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2005年10月

2005年10月31日 (月)

Trick or Treat

 今日はハロウィーンです。

 米国のヤフーファイナンスのForbes今日の記事をよんで大笑いした。

 米の経済著名人を使ったハロウィーン用スターウォーズマスク。

 ジョブスのヴェーダーとグリーンスパンのヨーダ、マーサ・ステュアートのアミダラって・・・(大笑)こんなのがあなたの玄関の前で“Trick or Treat”なんて言って立っていたら、どうします?(大笑)

 どんな施しを与えれば良いと思います?施しをしなかったどんないたずらをされるのか?こんな事を考えただけで可笑しくてしょうがないです。

 さてさてコレを読んでいる皆様、リンクを貼ったHPに行ってみてください、そしてそのキャラクターがだれだれの家の前で“Trick or Treat!”と言うのか、面白いネタをコメント欄に残してください。

 それでは私も“Trick or Treat!”

注:ネタがネタだけに洒落にならないヴァイオレンスなネタは絶対禁止です。皆さん、言っている意味解りますよね。

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2005年10月30日 (日)

行け我が思いよ、黄金の翼に乗って

 先週の事だが、11月の半ばのミラノショーに一緒行かないか、とモト・ラボロの神宮司さんに誘われた。

 筑波のテスト走行までに返事をすると答え、お金は今売ればちょっとだけ利益の出ているNY株を売れば・・・等と金策を巡らしていたのだが、どうしてもこの時期、今からでは(情報があと一ヶ月早かったら・・・)仕事に穴が開けられない・・・泣く泣く断腸の思いで私にとっては不本意ながら、この願ってもないお誘いをお断りする事とした。

 MOTO GUZZIについて、このミラノショーで何かしらのサプライズがあるのでは?との憶測が巷に飛び交っているが、もしそれが事実ならジンさんに同行するモト・ラボロの肴倉くん、後で詳細なレポートよろしくということで。

 あとMV agustaの6気筒とかミドルクラスの3気筒の発表があるのかな~なんて思いを巡らせている。なにせMV agustaの本拠地ミラノだからね!

 ただ、行くことを前提に妄想をしていた時は楽しかった・・・ジュール・ベルヌの『八十日間世界一周』を見習って今なら機中泊と週末だけで何とか『八十時間ミラノ大阪往復』ってどうかな・・・?旅支度は、いつも旅に持って行くグルカバックのNo.2に「毛のシャツ2枚、靴下3足」、それと財布以外に非常時のお金を持っておくための、お気に入りの「銀のマネークリップ」はどこにやったけ?てな感じで・・・。

 行けなくなったので妄想だけですけどね。(笑)

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2005年10月29日 (土)

人の創りし物

 筑波より何事も無く帰って参りました。

 AM7:10羽田発の飛行機に乗り、家に帰りるや否やスーツに着替え、そのまま会社に出社。私の休んだ前日の電話問い合わせ、来客者の方々の名刺が並べて置いてある私の机に、ちょっとうんざりしながらいつもの仕事の始まりです。一日の仕事を終え、ジムに行き、いつものメニューをこなし、このBlog書いている今、一つの光景が思い出されます。

767-200  まだ私が機上の人であった時間、朝のまだ高度の低い太陽の光線が、乗っているボーイングの翼を掠めるように射しています。右舷側の窓側席、席番号21Fに座っていた私の視界に、巨大なアルクラッド表面処理を施したアルミニウム合金製の巨大な翼の表面に、何百もの沈頭鋲のパターンが浮かび上がりました。 「美しい・・・」整然と並ぶ沈頭鋲全てに八百万の神々が宿っているようです。プロシア式の軍隊パレードのごとく、等間隔で整列した沈頭鋲のその下には、翼の強度を支えるリブがあるのか・・・まるで鍛え上げられ贅肉の無いアスリートの皮膚を通して、血管の走る様、筋肉の隆起、骨格のフォルムが映し出される様な美しさです。「神は細部に宿る」とはこの事です。

 このBlogを書きながら、自宅の机に上にあるデスクトップモデルのボーイングを見ながら、この朝の光景に再び思い巡らすのです。

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2005年10月26日 (水)

カエサルの物はカエサルへ

 今、店頭に並んでいるネコパブレッシングの本「Classic MOTORCYCLING」、皆さん手にとって読んでみられました?

