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2005年11月

2005年11月30日 (水)

思考する蛋白質

 オフシーズンと言う事で、どんどんトレーニングの内容が濃くなっていく。

 10セットだったセット数も12セットとなり、マシンスクワットの負荷も10kgから15kgとなっているんです。

 下半身が強化された自覚もあり、太ももの筋肉のばねで体が軽く感じる。体重が軽くなった事ばかりがその理由ではないようだ。スクワットの負荷の増加に対しても過去の私のような苦痛がない。「少し重いな」とは思うが、何のことはない。

 ただ、体重の減りがいまいちで困っている、筋繊維の強化で中々減量できないのは理解できるのだが、やはり目標の68kgに早く到達したい。年内にできるのであろうか?

 それはそうと、成人式の時に作ったオースティン・リードのスーツに10年ぶりくらいに袖を通した。

 肩・胸周りはちょうど良いのだが、ウエストはブカブカだ、前を閉めたままズボンの上げ下ろしができてしまいます。と言う事は20の時よりも体型は細いと言う事か・・・。

 年内はみっちり体の強化、減量、古武道の稽古によるメンタルの強化もやっていく予定です。

 最近、筋肉にも思考があるのではと思えるようになってきたのです。だって体が上記のようにやれと望むのがわかるんです。皆さんもこんなことありませんか。(笑)

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2005年11月29日 (火)

流れよ涙、とドラマーは言った

 昨日のBlogの記事に書きましたとおり、模型を愛する者の集まりが東京の世田谷でありましたので、その会合に出席してまいりました。場所は、バイク模型のHPではその道で大変有名なkim'sHouseの主催、輕部さんがご自宅を開放して頂きました。

 今回の回の面子は、会の亭主たる輕部さん、福岡より馳せ参じられた柴田さん、イラストレーターの和田さん、SOUTAXこと金子惣太さん、お友達の笑後さん、そして私の六人です。

 早めに輕部邸に到着した私と柴田さんで、輕部さんの秘密屋根裏工廠を拝見させていただいた。プロヴィーニ追悼展のため製作されている’72年のDUCATIイモラ200マイルレーサー、ブルーノ・スパッジャーリ号の途中経過を拝見せせていただいたのだが、絶句である。コレがあのPROTARのキットを基にしているとは思えない凄いリアリティー。展示会用の作品なので、公開は展示会でと言うお約束、今、皆様に写真を見せられないのが心苦しい。そして柴田さんも福岡からハンドキャリーにて完成品’64年クライドラー50を持参されていた。私にとっては「えぇ、フルスクラッチをもう出来ちゃったの・・・!!!!」である。しかもこれもすざまじい完成度!!資料を柴田さんに出した私が唸ってしまうほどの出来なのである。(これも早くみんなに見せたーい、パイプを組んだトラスフレームの再現凄い!)

 約束の時間に近づくと、笑後さん、ちょっとおいて金子惣太さんとWadaさんが登場。面子が揃い踏みです。

 今回特に、私は初対面だったのですが金子惣太さんのセンスには参りました。二年前に静岡のモデラーズミーティングの折、グレンコ社のネアンデルタール人と言う模型キットの完成品を見かけ、「世の中には面白い人がいるなぁ~」なんて思っていたんです。その人が彼だったのです。その惣太さんが今回はブリッテンのメタルモデルを抱えての登場!!イカスーッ!!このモデル、私はコンピューターのディスプレーの前で何度「こうたやめた音頭」踊った事か、しかも買う勇気がなかった。「あぁ!!ブリッテンだーっ!!」と叫ぶ私に「今朝、ニュージーランドから届きました。」と言ってにっこり。それを手に携えての登場です。決して安くは無いモデルを、中身の確認できないNet通販で購入されるとは、「男気」を感じました。「かっこいいぞ惣太さん!」そして素組みモデリングとしてチェコ製のプラモデル1/48英国の戦闘機ウェストランド・ワイバーンS-4と、タミヤの1/35ランドローバー“ピンクパンサー”の完成品を持参されていました。その作りは、とてもとても上品で、作り手に内在する高貴さが伺える完成品のクォリティーに「うっとりです。」過去にはこんなのも作られています。ゼロから全て自作なのです。レベテンコ戦闘車(この後さらに凄い隠し玉があった。)「凄いぞ惣太さん!」

  皆と濃いー話を続け、(私が濃いいのだって・・・こらっ)場所を変えて洒落たイタリア料理店でイタリア料理を囲みながらまたまた濃い話。なんと惣太さんのご職業は1/1のモデラーである事が発覚、新車開発のプロトタイプのモックアップを製作されたりしているとのこと。もう私は羨望の眼です。

 夕食後、再び輕部邸に戻ると、先にも書いた惣太さんの隠し玉、フルスクラッチで作る1/10ドラムセットの透明なアクリル樹脂による製作途中のドラム本体が飛び出しました。

 「レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムが“モビーディック”を演奏し終わった直ぐ、ドラムの面は激しい演奏によるスティック操作のためささくれ、床には汗が落ち、周りには飲み物のカップが置いてある、ボンゾが今迄そこにいた空気感、そんなダイオラマを作りたい」と目を細めて言われている様を見て、「この人にとってのボンゾは私にとってのプロヴィーニなのか・・・」と感じ、同時に同志の様に思え、惣太さんのことがますます興味津々になったのです。

 和田さんは和田さんで、SWASH DESIGNというところで航空機レーサーの“LEGENDS OF THE SKY”というイラストをシリーズで展開されていらっしゃいます。

 私自身、レースをしているMOTO GUZZIのレーサーを、1920年代の飛行艇のレース「シュナイダートロフィー」のイタリア艇のカラーリングをイメージして塗装しているほどのレシプロ機レーサーのファン。

 氏のお仕事は個人的にはたまりません。上記のHPに行ってみて下さい、私なんてイラストを見ているだけでウィリアムブラザースの航空機レーサーのキットの在庫が増えていきそうで怖いです。(笑)

 今回の会は本当に素敵な出会いがありました。主催の輕部さん本当にありがとうございました。

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2005年11月28日 (月)

