目について思う
ジムにて、剣道を続けている山本君とお互いのトレーニングについて話をする機会がありました。
そこで彼の口から出た言葉は、「目のトレーニング」についてなのです。普段より何か目のトレーニングをやっているかと言うものでした。偶然にも昨日、モト・ラボロの神宮司さんから「もっと練習です。とにかく練習です」と私のサーキットでの練習走行不足を指摘を受け、その翌日の今日、山本君からも目に付いての話だったのです。
この二つの事例は今の私にとっての天啓だと思いませんか。
サーキットでの実走はそのスピード粋での目のトレーニングにももってこいなのだ。山本君の話す「目のトレーニング」はそれにとどまらず、普段よりフォーカスのスピードアップ、動体視力の神経伝達スピードの維持のため何か考えた方が良いのではということだった。「お互いもう若くないのだから衰える一方、筋トレで体の維持をこうやってお互いやっているが、お互いの競技を考えると目の機能維持を考える歳だ、衰えてからでは遅いんだ」とのこと、激しく同意です。
もともと視力の悪い私、11月のモトルネが終わりオフシーズンに入ると共に、近視・乱視矯正の「ウェーブ・レーシック手術」を受ける予定にしているが、その後の視力維持トレーニングを真剣に考える時に入っています。
太平洋戦争時、零戦のパイロットでエースだった坂井三郎氏の著書「大空のサムライ」の中で、目のトレーニングで遠方凝視をしていたという記述がある、その時、昼間の空に星を見たとも。
思い返せば大学時代の陶山先生の生化学の講義の最初の内容が、人間の潜在ポテンシャルについてであった。人間の肉体の性能を使い切った時の人間の可能性のすごさに驚き、今でもその内容はこの頭の中に残っているのだが。それによると「昼間の空に星を見る」行為はかねての人間ならできていたであろう視力なのだ。アフリカ人が水平線上に「あぁ何々村の誰と誰がいる。」と識別できるように。
文明人と称する我々が、自らの体の性能を生かしきれず退化させ、自らの思い込みによる限界の檻に閉じ込められているかが証明されているがよく判りました。
この前のオートポリス遠征の時、夕食時にkuwaさんとこれから僕たちの目指すべき道は「高貴な野蛮人」=「noble savege」だ、と話したばかりだったのだが、山本君といいジンさんといいkuwaさんとの話といい、やはり何かが私の背中を押しているようにしか思えないですよね。
話を戻しますね。目という器官のブラッシュアップのみならず、見るという行為は実は脳が見ているのであり、脳内のニューロンネットワークの再構築、神経伝達スピードの維持などやる事が山盛りです。そう目だけではない身体全てがそうなのだ・・・。
ストイックに初動負荷トレーニングを行う事は「この体を使い切る」方法論だと身をもって解る今日この頃なのです。
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コメント
眼球の動き、動かし方も大切らしいぞぉ・・・松永さまのところにも届いているフリーペーパーにも書いてあったね。
投稿: 瓶星@きょうは川崎 | 2005年10月 8日 (土) 23時27分
瓶星@きょうは川崎さま
なんか最近、ボストン美術館に所蔵されているゴーギャンの『我々はどこより来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか』が見たい今日この頃です。
投稿: 松永 | 2005年10月 8日 (土) 23時37分
今すぐ行って見てくるべきかな・・・そしてレースで納得のいった結果が出たらまた行くと良いでしょう。 そう簡単に見に行けないのがネックですが。
わたしには世間並みの解釈しか今はできません・・・だから、見たいけど見たくない。
投稿: 瓶星@あしたは関内 | 2005年10月 9日 (日) 00時00分
機中泊で行って来いやったら、週末だけで会社に穴あけないで行けるかな?などと真剣に考える自分がいる今日この頃。
いつも私を斜め45°上方より鳥瞰しているもう一人の私が「バカッ!」と言っております。
投稿: 松永 | 2005年10月 9日 (日) 00時18分
会社に穴を開けなくても、トレーニングに穴が・・・それができないから、絶対に行けない、に1000点。 どうだっ。
投稿: 瓶星@しばらく関内 | 2005年10月 9日 (日) 00時24分
プラド美術館のゴヤの「黒い絵」の連作も見たい。
行きたいけど行けない・・・
この週末はミュシャ展を見に、松江に行こうと思っています。
投稿: 松永 | 2005年10月 9日 (日) 00時31分
頭蓋骨の中身と眼球を繫ぐ眼神経の神経機能の向上はもうはじまっておるのじゃ。
”武蔵”先生はつけ加える。
物陰 背後 前後・上下・左右 何れにも死角があってはならん。
眼球だけがモノ見る器官にあらず。
モノ見るに その方向見る必要なし!