 その本の中、高倉 康さんの書かれた記事「イタリア旧車シーンの今」の中に、私、松永が目頭を熱くして見た写真があります。P42~43のジャン・ピエトロ・パルメジャーニさんのコレクションについての記事にその写真はありました。

 かねてより私がこのBlogに何度も書いてきた「火の玉男」ことタルクィニオ・プロヴィーニの乗ったMoto Morini250の写真です。

 パルメジャーニさんがこのマシンを手に入れた頃の状態は、ProtarJapanのホームページに岡部社長の手による記事があります。ホームページに載っている最初の状態を見てみて下さい。

モリーニを追うその1

モリーニを追うその2

 そして本に出ている写真を見ると、ずいぶんキレイキレイになっています。写真をよーく見ていると「あっ・・・」と思いました。ビニールテープが巻いてある・・・(涙)。

 岡部社長曰く、プロヴィーニさんは「ビニールテープ男」と。ともかくビニールテープでぐるぐる巻き、一時期このビニールテープについて松永なりの考察をして、質問メールをした事がありました。

以下がそのメールの一部です。

 1:点火コイルの本体グルグル、ステーへのバッテン巻きに至った松永の考察です。
 レーシングシングルエンジン特有の高回転時の高周波振動対策として、点火コイルに防振用としてビニールテープだったのでは、またステーのバッテン巻きは、振動による金属疲労によるステー破損を見越しての保険では無かったのでしょうか・・・
 実際、車体ステーのボルト取り付け部分に溶接で補強か補修をした後のようなものが見えるような・・・
 一度走行中に脱落等のトラブルがあったのではないですか?。

 2:リアーサスのスプリングカバーのストライプ貼りについてです
 プロビーニ流のおしゃれだったのではと思います。
 50年代の終わりからアメリカではヴォン・ダッチことケネス・ハワードによりピンストライピングがバイクムーヴメントの中で流行ったことがあります。
 60年代にはトライアンフのリアショックスプリングカバーに、ヴォン・ダッチによって、モリーニ施してあったようなテープによるストライプに似た塗装を施したものもありました。
 この時代の「カッコイイ」といった感じだったのではないのでしょうか。
 前期型はただのむき出しスプリングだった後、上半分にクロームメッキのカバーが着いたサスに変更になったとき、「ここにストライプが入ったほうが断然カッコイイだろう」とプロヴィーニがテープをクルッと巻いて貼ったんだと思います。

 3:キャブフロート室のストライプ貼り
 これはカッコではないと松永は思います。
 別体フロート室の位置決めの目印としてのテーピングではないかと思います。
 この前よりの岡部さんから送られた資料に、モリーニチームはピットでいつもマシンをばらしていたという記述があります。
 このデロルトのキャブのフロート室は本体から完全に独立して、キャブ本体と繋がっているのが柔軟な燃料パイプのみというフローティングマウント方式となっています。
(車体取り付けはフロート室キャップ固定ボルトを利用して防振ゴムを介し、燃料タンク下のフレームパイプにボルト止め。いかにエンジンの振動からくる油面の乱れを防ぐか考えられている)
 ただ、整備後の再組み立て時にキャブに対してのフロート室の高さが変わるとそれは油面変更と同じになってしまいます。
 限られた時間での重整備の時、直ぐに位置決めが出来るように、メカを熟知した開発ライダーとしてのプロビーニの機転ではなかったのかと思えます。「キャブのここの位置に、このビニールテープのラインの下端をもって来るといいじゃないか」と言った具合に。

 とまあ、生意気にもプロヴィーニの右腕をやっていた方に、こんなメールを送っていたりしていたんです。

 このメールに対する返事として、1と3についてはほぼ正解の及第点をいただきましたが、2については、サーキット別にセットアップされたリアサスに交換していたため、分かり易いように目印として入れられていたようで、このコースにはストライプ無し、あのコースにはストライプ一本の物、二本の物といった具合にテープを巻かれていたのが正解のようです。

 今のオーナーはちゃんときれいにした後、同じようにビニールテープを巻かれています。普通キレイにレストアして保管される方は、ライダーが貼ったビニールテープなんて無かった事にしますよね。それをちゃんと・・・・(再び涙)