ドトールの隣の席

 さてさて、東京より帰ってきました。世田谷で行われたミーティングに出席してきたのですが、その会合の前にちょっと面白い事がありましたので、今回はそのお話です。

 飛行機のタイムスケジュールの関係上、最寄り駅に1時間早く着いてしまい、目を通しておきたかった本もあったことから、高架下のドトールにてダブルのコーヒーを頼んで窓際の席で読書しようとしたところ、隣の席の初老の男性も私と同じ目的で来られている様子、テーブルの上には、入っていたであろう本を取り出した大き目の封筒の上に、和綴じの数冊の本。一番上に乗せられている一冊の題名が見て取れました。

 “殺生石”

 殺生石って・・・あの九尾の狐のあれ・・・?と思いながら、話しかけようかどうしようか思い巡らしております。相手も私の読んでいる本を一瞥し、「こいつなんやねん・・・?」といった感じ。

 ちなみに私の読んでいた本は、講談社現代新書、菊池良生著“傭兵の二千年史”でした。ちょっと知人より依頼されている文章の原稿書きのため、資料として読んでいたのです。

 私も横目に見られている相手の視線を感じながら、相手のことをプロファイリングです。シャーロッキアンとしての血が騒ぎます。(と言うか、シャーロックよりもマイクロフトのほうが好きなのでマイクロフティアンかな)相手に悟られぬよう観察すると、何かを大量にメモ書きされています、大学関係者か物書きの方でしょうか・・・・?靴は、爪の手入れは、どんな腕時計をされているか?右利きか左利き等と・・・。殺生石って言う作品は能か何かにあったような・・・その本だろうか・・・? そんなことをしているうちに、隣の方は席を立ちお店を出られました。「さすが東京、いろんな人がいる。これから始まる会合のプロローグにはもってこいだ」なんて思いながら。カップの底に残ったコーヒーを飲み干し、私も会合場所に向って店を後にしたのであった・・・。

 その道すがら、頭の中は初老の方と和綴じの本“殺生石”についてでした。この本のこと誰か解る方いらっしゃいますか?

 明日の記事はその会合について書きます。*注:濃いです。

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2005年11月26日 (土)

召集令状

 今日の一便にて東京に行きます。模型好きな模型製作クラブ『不老隊』の一員として、Addio Provini T.プロヴィーニ追悼作品展の打ち合わせと言うか、役員の顔見せと言うか、夏に「出頭せよっ!」と赤紙をもらっていたのです。(笑)

 それよりも忙しくて自分の出品作品の製作の方が、足踏み状態で遅々として進んでいない。(シリンダーブロックにある空冷フィンのスタッドボルトの貫通穴の寸法間違えた。間隔が狭かった・・・これじゃシリンダーは入らない。ワーン・゜・(つд`)・゜・またまた作り直し)大丈夫か自分・・・?「そんなに忙しいんなら、ちょっと何かをやめりゃいいじゃん」とも言われますが、「ワシャ止まると死ぬんじゃーっ!」と、鮫とかマグロのようにノンストップな毎日なのでございます。

 最近、まるで過給器を掛けたかのごとく時間がすっ飛んでいっている。眠れてない位のハードスケジュール・・・orz。親が、「三十路も終わりかけの大の大人が夜な夜なプラモデルなんて・・・情けない・・・」って言いながら箱に入れていた組み立て途中のBenelliを捨てようとした。←やめろーっ(半狂乱)

 模型製作、古武道、オートバイレース、度が過ぎた読書、このBlogの毎日更新と、私の周りの人間は、どれも理解し難く気に入らないようです。はぅ~(深い溜息)

 この週末は、分らず屋ばかりの田舎を脱出して、東京で命の洗濯だ、多分、今日明日に掛けて、夜通し熱く語り合うんだろうな・・濃爆ヲタなネタを・・・本当に近い内のいずれ、暗黒面に堕ちて行きそうな気がしてきました。

 何か面白い話があれば明後日のこのBlogにて報告します。

 よって明日はこのBlogはお休みです。 

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2005年11月25日 (金)

Tuned by B.M.L.T.(Beginning Movement Load Theory)

 古武道を始めたのことをトレーニングジムのいつものトレーナー師に報告し、トレーニング・メニュー変更の依頼をしました。

 肩周りをもっと柔らかく、さらに強靭に、下半身はレース用のチューニングで今のままのレッグプレス、インナーサイとマシンスクワットのキビチー内容で。

 さてさて、今日のメニュー表どうなっている事やら。

 このトレーナー師も、ガチンコ空手の“リアル空手馬鹿一代”な方なので、私のこの古武道の手習いについて、非常に理解がありホッとしている。

 「仕太刀の最後が、全て人間の急所に向っているのは恐ろしい」と私が言うと、ニヤッと笑いながら「昔の人は無駄な動きなんてしないんですよ。言葉通りの一撃必殺なんです」とサラリと言われた。さすがガチンコ空手の使い手は肝が据わっております。

 そんな人が私のトレーナーって、本当に目に見えない何かが背中を押しているような気がする。

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2005年11月24日 (木)

Enter at your own risk!!!

 先ず「古武道」についての報告ですが、昨日のO.CMAKOTOさんのコメントに返信しているように、恐れていると言うか、ちょっと戸惑っております。(返信コメントでボケる事すらできなかった。)

 実際、昨日は先生方の型を正座して拝見させて頂いただけでしたが、それでもビビッテしまったのが現実です。格闘技とはいえ剣道はまだスポーツで、この古武道はスポーツなんかじゃなく、日本刀の使い方(言っている意味解りますよね)の実践なのだと認識し、なおさら、これより自分の行うであろうこの習い事に、畏怖の念を持ったのです。そう、まるでこの道場には目に見えない「一般人の住む世界」と「そうでない世界」を分ける境界線が存在し、「それを超えてこちらに来られるか・・?」と問われているようでありました。

 先生方の稽古が終わり、汗を拭きながら私に「さあどうでしょう?」と問われた。唾を飲み込み肝を据え「これからよろしくお願いします」と答えるのでした。 

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2005年11月23日 (水)

四本の柱

 私、高校時代、剣道やってまして・・・。入部したての一年生の頃、あまりの稽古のハードさに、昼食べた物を吐いておりました。二年生、三年生になっても益々ハードに。毎週土曜日は県警機動隊との稽古、激しく永い「かかり稽古」に、足腰が立たなくなって、ボロ雑巾のように床に這い蹲わされた事もありました。