投稿: BJOD | 2005年10月 9日 (日) 00時34分
BJODさま
> モノ見るに その方向見る必要なし!
武蔵先生の言うところの 「観」の目ですね。
投稿: 松永 | 2005年10月 9日 (日) 00時44分
我々高速道路を」走っているとき 眼からの情報の大半を切り捨てている。同じことはサーキットの直線でもいえる。一秒で50m その4秒分ぐらい先を漠然と見ている。しかも路面を見ずに先行者との間隔等を測っていることが多い。
ボクシングだって相手の左右のグラブを見ているのではない、
多くの情報の分析の能力 また分析によらず
反射による正しい対応は ヤッパ練習でしょ。 視力はもちろん大切だが タイムUPの
第一条件は”路面からのインフォメーション”の収集能力と右手のコントロ-ルの連携、セッテイング能力かな?
しかし あの雪の日のBOTTの視界の悪さ
無さ 。 あれは”観”じゃ走れないな。
目は大切だな。 松永様
投稿: BJOD | 2005年10月 9日 (日) 09時18分
鍛錬、修練の域を超えた体と精神力つくり。
これはもうサイボーグの世界だ。
人間の体力衰退現象は必然。現状をいつまで、どの水準で維持できるかだけの話。
神の領域に踏み込んだかな。
投稿: 普通人 | 2005年10月 9日 (日) 09時52分
> あの雪の日のBOTT
私は決勝のオープニングラップの一ヘアで、かなりペースを落とした走行で、尚且つ新品のレインタイヤなのにブレーキ握ったらそのままタイヤがロックしてまっすぐ行ったので、こんなのに命掛ける必要無し、レースにならんと路肩に止めてリタイヤしましたね。(路面に シャーベット状の雪が積もっていましたよね、本来ならレース中止だ。)
サイディングラップ中にシールドに雪が積もったのは参った・・・。「ワイパーが要るな。」と真剣に思いました。
投稿: 松永 | 2005年10月 9日 (日) 11時48分
普通人さま
> 鍛錬、修練の域を超えた体と精神力つくり。
全然まだまだです。神だなんて、まだ人間にもなっていません。妖怪人間です。
ジムに来られている、トップアスリートの身体を見ると、自分なんて全然あきません。
彼らの体は、「形態は機能に従う」の言葉どおり、見た目がどうと言う美しさとは違う、機能優先としての機能美を身に付けておられます。
又、鍛錬と言う言葉ですが「千日の稽古を鍛とし、萬日の稽古を錬とす」(宮本武蔵『五輪書』水の巻) と武蔵先生は言っています。
朝、NHK教育の子供番組「日本語で遊ぼ」の中で使われていました。
去年の7月24日から本格的な筋トレを始めています、日数で見ても、まだ『鍛』の半分もいってないです。(もちろん日数なんかより内容が重要!)
投稿: 松永 | 2005年10月 9日 (日) 12時03分
>目指すべき道は「高貴な野蛮人」
ええっ、オレは首狩ったり、頭の皮剥ぐの嫌だよ(笑)
投稿: kuwa | 2005年10月10日 (月) 22時20分
>ええっ、オレは首狩ったり、頭の皮剥ぐの嫌だよ(笑)
わかってねぇなぁ~、携帯ストラップに付けるちっちゃい干し首を作るんです!(笑)
投稿: 松永 | 2005年10月10日 (月) 23時11分