 パルメジャーノさんはMoto Morini250が欲しかったのではなく、タルクィニオ・プロヴィーニが乗ったMoto Morini250が欲しかったのだと解り、ましてや、ボローニャで作られたマシンをボローニャ人が保存されている。他人の持ち物で他人の事なのに、「あぁ、落ち着くべきところに落ち着いた、これでいいんだ。世界は調和している。」と、この本を読んで大変嬉しく思いました。(涙腺のコックも弱くなっています)

 まだ読んでいない方は立ち読みとは言わず、買ってみてください。今回は本当に良い本になっていますよ(ノートン・マンクス特集も良かった。特にF3の記事)。

P.S 明日、筑波で行われるモトルネ走行会に復活したGUZZIレーサーのテスト走行を兼ねて行ってきます。よって明日、明後日とBlogはお休みです。

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2005年10月25日 (火)

負けず嫌い

 今日、会社から帰ると、オフクロが「栗きんとん」ならぬ「林檎きんとん」を作っていた。

 「どうしたん?」と聞くと、この週末の私の仕事を見ていてライバル心に火がついたらしい。

 「同じ物じゃつまらないので、酸味のきいた林檎のシロップ煮を作って具材にしてみた。食べてみっ!」って、オフクロ・・・動機が大人げねえよ。もうこの週末に味見で「きんとん」結構口にしているからウンザリだよ・・・orz。

 時々、私のことを「大人気ない」と言われる方がいらっしゃいますが、その原因がどうしてか、もう解りますよね。

 勝つまで延々と続ける、『負けず嫌い』な血統なんです。

 そういう自分も今日解りました。(笑)

 ♪今日もきんとん~♪明日もきんとん~♪あ~もう食べ飽きたぁ~♪(コロッケの歌の節で)

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2005年10月24日 (月)

ちょっと気になる

 東京モーターショウが開催されていますが、ちょっと気になる車があります。

 それはGTR-Protoです。

 いつもはそんなにスカイラインのGTRに萌えることはなかったのですが、このプロトタイプちょっと良いと思いません?

 とくにフロントフェンダーのサイドの面出しの処とか、後端部のエア・アウトレットの作り方とかいいですよねぇ~。

 プロトタイプですから、一般の市販ヴァージョンがこのままの形って事はないですよね。

 生産効率とかの問題で、形変わっちゃうんだろうな。

 でもどうよコレ!

 

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2005年10月23日 (日)

筋の通し方

 今日、ある方のお葬式に行ってきた。

 亡くなったのは、あるバーのマダムをやられていた方だが、そのお店は、私が生まれて初めていったお店である。

 私がこの世に生まれて、産院から家に帰る日、親父が家に直帰せず、そのバーに行き「俺に位牌持ちができたっ!!」と、カウンターの上にお包みに包まれて首も据わってない生後1週間かそこらの私を置いて、一杯やってから家に帰ったという逸話が残っている。

 もちろん家に帰った時、おふくろの雷が落ちたのは言うまでもない。(今でもこのときのことを言う。)本当の意味で生まれて初めての店なのである。

 その方がニ・三日前から危篤状態となり親族の方が「古くからの常連、松ちゃん(親父の事)を」と言う事で、親父が付いていたのだが一昨日亡くなられて、今日、お葬式となった。

 私自体、このお店には片手の指の数ほどしか行った事がないのだが、前述の逸話があるように特別な場所であったのは言うまでもない。

 親父の方から参列について何もないので、私から「俺も行くべきではないのか?」と言うと「ありがたい・・・」と、息子の前で泣きやがった。歳をとると涙腺が弱くなるようだ。

 式の後「あの店は青春だった・・・一つの時代が終わった・・・」と親父が呟いていた。

  式の方は、この地の政財界のそうそうたる方々の出席されており、諺曰くの「歴史は夜作られる」の舞台となっていた店であったと再確認した。

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2005年10月22日 (土)

お菓子つくりは肉体労働

 栗を頂いたので、この前収穫したサツマイモの糖度の高い方の品種「紅東」と共に「栗きんとん」を作ることとした。 栗を下さった方にお返しとして私の作った栗きんとんを返そうと言う訳です。

20051022091001 私の今回の戦場、我が家の厨房です。うちの家系は変にこだわると言うのか・・・親父のこだわりの厨房です。業務用の装備がどっさりであります。大体一般家庭にホシザキの冷蔵庫って・・・。