 ちっともありがたくないのですが、そのおかげで一様、段持ちでございます。(二段)その理不尽でハードな(と思っていた)稽古がトラウマとなって、大学進学後、二度と道場なんて行くものかと固く誓い、あの四本の柱に囲まれた空間からはずっと足が遠のいていたのです。同窓会・OB会も正直いやでした・・・・。

 それが、二年弱の一連のジム通いの肉体改造で考えが変わってきたのです。前述の「理不尽でハード」と思っていたあの時の自分は、何も解っていない馬鹿なウンコタレな高校生だったと気が付いたからだ。肉体的&精神的なブレーク・スルーを行うには、一度死ぬほどの状況に身をおかないと駄目だと言う事が、今の自分には理解できているからだ。あの「しごき」とも取れるハードな稽古はそのためのものだったと。弱いココロのその時の私は、その自分の壁を破る事ができず、その前で折れてしまい今日に至ってしまっているのです。

 今日、その私が遠ざかっていた道場に再び行く事としました。もう一度真剣に剣の道を始めようと思ってのことです。今回は剣道ではなく本当の人斬り、因幡藩に伝わる「古武道」を目指そうと思うのです。その刹那を理解できればもう一つの私の生甲斐、「サンデーレース」にも良い影響が出ると信じて・・・。

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2005年11月22日 (火)

ハツカ鼠

 朝の自転車20km走が辛い季節になってきた。というか天気が悪くできない時の方が多くなってきた。

roller  そこで秘密兵器のローラー台を持ち出した。←馬鹿

 これで雨の日だって大丈夫、・・・ただ、まだ上手く乗れないの、こける回数の方が多いんです。しかもビンディングで脚を固定しているので、自転車と一緒にゴローンとこけるんです。・゜・(つд`)・゜・イタイ

 自分でも思いますが本当に馬鹿だと思います。

 馬鹿だトレーニング馬鹿になるのだっ!

 

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2005年11月21日 (月)

リアルorヴァーチャル?

 友人と、お金の話をした。

 円安が進んできて、これよりどうなるかと言った話だ。

 日銀は今のレベルでの量的緩和をそのまま続けるようだが、実際の通貨供給量ってどうなのだろうか?と言うよりも、巷に流通しているお金といった概念の流通量ってどうなの?なんて話をしていたのです。

 かつては考えられなかった、電子マネーといわれるFOMAのお財布携帯とか、Edy、通信環境が整ったおかげで、個人デイトレーダーなんかが大量に行っている株の信用取引。これらのほとんどが今現実の存在する現金ではなく後で清算するヴァーチャルなお金だ。昔は信用取引なんて普通の人は手を出さなかったが、今はコンピュターの前で平気に空売りとかしてるもんなぁ~。おおこわ。

 10年前に比べてこのバーチャルなお金とリアルマネーの比率ってどのくらい変わったのか?興味の尽きないところであります。

 なぜかって?だって数少ない資産を、日本に置くべきかどうしようか考えるソースの一つになると思いません。

 ・・・よぉ~く、考えよぉ~お金は大事だよぉ~♪

 皆さん、財テクは自己責任で。 

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2005年11月20日 (日)

「ぱらいそ」さいぐだ~

 睡魔に襲われて倒れた後、仮眠のおかげで復活したのをいいことに、zukaさんと、ここの処,、公開になったり製作されるだろう漫画原作による邦画について電話で熱く語り合った。

 諸星大二郎の妖怪ハンター稗田礼二郎シリーズの漫画「生命の木」が、「奇談」という名前で映画化された。

 私の気持ちを率直に書けば、「こんな映画を作ったものは『いんへるの』に堕ちてしまえ・・・」

 すいません・・・冷静さを失ってしまいました。ただ、原作を大切に思っている一読者としての気持ちです。

 zukaさんとも話したのだが、トレーラーであんな場面(あえて書かない)を公開して・・・これって作品中の謎ときで大切な部分なのに・・・予告編で公開していいっすか・・・?←いいわけないだろ。こういった些細な点を見ても、映画制作サイドが諸星の漫画の製作意図を理解して、それを映画化しているとは到底思えない。

 キャシャーン、デビルマンにつづき、又一つ日本の誇るコンテンツがつぶされた・・・・

 もう一つ不安な企画がある。手塚治虫原作の「どろろ」の実写映画化だ。私の意見は、「アニメでいいじゃん、あの世界観はアニメ以外では出ないし、最近のアニメのクオリティーの凄さは馬鹿にできない。“エウレカセブン”なんかテレビの前の大の大人を涙させるもんなぁ・・・それと、MONSTERだってすげえよ。アニメで十分」である。(MONSTERはハリウッドで実写映画化の企画が進んでいるが、どうなるのでしょう。頼むよハリウッド。)

 最後にzukaさんと自分がプロデューサーなら、「どろろ」の監督を日本人に限定しないで誰に依頼する、と言う話となった。zukaさんの口からは「デビッドフィンチャーとかデビッドリンチ」と言う名前が出た。リンチの「どろろ」は確かに見てみたいが、自分がプロデューサーなら彼の天然な感性におけるフリークショーになりそうで冷や冷やものだ。(笑)。

 私の答え・・・「ポール・ヴァーホーベン」に決まっていますがな。(大マジ)

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2005年11月19日 (土)

電池切れ

 一寸前の記事に慢性的な寝不足状態が続いていると書いた。

 やはりと言うか電池切れを起こしてしまった。それは突然やってくる、まるでMFバッテリーの電圧が落ちるが如く。宵の口が一番危ないんですね、これが。いつもボーっとなる時間帯、昨日の場合は会社から帰宅して、トレーニングジムに行くために、それまで着ていたスーツから長袖のTシャツとジャージのパンツに履き替えた処で記憶が無くなった。記憶が途絶えてから・・・・急にはっと気がつくと2時間半が過ぎていた。

 初めは、グレイ(レティクル星人)にでもアブストラクトされたのか・・・変な金属片をインプラントされていないか?とか鼻の周りとか首周りを触診してみる。←完全に馬鹿

 何のことはない、着替えながら床に突っ伏して座布団を枕にうたた寝していたのです、つまり睡魔に負けて堕ちたのである。

 それよりもこんな自己都合でジムを休んだ事がなかったのに、もうこの時間からジムに行ったって10分もトレーニングできない時間です。ショック!!!

