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2005年10月15日 (土)

mene mene tekel upharsin

 紀元前六世紀、新バビロニアの王の息子で摂政であるベルシャツァルは、エルサレムのソロモン神殿より略奪してきた聖なる黄金の盃を用い宴を行っていたところ、空中に『人間の手』が現れた。その手は王宮の壁にアラム語の文字で次のように記した。

 「メネ メネ テケル ウパルシン

 王に仕えていたユダヤ人のダニエルは次のように訳する。

 「数えられた」「数えられた」「量られた」そして「分かれた」と。

 彼はこの言葉の意味するところを「神はあなたの治世を数えて、それを終わらせ、秤にかけられ、不測と見られました。あなたの王国は二分されて、メディアとペルシアに与えられるでしょう。」と、解き明かす。

 その後まもなくして、新バビロニア王国はペルシア軍により滅ぼされた。

旧約聖書 ダニエル書 第五章

 昨日の新聞記事で「アラビアのロレンス」ことT.E.ロレンスによる 中東構想図が発見されたと言う記事が出ていいます。

 同じ日の新聞記事では、イラクにおいて、この15日に実施される新憲法草案の国民投票を前に夜間外出禁止令とともに、現地時間14日午前零時(21:00GMT、日本時間午前6時)から16日まで国境が封鎖されることとなったようです。この3日間、商店は休業となるほか、この日の夜から15日いっぱいは、個人の自動車の夜間走行が禁止、もはや戒厳令である。

 だからこそ問いたい、まさにぴったりのこの時期にロレンスの中東構想図は本当に発見だったのか?と。意図的なリークではなかったのか・・・。今のこの地帯の国境線は、ロレンスの意に反する形の、イギリスとフランス両国による1916年当時からしても前時代的であると言われている「サイクス・ピコ協定」によりほぼ決まったものだ。今回の発見において、ロンドンの帝国戦争博物館のウィルソン歴史顧問は「ロレンスの提案は帝国主義的な領土分割を行ったサイクス・ピコ協定に比べ、はるかに優れたものだ。」と述べられているようなのですが、それって「今更・・・」って思われませんか?

 イラクが新国家として立ち直ろうとしている現在、この発見されたとする資料を、都合よく何かに利用できないかと考えている人間がいるのでは?ということを懸念しているのです。(それとも私がひねくれているんでしょうか?)あまりにもタイムリーすぎて気持ちが悪いんです。(あくまでも私の想像なんですが、クルド人自治区に新たな国境線をなんてことを言い出す輩が出て、隣国トルコを巻き込んだ新たな戦争の火種となりそうで、この記事を読んだ時から何やら胸騒ぎがするのです。)

 当のロレンスはどう思ってこの地図を描いていたのでしょうか。考古学者としての顔も持つ博学な彼の事です、ひょっとして百年先のことを見据え、ダニエル書の言葉“mene mene tekel upharsin”を小声で呟きながら、アラブ民族自決連動を思い領土分割図の色分けをしていたのかもしれません。

 歴史は繰り返します・・・・ mene mene tekel upharsin

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コメント

世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。
(創世記11章)

投稿: 海苔 | 2005年10月15日 (土) 21時11分

ほぉー、こんなニュース気が付きませんでした。
ロレンスの中東構想図は、欧米では無かったことにしたいもののはず。
いまさら、発見って・・・いうのはおかしいと思う。
ずっと、閲覧禁止で忘れられて埃かぶっていただけだったのでは??「失われたアーク」の一番最後のシーンみたいなかんじです。

これが、今後の中東再編に影響するのかはわかりませんです。ただ、ロレンスは中東の部族間の事情には詳しかったとは思います。だから当時、彼が描いた構想図は無理が少なく民族間でのトラブルが起きる危険性も少なさそうなのは想像できますね。

投稿: kuwa | 2005年10月15日 (土) 21時59分

>彼が描いた構想図は無理が少なく民族間で
>のトラブルが起きる危険性も少なさそうな
>のは想像できますね。

今現在は、そうならないような気がして胸騒ぎがするのです。
クルド人自治区にある北部の石油利権がらみで、フレデリック・フォーサイスの小説「戦争の犬たち」のような事が、この地を舞台に起きない様に願うばかりです。

投稿: 松永 | 2005年10月15日 (土) 22時16分

映画『JFK』をCATVで観た。(何度目か・・・)
映画のエンドクレジットに監督オリバー・ストーンの次の言葉を見つけた「過去の出来事はプロローグだ。」
このBlogの記事を書いた日に、この言葉を目にするのは何かの縁を感じる。

投稿: 松永 | 2005年10月16日 (日) 00時16分

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