20051022091055 さてさて、これが栗です。ちょっと虫とかが入っていますが、完熟してから収穫してあるようで、身がみっちりと硬く締まり、重さがあります。何でも高い木の栗との事、実が完熟して落ちてくるまで人間が手も足も出ないとの事でした。

satumaimo20051022105210  栗の皮を剥き、面取りをして痛んだ所や、虫に食われているところをキレイキレイにします。黒くならないようにさらしてある水には明礬を入れています。となりの黄色はサツマイモです。この品種は色目も黄色みが強いので、今回は着色のための梔子(くちなし)の実は使わなこととしました。

2005102210512320051022111225uragoshigo   サツマイモを炊き、炊き上がったものを裏漉しに掛けます。ちゃんと馬の尾で編まれた漉し器です。裏漉し作業は額に汗が出るほどの重労働、昨日の記事では有りませんがベン・ハーのガレー船の漕ぎ手のイメージです。裏ごしを終えたサツマイモをものすごーい弱火にかけて、ちょっとづつ砂糖を加えながら照りが出るまで練ります。(これも焦げ付かないように細心の注意で、しかもどんどん重くなってくる重労働)その横で栗も炊きます。炊きながらこちらにも砂糖を加え甘みを調整です。

 栗も炊き上がったら、粗熱をとる為放置プレー。放置プレー後、イモと栗を合わせ味が馴染むまでまたまた放置。・・・で出来上がりがこれだ。

kurikinton

 時々、作業を見ていて口を挟んでいたオフクロが完成品を見てボソッと「サツマイモはいいけど栗の発色がなっていない。やはり栗を炊く時には梔子を使うべきだ」と厳しい一言。

 私もわかってらいそんなこと。ホントに容赦ないです。非常にキビシーッ!でも味はまずまずだと思うんだけどな(自画自賛)。

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2005年10月21日 (金)

ベン・ハーを観て想う

 体調不良でトレーニングを早上がりした日、DVDで何度目かのベン・ハーを観ながら気が付いたことがありました。

 それは異常なまでの脚本の緻密さです。まさに「細かな縦横の糸が織り合わされているかのごとく」と形容されるに等しい脚本なんです。これより、私の気が付いた一例を挙げて見ようと思います。

 ベン・ハーのオープニング、聖書の一節キリスト生誕の場面で、東方の三賢人(キャスパー、メルキオールそしてバルタザール)が星の導きによって、キリスト生誕の地、ナザレにある厩に向かうシーンより映画が始まります。劇中キリストの一生に平行して、その人生が描かれているジュダ・ベン・ハーはローマ人の旧友メッサラとの間に軋轢がおき、ガレー船の漕ぎ手として流される、そこで将軍を助け、ローマ皇帝により自由を言い渡され、晴れてエルサレムに向かう途中、前述の三賢人の一人バルタザールに出遇い、彼の紹介でアラブの族長の4頭引き戦車競争の御者としてエルサレムに凱旋する。と言うのがインターミッションまでの前編です。

 この4頭の馬の名が星の名前(リゲルアルデバランアルタイルアンタレス)なのです。はっと気が付いた・・・三賢人は星の導きによってキリスト生誕の地を導かれ、その三賢人のうちの一人の導きにより、星の名前を持つ四頭の馬を御し、運命を切り開くベン・ハー。

 絶対確信犯だ!脚本家凄い!と、この想いを記事にすべく調べ物をしていて又驚いた。

 劇中、ユダヤの地の新総督に決まったピラトがぼやく、「蠍と預言者の支配する土地だ」と、また戦車競争の前夜、ベン・ハーは一頭の馬に話しかける。「頼んだぞアンタレス、お前がアンカーだ」と。

 アンタレス・・・さそり座に輝く赤い星。

 脱帽である。

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2005年10月19日 (水)

体調悪い

 体調が尋常でなく悪い。

 なんだか体がだるく、動きに全然切れがない、今日は上半身トレーニングだけで切り上げました。 力が入らないんです。

 原因を考え、昨日以前の行動を振り返ってみても、いつもと同じことしかしていない・・・よーく考えた・・・ひょっとして、一年ぶりくらいにお昼ご飯に揚げ物(ささ身のフライ)を口にしたから・・・・?