 ここの最近、多忙によるストレス&寝不足によるアフタ性口内炎は数を増やすばかりだった。アー身を削っている感があるなぁ~。(しみじみ)

 でもこの二時間半の睡眠で凄く元気になりました。今迄うすーいヴェールが掛かったようなピンの合っていない視界が、隅々までシャンとピンのあった視界に変わった。こうでなければ。

 長期にわたって用意をしていたゴローさんの記事が完成し、緊張の糸が切れたのもその原因の一つかもしれませんね。大事をとって、今日は早めに寝る事とします。

 明日が休みの土曜日ならもっと幸せなのだが、残念ながら私、出社でございます。ビタミンB郡でも飲んで身体に活入れます。

 急に寒くなってきました、こちらは霙も降りました。皆さんも体調管理にはくれぐれもお気をつけください。

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2005年11月18日 (金)

The Long and Winding Road♪

 昨日の記事よりつづき・・・

 ついに日本の土を踏んだSAXON/GUZZIフレーム。今回送られてきた物はプロトタイプで、エンジンを積んだりして不具合を見ながら、そのデータをもとに改良された正規生産型のフレームが送られてくるとの事でした。

 このプロトタイプは、データ収集のため早急にオートバイの形にまとめられ、その翌年の2002年春、長野の斑尾で行われたイタリア二輪車のミーティング“グルッポ モト イタリアーノ”に展示されていました。グルッポに来られていた方々のお目に掛かっていると思います。(このミーティング参加のため、私も1978年製MOTO GUZZI LeMansIIで鳥取~斑尾間を、ほとんど休み無く自走往復して、へとへとに疲れた記憶があります。)

 これらの事と時を同じくして、2001年から始まった小泉政権。この政権の掲げる『改革』という御旗のもと、法令尊守(コンプライアンスなんて言いますね)の観点から、もろもろの既存制度の見直しが行われました。その中に自動車の登録に係る車検制度も含まれていたのです。規制緩和などと耳ざわりの良い言葉で言われていましたが、その実態は、規制強化と言った方が正しかったようです。 

 ゴロー号として生産型フレームにエンジンを積み始めた頃、刷新された日本の車検制度のハードルの高さに気が付かれたのですが、時既に遅し、タイミング的に「滑り込みセーフ」は既にありえない「残念っアウトッ!」となってしまったのが現実です。ただ、身の不幸を嘆いていても何の進展もありません。これより、ゴローさんのナンバー取得と言う第二ラウンドの奮闘が始まったのです。

 登録するための内容は、通関証明から始まり、ブレーキ時のフレーム強度試験、排ガスの検査(通称ガス検)等、メーカーでなければおよそ通すことが不可能では・・・と普通の人ならば尻込みしてしまうような内容。

 ガス検に至っては、せっかくモト・ラボロのジンさんに用意してもらい英国に送っていた、1100sport系の5速FCRキャブレター仕様、120psのエンジンではその検査を通らない事が解りました。泣く泣く現行車のV11系のフューエルインジェクション搭載型のエンジンでミッションケースは横置き6速ミッション、一番重要な排気系は触媒付きでしっかりと消音された排気管+サイレンサーをこのマシンのために新たに作り、それに伴いミッションケースの形が変わってしまったため(5速縦置き→6速横置きとなった)、リアスイングアームのドライブシャフトの取り出し穴の位置変更等、フレームの方にも諸々の細かな変更が必要となったのです。

  また一時は、ブレーキ時のフレーム強度試験のために、谷田部の自動車周回コースを借りて、そこで試験をしなくちゃならないなんて言うような大げさな話も飛び出す始末。ただこの件は、先に述べた英国人の友人がナイジェル・ヒル博士との間に入り、英国で行われたフレーム強度試験のオフィッシャルな書類を集めるために奔走してくれたおかげで、実際は行わずにすみました。

 こんな事をしているうちに一年が過ぎ、二年が過ぎ・・・なかなか遅遅として進まない工程に、腹の立つこともあったと伝え聞いています。そりゃそうでしょう、御馳走が目の前にあるのにズーッとオアズケをされているのですから。私なら狂っちゃいます。そして三年が過ぎた頃、やっと光が見えてきたのです。一つ一つ障害を乗り越えるように、諸々の試験・検査に合格し、やっと仮登録までこぎつけました。

 最後には、お役所の方も「こういう具合にした方が良いよ」とアドヴァイスをくれたり、英国に直接問い合わせをしてくれたりと、登録に向けて協力的だったとのことです。そして終に、フレームが日本に来て四年目、アポ無しでホテルに押しかけたあの日から数える事、七年の月日が過ぎた一昨日の2005年11月16日、最後の書類が全て揃い、念願晴れてマシンにナンバーが付き、車検証が発行されたのです。(ここで、昨日の記事の最初のシーンにつながるのです。)

 その車体は、ナイジェル・ヒル博士の要望で、サクソン族の民族の色、黄色にペイントされ、マシンの名は唯一無二の意味合いを込めて「モナリザ」と名付けられました。

 日本にフレームが届いた時のことです。博士は「限りある私の人生の三年間を掛けて作った・・・これはモータサイクルと言うより、我が血であり我が肉だ・・・よろしくたのむよ・・・」と言われ、博士自らの手で作られたこのアルミフレームをゴローさんに託されたそうです。

 さて、皆様がご存知のように、このBlogの題は「週末が待ち遠しい」です。今日は金曜日なので、この記事を読んでおられる皆様それぞれ、この週末を待ち遠しく思われていることでしょう。でもね、この週末に限って言えば、ゴローさんほど、この来るべき週末を待ち遠しく思われている方はいないんじゃないかと思うんです。

 この週末、天気予報では関東地方&伊豆地方は降水確率20パーセントです。

 今、私には思い浮かぶ光景があります。

 SAXON/GUZZIが金色のBMW R100RSとMOTO GUZZI V11 LeMans rosso corsaのニ台と轡を並べ、抜きつ抜かれつしながら、右に左にワインディングロードを疾走する姿・・・その道は、長く困難続きの道のりを走り抜ける事ができた者のみ、走る事の許された道なのです。

 

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2005年11月17日 (木)

The Long and Winding Road

 昨日のPM3:00過ぎ、仕事の最中、私の携帯の着メロ、ビートルズの“The Long and Winding Road”が鳴りました。電話に出てみると電話口から「松永君、ナンバーがつきました。やっとついたよ」と子供のようにはしゃいだ声・・・。思えば本当に『長く、曲がりくねった道のり』を一つ一つ乗り越えて取得されたナンバープレート・・・。

