するほどの轟音、それと共に停電したりした。

 その時私は、コンピューターを使って仕事をしていたので、画面が落ちたときには青くなりました・・・。(停電が終わって立ち上げ直したら大丈夫でしたけどね)

 車で外出すると、時折雷で光る鉛色の空から雨が降ったり雨が次第に白い塊になったり、又雨になったりとすっかり初冬の感じなのです。

 来週辺りからひょとすると、陸の孤島となる時期になるのか・・・orz。

 ちなみに「どんどろけ」とは、今、女子高生の間ではやっているお国言葉で、鳥取弁で言うところの「雷」の事です 。

 道場の板張りの床が、辛い季節になってきました。

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2005年12月 3日 (土)

10年に一度のグッジョブ

 あぁっ・・・冷静でいられない・・・実はこのBlogにもちょくちょくコメントをくれているzukaさまこと、デザイナー&イラストレーター、(画狂中年卍ともいう)の西塚さんのBlogにてすばらしい映画を紹介されていた。

 その映画のHPを見、トレーラーを観て本当に肌が粟立った。いてもたってもいられず、電話を架け、二人で大いに盛り上がった処で、「もっとこのBlogでもこのネタ掘り下げるように」と、お言葉を頂いた。わーん本望です。

wfi4_800  これがその映画です。“The world's fastest Indian”ニュージーランドのBurt Munroと言うおっさんがインディアンベースのレコードブレイカーをつくり、単身ボンネヴィルに乗り込んでいくと言った、1967年(私の生まれた年だ)の史実を映画化したものだ。ニュージーランドではもう公開しているようですが、アメリカは12月公開、日本にはいつ来るのやら。

 このHPとか予告編を見ていて、気が付いたのだが、ニュージーランドが生んだ天才、ジョン・ブリッテンが作ったモーターサイクル“ブリッテン”。このジョン・ブリッテンの「自分でオートバイを作ろう」と言う原点は案外「このインディアン」じゃあないか?と思うんです。

 実際ブリッテン自身10代の頃にインディアンスカウトをレストアしてそれでモーターサイクルをいじる楽しみを知ったと言うし、その選択がインディアンであったこと、ブリッテンはその形を英国のヴィンセントの現代版解釈として作られていますが、90年代の一時期ブリッテンを「インディアン」のブランド名でレース参戦をさせようといった話も有った位なんです。

vr1000  ちょうどその頃、かねてよりのインディアンの宿敵、ハーレー・ダビッドソンはVR1000でAMAのレース参戦中でしたよね。その対抗馬として、その当時インディアンの商標を持っていた会社が、デイトナで既に結果を出しているブリッテンを担ぎ出してハーレーをやっつける・・・そのような計画を進めていたように記憶しています。実際は資金難でその商標を持っていた会社が無くなってしまい、このプランは水泡と帰してしまいました。その後、ジョン・ブリッテンも1995年9月5日、皮膚の悪性黒色腫により45歳の若さで他界されてしまいました。

 しかし、ニュージーランドって、オートバイだけじゃなくて映画にしてもこんな凄い映画作ってしまうんですから侮れません。

 そしてそれよりも、この映画の情報を「面白い映画を求めて、NETをさまよっていて見つけたんすよネ」とサラッと言ってのける西塚さん。まさに「求めよ、さすれば与えられん」と言ったとこですね。

 今、この早い時期でのこの映画に関する情報発信は、10年に一度有るか無いかのグッジョブだと思いませんか、皆さん。

 流石です!! 

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2005年12月 2日 (金)

アブサン

 アブサンといっても野球漫画のあの“あぶさん”ではありません。フランスのリキュールでです。

 中に含まれるニガヨモギの抽出液が人を狂わせるとして、100年前に禁止されたこのお酒がなんと復活しているようだ。しかも本家本元のペルノ社より販売されていとのこと。今迄ニガヨモギの代用品として、インフルエンザの特効薬「タミフル」の材料・シキミ酸のを抽出するために使われ一躍有名になった中国原産のスパイス「八角(英語読みだとスターアニス)」を使ったペルノを呑む事があったが、代用品ではない本家本元を一度口にしてみたいものだ。

 ペルノ自体癖のあるお酒で、水を注ぐとカルピスのように白濁し、匂いは木工用ボンドのような匂い。本家のアブサンも水を注ぐと白濁するのは同じようだが、匂いはどうなのだろう?興味の尽きないところである。ヴェルレーヌが愛し、バタイユがその著作の題名にまで使ったお酒なのです。

 ただ、アブサンを呑むのに使うアブサンレードルを置いているお店なんてあるのだろうか。シュガーレードルですら中々お目にかかれないのに・・・。

 レードルをグラスの縁に渡し、その上に角砂糖を置き、上から氷水を角砂糖に掛けながらグラスに注ぐと緑色の透明なアブサンが白濁した水割りとなるのだが、それが呑み方の手順なのだ。

 白濁したこの酒で何人の人間が狂気に身を置いたのか・・・。

 この儀式的な前準備を含めた狂気の酒、興味津々なのです。

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2005年12月 1日 (木)

藍より青く

 この月曜日、購入していた稽古着に名前の刺繍が終わったと連絡があり、新品の稽古着をお店に取りに行きました。

 手にとるとそれだけで藍色がついてしまうほどの新品、これからこの藍を落ち着けるために、水洗いをして、酢を使って色を定着させるのです。

 洗濯機で水洗いすると、洗濯槽の壁面まで真っ青になってしまった・・・。お袋怒るなこりゃ・・・orz。洗濯槽からぐっしょり重い稽古着を取り出すと、抱えた腕が真っ青・・・そりゃないよ・・・「そういえば高校の頃、新品を下ろしたての頃、1週間ほどは稽古の後、汗によってしみでた藍で体中が青く染まっていたな・・・」なんてノスタルジーに浸っております。

 たらいに稽古着を移し、水をひたひたに漬かるくらい入れて、お酢を一合加えます。つーんとすっぱい・・・にほい・・・。

 これで2,3時間放置プレー。そこから引きあがると、まだまだ青い汁がどっさり、色止めになったませんがな。

 まあ後ニ、三回やらないと駄目なんでしょう。

 お袋が、干している稽古着の下の地面に青い斑点を見つけて、「こんなの着たら下着とか真っ青になって駄目になるで!」と言ってましたが、解ってないのはお袋の方、稽古着の下、基本はフルチン!!「それじゃあ基本じゃないのはなんなんだ?」って言われる方もいっらしゃると思います。それでは特別にお答えします。

 「ふんどし」

 ネタとかじゃなくて本当です。

 女の人も、着物の下は腰巻でノーパンでしょう本来は。

 それと同じです。(キッパリ)

 国会で決まっているんです。←嘘

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