 油物の合わない体になってしまったのでしょうか?まさかなー。そーいやオートポリスの時、天麩羅が出たよな。じゃ一年ぶりじゃないや。

 では、なぜ?ただただ、だるいのです。

 起きていても辛いのでもう寝ます、皆様おやすみなさい。

 

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魔笛

 仕事で取引先の会社に徒歩で向っている途中、秋晴れで湿度も低く気持ちいいので、ついつい口笛を吹きながらの移動となっていた。

 曲目は私が愛して止まないモーツァルトのオペラ『魔笛』だったのですが、ちょうど魔笛を主人公のタミーノが吹くフレーズを口笛でなぞり、吹いていたところ、信号で待っていたおば様がチラッとこっちを見て、「魔笛ですか」とニッコリされた。

 「えぇ」と答えながら、別に注意されたわけではないのだがバツが悪く、口笛を止め、脳内i-pod(つまり妄想)で続きを再生し、取引先までの散歩を楽しんだ。

 でもなんだか、ちゃんと私の口笛が魔笛になって聴こえているのかと解り、嬉しかったりもする、昨日の午前9:45過ぎでした。

 よーし、今日は“フィガロの結婚”でいくぞ。予習のために一度CD聴いておくか、あっ・・・言い方が間違いですね。脳内i-podにダウンロードするか。←(これが正解)

 このBlogのポッドキャスティング化も真剣に検討中です。ポッドキャスティング化の暁には松永が贈る、口笛版歌劇『魔笛』なんてどうでしょう。だめ・・・? 

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2005年10月18日 (火)

形態は機能に従う

ikebana おふくろが玄関に活けた秋の草花の中に、興味深いものを見つけた。

 みなさん“山帰来(サンキライ)”って知っておられます?バラ科のつる性植物、正式な和名を“サルトリイバラ”といいます。

sankirai この枝が中々興味深い良い形をしているのです。枝の全ての曲がりを分度器で図ってみると 150°・・・これには何かこうなるべき理由があっての150°のはずである。

 自然の生物のデザインはその進化の過程で、必ずといっていいほど「形態は機能に従う」という法則に則ってなるべき形になっています。ではその機能とはナンなのか・・・?こう言う事を考えるのが私は大好きなんですね。あぁ・・・当分眠れそうもない。こんなものが家の玄関にあるからだ~!誰か知っている方いらっしゃいます?私は真剣に調べていきます。

 しかし、こういった生け花(すすき、不如帰、菊そして山帰来)を活けるおふくろ、グッ・ジョブです。

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2005年10月17日 (月)

The blue moon

 昨日、東京在住の私の尊敬して止まない、大切な人生の先輩より、中島 敦著の「山月記」の写しを頂いた。

 もちろんかねてより私もよーく知っていた話(高校の国語の教科書に載っているよね)で、昨今、この物語の主人公と自分を照らしあわせた事すらある。

 この物語を私に贈ってくれた方はちょっとした皮肉屋さんなのだが、同封されたいた手紙に「私の座右の書」とされていた。

 正直びっくりした、歳は親子ほど離れた関係であるのだが、「あぁ・・・住んでいる世界、見えているものが同じだ」とこの手紙を読んで瞬時に理解できた。

 簡単にあらすじを書いておくと、自分の才能で生きていこうと決意をした男が、家庭のこと、貧しさに負け、月並みな地方の小役人として生きる事を選ぶが、それが元で心を病み、心の獣性に囚われて虎になってしまう。と言うお話だ。

 自分がこの物語に関心を持っていたのは、レース時に、この物語の主人公が憑つかれような『獣性』に惹きこまれないと言う事をテーマとして昨今のトレーニングを行っているからだ。

 去年より転倒が多く、すぐ熱くなってしまう性分を直し、ちゃんした基礎体力をつけ、動ける体(体重を減らす事も一つ)をつくり、一人でマシンのセッティングをきめられ、気持ちが先に行ったライディングではなく、熱いハートをクールな頭脳で飼いならした理性的なライディングテクニーク身に付けねばと日々思って体を鍛えている。(結果は中々付いてこないが・・・)

 高校の時、熱中症になるほど稽古させられていた剣道部で、「心・技・体」と毎日のように言われ続けていたが、できの悪い私は、痛い思いをし、20年もたった40手前の38歳になって、このことが「心・技・体」なのかと、やっとその言わんとするところが見え始めてきたところだ。(「エーレカッ!!」と叫びたい気持ちだ)