 そう、この話をするには、少し時間をさかのぼらなければなりません。

 時は1998年の10月、よく晴れた東京の夜、場所は高輪プリンスホテル前、大いなる情熱を携えた男が通訳をお供に、とある交渉に入ろうとしてました。それはまるでこれから風車に立向かうドン・キホーテとサンチョ・パンサの様でもあります。

 その人の名は森下 五郎氏。(以下ゴローさん)MOTO GUZZIをいじり倒して幾年月・・・関東近辺でこの方を知らないようではGUZZI乗りとしてモグリと言われてしまうような方です。

 交渉の相手は英国の頭脳、ナイジェル・ヒル氏、いや博士号をお持ちの工学博士ですので、ナイジェル・ヒル博士です。彼はF1・ジョーダンチームのサスペンション設計を任されていたモータースポーツ界では超一線級のエンジニアです。

 その彼が作り出した革新的なフロントサスペンションシステム“サックストラック”を持つモーターサイクル“SAXON”。(このサスペンション機構は、この後に出たBMWのテレレバーとの関係性を指摘する人も多い。)

 そう、ゴローさんはMOTO GUZZIの心臓を持つSAXONの製作をしてもらえないかと、直談判に来ていたのです。もちろんアポなんてありません、「当たって砕けろ」です。今まで自分が行ってきたチューニングに使ったスペシャルパーツ(GUZZIのチェーンドライブユニット等)の図面(ゴローさんが書いた)をその手に携えての交渉です。

 いきなり宿泊先に押しかけてきた日本人を前に、紳士的なヒル博士。「あなたはいったい何者だ?」との問いに、「おいらは魚屋だよ」と答えるゴローさん。その答えに博士は「・・・・」となりました。ゴローさんは目の前に持ってきた図面を取り出し、自分のチューニングに対する考え、GUZZIに対する熱い思い、そしてSAXONに恋焦がれている胸の内を語り始めたのです。「どんなことを考えているんだ。レーサーが欲しいのか?」と博士が問へば、「とにかくMOTO GUZZIのエンジンを持った楽しいマシンが欲しいんだ。チューニングはもう散々やった・・・コンプリートで、おいらだけのロードリーガルなマシンが欲しい。それにはどうしてもSAXONじゃなきゃだめなんだ」それは情熱一杯の訴えでした。しかし世の中そんなに上手く事は運びません。まして、オートバイを一台作って欲しいと言うお願いです。当然と言えば当然ですが、その日は色よい返事を貰う事は叶いませんでした。

 一回戦は相手にしてもらえませんでした。しかしこんな事で自分の熱い思いをあきらめる訳には行きません。とりあえず自分の考えを再確認するために、SAXON/トライアンフの輸入をした業者のもとを尋ね、そのSAXON/トライアンフを試乗してみたそうです。

 その感想は「自分は間違っていなかった」それと同時に「やっぱりSAXONじゃなきゃ駄目だ」と、前にも増してより強く思われたのでした。直球勝負が駄目ならば、回り道でも外堀を埋める作戦に変更です。

 SAXON/トライアンフの輸入で、博士と付き合いのあるこの業者さんや、SAXON/ラベルダを所有されていた在日英国人の友人の「つて」を使って、博士に何度も何度もSAXON/GUZZIを作って欲しいと懇願したのです。

 ついに熱い思いが通じる時が来ました。やっと博士が作ってくれると約束してくれたのです。さあ賽は投げられました。プロジェクトが動き出したのです。

 急いで英国にGUZZIのエンジンを送り、約束していたまとまったお金も用意しました。

  その後一年が経ちました・・・何の音沙汰も無いのです・・・不安な日々が続きます。そのまま何の状況も変わらないまま二年目となりました・・・。「やっぱり駄目なのだろうか・・・」そんな思いもよぎったそうです。

 それは突然の事でした。その年の秋、英国よりSAXONフレームの設計図面の青焼きが届いたのです。心配していた計画はちゃんと進んでいました。

 そしてそこから待つ事さらに一年、世の中が21世紀となったその年の秋、再び突然の出来事が起きました。博士からの電話です。その内容は「完成したのでそちらに送る」!!!ついに完成したのです。

 2001年10月、航空便で英国より一台のオートバイのフレームが日本の土を踏みました。

 航空アルミニウム合金製パイプを三次元的に組み、時間を掛けて熱処理をされ、溶接時の歪を完全に除去されたフレーム。F1のカーボンモノコックフレームを焼くのに使われる同じオートクレーブで焼かれたドライカーボンのカウリングとシート、前後ホイールのリムまでドライカーボンです。ワンオフで叩かれたアルミ燃料タンク。そしてSAXONのSAXONたり得るサックストラックサスペンション。

 もはや工芸品です。

 聞けば、「頭の中で練る事一年、それを図面に起こす事一年、そこより製作すること更に一年、だから三年掛かったんだよ」と言われたそうです。しかも全ての作業を、人を使うこと無く、ナイジェル・ヒル博士一人でされたとの事。「人の仕事が見ていられないんだ」と言われる程の完璧主義者なのです。

 その時、ゴローさんの目の前には、三年待ち望んだものが全てありました。しかも思っていた以上のすばらしい物でした。他の人にこの時のゴローさんの喜びは計り知れません。

 しかし、その喜びの向こうに、超えなければならない、日本の車検制度と言う高い高い壁が待ち受けていたのです。

 明日へつづく・・・ 

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2005年11月16日 (水)

バンドのサイズ

kinetics  減量を始めてから、半年程たった頃、お気に入りの腕時計がブカブカに為り始め、その時バンドの齣数を一つ詰めたのだが、又ゆるくなってきたので、昨日又一齣詰めた。

 武 豊騎手が、かつてテレビで、「手首を掴むとその太さで、その時のおおよその体重が分かる」と言っていたのを思い出した。体重は手首に出るのである。本当はまだもう少しゆるいのだが、後一齣詰めると今度はパツパツになってしまったので、もう一齣詰めるのはこの冬の目標とした。

 この時計は何のことはないSEIKOのクォーツだが、持ち主が動く事により自家発電するシステムを持っている。

 満充電で180日間動き続けるそうだ。

 「人体は自らゼンマイを巻く機械であり、永久運動の生きた見本である」と、偉いフランス人がその著書“人間機械論”の中で言っているが、この時計はさながら宿主たる人体=永久機関に寄生する寄生虫のようなものである。寄生虫と言うより私にとっては有益な物なので、細胞の原形質に潜り込んだミトコンドリアみたいなものか。ムーブメントが故障しない限り、主たる私がくたばっても、およそ180日は私よりは永く動き続けるのは、なんか癪ではある。

 今ちょっと大き目のこの時計を、さらに身体の一部とするため、この冬の間にバンドの齣を後一齣詰められるよう頑張るのだ!