 地方に身をおき、週末になると四つん這いに近いスタイルで、サーキットを走っている私を思い、その方はこの「山月記」を私に送られたのであろうか・・・。  

 この記事を書きながら窓の外を見ると、美しい満月が透き通った秋の空に輝いています。

 ニ、三度に月に向って咆えたくなった。

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2005年10月16日 (日)

benelliの進捗状況

 昨日は出勤の土曜日だったのだが、ジムが定休日の土曜日でもあったので、これ幸いと宵の口からプロヴィーニ追悼展示会用の作品製作に没頭した。没頭の結果、いつもは午前0:00Blog更新が今の午前9:15となっている。

 プラスティックの板を切り出してそれを積み上げ空冷フィンをシャープに仕上げているのだが、昨日作った四つのシリンダーブロックの内2つが高さの寸法が何か変だ・・・そろっていない・・・接着剤の付け加減でシリンダーブロックの高さが変わってしまったのだ・・・orz

 そんなこと見なかったことにすればそれまでなのだが、私はできない。誤差といっても0.5㎜無い位なのだが、1/9スケールなので0.5㎜×9=4.5㎜実車で4.5㎜の製品誤差なんてありえない。もうこの差は不良品ではねられる差だ。

 人間の目ってたいした物で、「何が変か解らないが、でも変だ!」と解ってしまう。そういうことって、このような微妙なゆがみとか、寸法違いを見て見ない振りをして、そのような妥協を積み重ねて作品を完成させると起こる症状。人間の目って怖いんですよ。

 これより補正作業にはいります。ノギスで測りながら駄目なところのナイフの刃をあてて積層面を剥がし、紙やすりで均し、再び切り出したプラ板を貼り付けていきます。

 天気も良いのに今日一日、家に引きこもって模型製作です。

  なまじこんな資料があるので手が抜けない・・・orz。資料有り過ぎってのも中々形になりませんな。

benelli-engine5 benelli-engine6

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2005年10月15日 (土)

mene mene tekel upharsin

 紀元前六世紀、新バビロニアの王の息子で摂政であるベルシャツァルは、エルサレムのソロモン神殿より略奪してきた聖なる黄金の盃を用い宴を行っていたところ、空中に『人間の手』が現れた。その手は王宮の壁にアラム語の文字で次のように記した。

 「メネ メネ テケル ウパルシン

 王に仕えていたユダヤ人のダニエルは次のように訳する。

 「数えられた」「数えられた」「量られた」そして「分かれた」と。

 彼はこの言葉の意味するところを「神はあなたの治世を数えて、それを終わらせ、秤にかけられ、不測と見られました。あなたの王国は二分されて、メディアとペルシアに与えられるでしょう。」と、解き明かす。

 その後まもなくして、新バビロニア王国はペルシア軍により滅ぼされた。

旧約聖書 ダニエル書 第五章

 昨日の新聞記事で「アラビアのロレンス」ことT.E.ロレンスによる 中東構想図が発見されたと言う記事が出ていいます。

 同じ日の新聞記事では、イラクにおいて、この15日に実施される新憲法草案の国民投票を前に夜間外出禁止令とともに、現地時間14日午前零時(21:00GMT、日本時間午前6時)から16日まで国境が封鎖されることとなったようです。この3日間、商店は休業となるほか、この日の夜から15日いっぱいは、個人の自動車の夜間走行が禁止、もはや戒厳令である。

 だからこそ問いたい、まさにぴったりのこの時期にロレンスの中東構想図は本当に発見だったのか?と。意図的なリークではなかったのか・・・。今のこの地帯の国境線は、ロレンスの意に反する形の、イギリスとフランス両国による1916年当時からしても前時代的であると言われている「サイクス・ピコ協定」によりほぼ決まったものだ。今回の発見において、ロンドンの帝国戦争博物館のウィルソン歴史顧問は「ロレンスの提案は帝国主義的な領土分割を行ったサイクス・ピコ協定に比べ、はるかに優れたものだ。」と述べられているようなのですが、それって「今更・・・」って思われませんか?

 イラクが新国家として立ち直ろうとしている現在、この発見されたとする資料を、都合よく何かに利用できないかと考えている人間がいるのでは?ということを懸念しているのです。(それとも私がひねくれているんでしょうか?)あまりにもタイムリーすぎて気持ちが悪いんです。(あくまでも私の想像なんですが、クルド人自治区に新たな国境線をなんてことを言い出す輩が出て、隣国トルコを巻き込んだ新たな戦争の火種となりそうで、この記事を読んだ時から何やら胸騒ぎがするのです。)

 当のロレンスはどう思ってこの地図を描いていたのでしょうか。考古学者としての顔も持つ博学な彼の事です、ひょっとして百年先のことを見据え、ダニエル書の言葉“mene mene tekel upharsin”を小声で呟きながら、アラブ民族自決連動を思い領土分割図の色分けをしていたのかもしれません。

 歴史は繰り返します・・・・ mene mene tekel upharsin

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2005年10月14日 (金)

感動した(号外)

こんなバースデーケーキって素晴らしい。

http://d.hatena.ne.jp/Shie-e/20051013#p1

四国の方はここにオーダー!!

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治癒のスピード

 今日、病院に行ってお医者さんに驚かれた。完治まで三週間~一ヶ月位掛かる見立てでしたが、既に「完治」だそうです。(痣がちょっとだけ残っている程度で傷みは無い)猛烈に治癒スピードが速いとの事。こけたのが今月の2日だったから一週間半見立ての半分だ!

 トレーニング時にこの事をトレーナー氏に伝えるとあたりまえと言った顔で「当然!厳しい負荷のトレーニングは駄目ですが、今くらいの負荷(ストレス)を体に掛けてやったほうが断然治癒力が上がるんです。」との事。(あぁ・・始めの頃の痛みに耐えながら自分を信じてトレーニングしていてよかった。)そーいえば、鎖骨を折った状態で、上半身を襷の様なコルセットで固め、トレーニング(もちろんこんな状態なので下半身中心のトレーニング内容、トレーナーつきっきりであります。)をしているアスレートを見かけていたのだが、「あの鎖骨を折った方も手術なしで骨が付きそうです。」ってすげー。

 マシンの目途も立った、体も治った、あと一ヶ月、もっと高みに行くために更なるトレーニングだ。

 そうそう、筑波の走行会も間に合いそうである。

 肱岡トレーナー、そしてJINさんありがとう。皆のおかげです、一人じゃできないよね・・・(涙)。

 

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2005年10月13日 (木)

金木犀の馨

kinnmokusei  仕事で街を歩いていると、町中が金木犀の甘い馨で満たされている。街のあちこちに植えられている金木犀がいっせいに花をつけているのだ。

 酔うような馨の中、無性に中国茶が喫みたくなりました。あの茶葉が醗酵したときに香る、金木犀の馨・・・ここ何年も良い中国茶を口にしていません。自宅の聞香杯(香りを楽しむための杯)も泣いています。ただ、今は田舎に住む身、かつては横浜の中華街の華僑のおばあさんのお茶屋さんに行っていたのですが・・・今は無理な話。お話をしながら、大きなお茶の缶から茶葉を一つまみ出して貰い、それを口の中にいれゆっくりと唾液で茶葉をもどし、そのアロマを口から鼻に抜いて購入するお茶を決めていました。(この買い方と言うかお茶の選び方を教えてくれたのも、このお店の華僑のおばあさんでした。)

好きだった銘柄は、台湾の天霧茶でした。

あぁもう一度喫みたい・・・(遠い目)。

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2005年10月12日 (水)

ANIMAX

 昨日より、午前零時にどうしても見なければならない番組ができた。CATVのANIMAXチャンネルで放送されている、「空手バカ一代」だ。

 この作品は極真空手の開祖(故)大山倍達 師の自伝とも言える作品です、原作は梶原一騎先生、作画は「恐怖新聞」でおなじみのつのだじろう先生だ。

 しかし今のご時世この作品を電波に乗せる事ができるのかと、放送までドキドキした。だって放送禁止用語のオンパレードです。再放送の天才バカボンでも、自主規制により台詞が時々切れるのに大丈夫か・・・?と心配していたら要らぬお世話だったようだ、そのまま放送である。(えらい)

 とりあえず今日の放送、第二回は、主人公は焼け野原の終戦間際の東京で愚連隊の用心棒として生きている。(こんな設定よく放送会議で通ったな・・・凄い。ちなみに第一回は進駐軍を空手でタコ殴りにしていた・・・。)

 もう目が離せません。やはり梶原作品には何かある。

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2005年10月11日 (火)