  ちぇすとぅーっ!!

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2005年11月15日 (火)

コピーのコピーのコピーのような・・・

 最近、特にモトルネが終わってからぐっすりと眠れていない。平均睡眠時間が3時間ほどだろうか、一日を追ってみると、朝起きて、朝練して、会社に行って、ジム行って、家に帰って、自営業の仕事を片して、このBlog書いて、Benelliの模型製作して、これらの間に本を読んで、DVDで映画見たりしている。

 ほんとに義体化された身体が欲しい今日この頃。さっき眠りについたと思うと、もう朝になっている感じだ。週末は週末でプライベートが忙しく、本当に休めたためしがない。まるで映画“ファイトクラブ”でエドワート・ノートンが演じていたジャックのようだ。緑茶とコーヒーの消費が尋常でない。カフェイン中毒と言うかカフェインに対して耐性ができているような気もする。

 劇中のように今の状況を説明するとこうなるのか。

 「僕は法丈の眼球です。いつも熟睡を妨げるため激しく動いています」

 そのうち、タイラーが出てくるような気がします。そうしたら家で石鹸でも作るのでしょうか。まあ朝起きて自転車漕いで、会社が終わってジムでマシンで汗をながす。(まあタイラーに言わせると「ジム通いはマスターベーションだ」らしいが)一人ファイトクラブですな。

 ただ夕方になると、ちょっとボーっとしてきて全てがコピーのコピーのコピーのように不鮮明になる時がある。これがマイクロスリープ現象なのね。今日も3時過ぎまで起きて何かしています。←社会人失格。

 やる事がありすぎて身体一つじゃ間に合わない、いつまで続くかこの生活。

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2005年11月14日 (月)

人間の燻製

 終に畑の後始末をしました。

 焚き火をして、収穫後燃えやすいように干していたイモ蔓とか、刈った草とか残り物を処分したのです。

 前にも少し書きましたが、今年で畑つくり実験は少しお休みとするため、来年にはこの畑を持ち主に返すので、植えていたハーブも引き抜いて火にくべた。もう煙がもくもくである。空港の近くなので大丈夫なのかって不安になるくらいの煙の量です。しかも、火の番をしている私までまるで燻製になったようだ。もう体中ローズマリーの匂いで吐き気がする。

 家に帰ってから、お風呂に入って身体を洗いたおしても取れないのである。あー匂いが気になって寝れそうにない・・・。

 燻製の気持ちがわかる一日となりました。

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2005年11月13日 (日)

泣けた

 午前中から、津山の病院へこの前のレースで転倒して負傷したレース仲間のお見舞いに行った。

 元気そうな彼の様子にホッとし、小一時間話をして病院を後にし、夕刻過ぎに家に帰ってみると、鈴鹿のde"LIGHTさんから、ちょっと前に頼んでいたイモラ200マイルのDUCATIのポスター(ポール・スマートとブルーノ・スパッジャーリが並んでバンクしているやつ)が届いていた。

 便箋が同封されていて、それを読んでありがたさのあまり涙がこぼれた。

 個人的なことなのでここでの詳しい内容の公開はご勘弁願うが、ただ自筆で書かれ、最後の方は便箋の枠に収まらず横書きが欄外で縦書きになったいたりする飾り気のなさに、かえって片岡社長の気持ちを感じ、目頭が熱くなりました。

 欄外に飛び出していた最後の一節をここに記します。

 「これプレゼントというより おみまい 元気出せ」

 本当にありがとうございます。(涙)

 人馬ともども傷を癒し、更なるバージョンアップをして元気に復活します。

 

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2005年11月12日 (土)

Let's it be

 先日、モト・ラボロのジンさんより、転倒した我が愛おしいマシンの修理と、それと同時進行で行う予定のチューンナップについて電話で打ち合わせした。

 ジンさん曰く「で、どこまでするよ?」

 私「・・・・・・(この無言の間、約1分)ふぅー(深い溜息、レイザーラモンHGではない)もうやれるだけやっちゃいましょう、覚悟きめました」

 このような経緯で、清水の舞台から飛び降りちゃいました。

 改良点は以下の通り

 アルミタンクの板金修理と共に形状変更、高速コーナーで肱がタンクに掛けられるようにタンク位置をもっと上に上げられるように、フレームへの取り付け部の改造、またニーグリップをしやすいようにタンク後部を細く形状変更。又、燃料を使いきれるように(今迄は残っていた)燃料コック位置の変更。

 割れたフロントビキニカウルをカーボンにより再作成。

 フロントフォーク、オーリンズの正立に、それに伴い三叉の加工、フロントアクスルの大径化。

 スウイングアームのアルミ化、リアサスのオーヴァーホール。

 軽量化のため、セルモーターの取り外し。

 フレームの修正と不要な小骨の除去。

 破損したエキパイ&サイレンサーの作り直し。エキパイはチタン化、サイレンサーはアルミ製で音量を抑えるため、ロングなテーパー形状の物。

 ざっとこんな感じです。

 ライダーと共に、マシンもこのオフシーズンに進化です。

 78年式のLeMansIIとしては、私が思う進化の最終形態となります。

 人馬共に、業物の本身の一振りと為らんがために。

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2005年11月11日 (金)

MEMENTO MORI

 この冬、クシタニの革つなぎを作ろうと思っている。

 実は痩せて、今着ているやつがブカブカなのだ。

 この前、サーキットでクシタニの方とお話したところ、「肩から腕に掛けてのチェッカー模様をまた作りたい」との私のオーダーに、「お金をもらえる事なので喜んでやりますが、動きの面で考えるとお勧めしかねる」とのこと。「だって最近の松永さんは、もう純粋に速さを求めているでしょ」の言葉に変に納得してしまった。(ちょっと補足:クシタニの新製品の革ツナギの革は、軽くて柔らかく、そして丈夫という相反した特性を見事にクリアした良い物だそうです。それなのに、その軽くて柔らかい素材の上に、二枚も三枚も革を貼り重ねるのは、そのツナギの特性を生かす意味でもどうなんですかね~と言うこと。)

 そのかわり背中の黄金の羽は譲れない。それと次の言葉を背中に入れたいと思う。

 MEMENTO MORI

 あと一ヶ月、さらに身体を絞るだけ絞って、そこで採寸です。

 明日はマシンの修復と、それと共に行う最終フェーズに至るチューニング計画についてのお話です。

  

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2005年11月10日 (木)

ATGCのいたずら

 東京の甥の七五三の写真が届いた。ちゃんと業者に撮られた物の他に、親が撮ったであろう写真もたくさん同封されていた。

 我が父母は孫の写真を見ては目を細めるばかり、ここはひとつ伯父たる私の手により、冷静に写真を一枚一枚観察すると、あることに気が付いた。

 甥は、カメラに狙われていると気が付いている時には、きまって変な顔(舌を出してみたり、白目を剥いてみたり、受け口っぽく顎を前に出してみたり)をしているのだ。しかも意図的に。

 コレに気付いて私は大笑い、なぜかって・・・別に甥の顔が面白いから笑う訳ではありません。彼の父、我が弟もこのくらいの歳の頃、全く同じことをやっていたんです。幼稚園の集合写真など、まともな顔で写った写真なんてなかったのです。オフクロがいつもぼやいていた。「なにがこうさせるのか?」と。

 その悪癖が、その子にまで遺伝するとは、血って恐ろしいね・・・。

 変な顔親子。おもしろすぎです。 

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2005年11月 9日 (水)

痛みとの等価交換

 驚いた!

 昨日の記事で書きましたが、激痛を伴うトレーニングを行ったのですが、晴れて翌日、痛くてできなかった階段の上り下り(特に下り)が楽々できる。走るなんてもっての他だったのが走る事もできる。まだ少し左肩(古傷があるせいかな)に引っ張られるような筋の緊張が残っているが、痛みと言うまでではない。

 今日の筋トレは、トレーナー師が昨日のように私にべッタリ付く事は無かったが、私がトレーニングをしている時、遠巻きながらフォームを見ていてくれていて、「もっと曲げるように」等とアドヴァイスを出したり、最後のマシンスクワットの時、私の腰に手をやり、まだ動きの硬い背中の動きを補助してくれたりしてもらった。

 たっぷり二時間半の筋トレを行うと、レース前のように前屈も掌がピッタリと床に付くようになったし、180°開脚も復活した。(一昨日は痛くてとてもできなかった。)

 明日までリハビリのトレーニングで、明後日から本格的なオフシーズン用の厳しいトレーニングとなるようです。どんな事をするのかちょっくら聞いてみたところ、何でも休息日入りのメニューとの事。毎日来るのに「休息日?なにそれ?」と聞いてみたところ、鍛える部位を隔日単位交互に鍛える、つまり異なる2つのメニューを交互に隔日でこなすインターバル方式らしい。さ~て、本格的になってきました。

 たしかブルース・リーのジー・クン・ドーの本にも、基礎体力作りに、こういったトレーニング方法をリー自身がしていたと言う『トレーニング日記』が載っていた記憶がある。ちょっと期待です。

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2005年11月 8日 (火)

Nobody expects the Spanish Inquisition!

 いやー行って参りました、トレーニングジム。

 トレーナー師に、転倒した身体の症状を申告して、メニューを作ってもらい、「それでは今日は松永さんに付きますか、打ち身が殆どですよね」と確認後、私に付きっきりに・・・ラッキーなのかアンラッキーなのか・・・何故かって、だってすげー痛いの!!

 ガシガシやっていると、「ちょっとこのフォームのここを・・・」って、その場所をつかまれてフォームを矯正されると、「あっ、そこっ、転倒の影響で痛くて動かないんですけど、あっ・・・そんなっ・・・(ぎゃーっ!)←心の声+滝汗」てな感じです。モンティ・パイソンネタでは有りませんが、異端審問の拷問を受けているようです。

 しかーし、トレーニング後、ちゃんと痛みがなく動くようになるのである。この調子ですとニ・三日で全快であろう。

 でもね、今思ってもやっぱり最初の3/10セットまでは痛かったの・・・それも凄く・・・。

 はっ!!痛みを克服するトレーニングも兼ねているのか・・・んな阿呆な・・・。

 

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2005年11月 7日 (月)

無神論者の信念

 昨日のレースの報告です。

 大雨の中、またこけました・・・つーか二戦連続で転倒車両に巻き添えを食らいました。

 転倒し回収車で回収されて(コレをドナドナと言う)チームテントに戻ってきた直ぐの頃、気弱になり神宮司さんに「御祓いに行きます」とついつい口走ってしまいましたが、家に帰り左半身痣だらけの姿を見て「またか・・・」と溜息をつくと共に、「さーてこれからどうするか」と冷静になり、「御祓いになんか止めた!」と言う事になった。

 筋金入りの「唯物論者&無神論者」と自負している自分が、ちょっと転倒が続いたくらいで、その主張=プリンシプルを覆す方が、転倒するより情けないと思ったからだ。 こんな程度のことで自らのプリンシプルを覆すくらいなら、お金と人生を掛けてやっている危険な競技=二輪レースなんてさっさと止めたほうがいいとさえ思う。

 レースに出走している間何があっても自己責任、それをちゃんと承知して、レース主催者に対して一筆書いているじゃないか自分!もらい事故の転倒が続いたくらいで、神宮司さんに弱気な発言なんて・・・恥ずかしい限りである。

 今、私のすべき事は、壊したマシンを直し、痛めた身体を治す事です。それに集中する事としました。

 今日よりオフシーズンに入るのでジムのトレーナーと肉体のオーヴァーホールです。さらに引き締めます。

 

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2005年11月 4日 (金)

今期最後のレース

 いつのも記事をアップする時間ではありませんが、アップします。

 今週末は秋のモトルネッサンスざんす。(べたですね。反省) 

 たった今、トランスポーターに荷物の積み込みが終わりました。マシンは横浜のショップよりジンさんが運んでくれることとなっています。

 さてさて二年近くに及ぶトレーニングと食事制限の成果をそろそろ出したいところです。

 それと今回のモトルネはお茶の野点はあるし、九州から戦後始めてサンデーレースを始められた我々の大先輩、『雁ノ巣会』のお歴々も観戦にいらっしゃる模様。風の噂でエントリー台数も、のべ300台を超えたと聞いています、盛りだくさんの内容です。 

 コレより少し仮眠を取って、翌AM3:30にサーキットに向けて活動開始です。

 それでは皆さん、頑張ってきます。今回こそ皆様に良い報告ができればいいなぁ~。

 P.S;よって、明日、明後日のBlogは休みです。

 

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森に入る

yama  朝一より仕事で付き合いのある方と、彼の親族の所有する松茸山に分け入った。入札期間が10月末で切れたと言う事で、入札後の落穂拾いをしようということになったのだ。(片方の眉を剃ったりしはしていない、あしからず。)

 松茸は山の尾根沿い、尾根の稜線より下る事10m位の範囲、尾根の日の当たる側に生えるのですが、尾根に到達するまでが大変なんです。

iwakura  途中にこんな岩倉があります。山ノ神の座する岩倉でしょうか・・・急な勾配がわかりますか?

 ほぼ匍匐前進に近い格好で松茸を探しながら、尾根に向って上り、斜めに10m下り、又上がるの繰り返しです。時折、スズメバチの斥候が警告に来ます・・・そういったときはいちもくさんに退散です。度重なる勾配の上り下りで、ゴアテックスのフィールドジャケットの下は汗だくです。

murasakishimejikaimi そんな状態の中、秋枯れの森の中に美しい色を見ることが出来ます。枯葉の中に顔を出す「森のアメジスト」、ムラサキシメジ、モノトーンの色の中で、ひときわ映える美しい赤い実・・・。

chichitakefungi こんな茸にも出会いました。片方は傘径が25cmくらいある大きな茸です。春の山菜、秋の茸、山の中に分け入る事は私の楽しみであります。山の空気を吸い、一仕事の後、ほっと一息を入れながら飲むお茶の旨い事。あぁ生きていると実感できます。10:30過ぎになるとポツポツと雨が降り始めたので、もう少しいたかったのですが山から退散しました。勾配が急なので濡れると滑落の危険性がありますからね。

でっ・・・松茸はどうなったって・・・

matutake 今日は松茸ご飯です。(私はご飯物を原則食べない事にしていますが、この度はちょっとだけ山の幸を頂こうと思います。)

 

 

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2005年11月 3日 (木)

タツノコプロ

 なにやら昨日の記事のコメント欄がタツノコプロのアニメ作品で盛り上がっているようなので、急では有りますが、いい気になって、今日はこのことについて書きます。

 『たった一つの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体、鉄の悪魔を叩いて砕く、キャシャーンがやらねば、誰がやる!』

 この台詞で始まるタツノコプロの大傑作「新造人間 キャシャーン」。GyaOのアニメチャンネルのオンデマンド放送にキャシャーンがあったので、観てみると、オープニングがめちゃめちゃカッコいい・・・(うっとり)。

 テンポ、コマの切れ変わるタイミング、キャシャーンの筋肉の動きまで再現されている作画、使うべきところには手を抜かないで使われている画の枚数、今、立派なヲタの目で見ると、ビデオもない時代、ただ消費されていただけのテレビアニメとしての品質を考えると、良い方向へ大きく外れた、オーバークオリティー作品だよね。

 でも、とにかくカッコいいのである。作り手の方々がわかっておられると言うか、見立てが非常に良いのです。

 まさにタツノコイズム!!(でもちょっとバタくさい)たまらん!!

 

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2005年11月 2日 (水)

キラーコンテンツ

 ヤフーのニュースに「USENの無料ブロードバンド放送GyaO(注:音が出ます)で、ドキュメンタリー番組『怪獣のあけぼの』の配信がスタートした」との記事あった。

 第一話を早速視聴した・・・プロジェクトXなんかよりずっといいドキュメンタリーに仕上がっている。

 視聴をしながら、GyaOのこと、それと規制だらけの今の地上波テレビのことなんかを考えさせられた・・・。こんなメディアが有りだとしたら、地上波デジタルの存在意義って有るのかな・・・。在京のキー局はまだしもローカル局の存在意義って・・・統括している総務省(旧郵政省を含む)はどう考えているのだろう。郵政民営化のおかげで、総務省におけるテレビ局利権は旧郵政族にとっては、残されている数少ないおいしい部分だと私は思っていますが・・・。

 しかし、NET上では通信環境の整備が進み、言葉だけではない本当の意味でのマルチメディア、マルチタスク(懐かしい~学生時代コレが売りのAmigaのマシンがモーレツに欲しかった・・・)の時代が来ているように思われた。(私だけ)

 自分もBlogだけじゃなくて動画が動くHPを作りたくなった。

 

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2005年11月 1日 (火)

クレオパトラの鼻が・・・

 この前のオートポリスのクラッシュで鼻の軟骨を折ったと書いたが。こちらの方も治ったようだ、こちらはトレーニング効果による治癒スピードアップはあまりなく、医者の見立てどおりの全治1ヶ月。

 しかーし、不幸中の幸い、再生された鼻の軟骨は、今までよりも若干鼻を高くしてくれたような・・・だって以前に比べて鼻の穴の形が明らかに違うんだもん。人の体はストレスが掛かると次の時には同じようなストレスに耐えるために頑丈に作り直されるそうですが、それかっ!!軟骨グッジョブ!!ただ、ピレリP0のタイヤパターンの様にちょっと左右非対称形状になってしまいました。

 此処の所毎日、風呂上りに、気を使って鼻の形を整えていた(鼻が曲がらないように、鼻をつまんで引っ張っていただけですけど)甲斐があった。(事故後直ぐの頃は感触がぐにゃぐにゃでキモかった。)

 だれだっ!「鼻が高くなったって言ってるようだけど、違いなんてわからない誤差の範囲だ。しかも原因は軟骨とかじゃなくて、嘘の付き過ぎじゃあ・・・」なんて言っているのは。

 ただ後遺症と言うのでしょうか・・・この事故の後、右の鼻の穴の方から、ちょっとした事で直ぐ鼻血が出るようになってしまいました。

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