カプチーノ

 昨日の展覧会の帰り道、下道で安来市にある喫茶店「CAFE ROSSO」に行ってみた。

 何でもこの業界で世界で3本の指の内に入るバリスタがいらしゃるというお店だ。バニラフレーバーを利かせたカプチーノを頼みカウンターにて頂いた。

 豆もオーダーを取ってから挽き、マシンでエスプレッソをいれ、ミルクをマシンで泡立ててて、あっという間に完成だ。

 器の中身は、美しい文様が浮かぶ、呑むとコーヒーの持つ糖由来ではない、アミノ酸由来の甘み(旨み)が口の中に広がる。(いい豆使ってる・・・ここ)評判に違わず本当においしいので嬉しくなりました。

 瓶星、「デロンギのエスプレッソマシンを買ったのだけど豆が・・・」と言っていたけれどここの豆、買ってみたらどう?NETで買えるよ。私太鼓判押します。

 しかしこのお店に行ける事が可能な方は行ったほうが良いですよ。バリスタの技を堪能するのも良い経験です。

 本場イタリアと同じく、シナモンスティックが付かないのが○です。北イタリア・スイス・オーストリア・南ドイツをBMWのバイクで走り回った事があるのですが、どこのカフェでカプチーノ飲んでもシナモンなんて付いていない・・・ひょっとして日本だけ?と思ってしまった。

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2005年10月10日 (月)

はてどこかで見たような・・・

 始めに注意事項を言っておきます。今回の記事は濃爆な漫画ヲタクの世界に入ります。解らない方を置いてきぼりにしてしまうような内容が含まれます。「僕はそんなにヲタじゃないけど・・・それでも・・・」と言われる方は覚悟して飛び込むように。それでは。

 松江の島根県立美術館の「ミュシャ展」に行ってきました。

 ミュシャの絵を見ていて、「こうった水彩の色使い・・・それに何かの筆致がミュシャのそれによく似ているなー・・・」と思い作品を見ながら「ウンウン」言っていると、習作のスケッチの前で「はっ!」と気が付いた。 彼は画家と言うよりも今風な言い方で言えばイラストレーター、これって、B.D.(フランスでは漫画の事をbande dessinéeつながったデッサン画と呼ぶ、それそれの単語の頭文字をとってベ・デと言う)作家の描く感じに近いような・・・と気が付いた!!メビウスエンキ・ビラル等のあの世界なのである(私にとっては)。西洋画なのに輪郭線がバッチリ入っているあたりも、ジャポニズム=浮世絵の影響が見て取れる。

 ミュシャ自体、演劇の舞台美術や衣装デザインをやっているあたり、映画の美術や衣装をメビウスやビラルがやっているのと同じである。 そう見えてくると、この展覧会が私の守備範囲となり、俄然見やすく楽しめた。「ちょっと値段が高いな」と思いながらも、カタログも買ってしまいました。家に帰ってB.D.と比較してみるつもりで。

shinnjiko  展覧会を見終わった後、外の宍道湖に懸かる空の様子があまりすごいので思わず画像に撮りました。それこそビラルの描くB.D.の様だ。

 

 湖畔にはこれまた私の好きな薮内佐斗司のウサギが跳ねていた。

yabuuchisatoshi

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2005年10月 9日 (日)

サツマイモの収穫

satumaimo  今日は午前・午後とサツマイモの収穫に汗を流した、午前中に掘り出し、乾燥させ、午後に取り込みである。

 年を越えての保存はできないが味の良い紅東(ベニアズマ)・春まで保存の効く金時(キントキ)と2種類、カートンにして5カートン・・・疲れました。

 これにて私に三年に及ぶ、農業実験はちょっとお休みします。実際体が一つなのであれもこれも(模型製作、Blog更新、肉体改造、頼まれ物の原稿書き、レース、畑つくり)できません、現に今もウィーク・ディは睡眠時間が4時間あまり、ちょっち厳しいのです。この三年で私の血肉となった砂丘地の農法ノウハウは又使える事を願いつつ、次のプランを考えます。(実は砂地を利用し、グリチルルチンの材料「ウラル甘草」の栽培をやってみたかった。中国が甘草の輸出禁止の措置をとると聞いていたので、国産化実験を個人でやってみようかななんて思っていたんです。←馬鹿)

 さてさて、明日は松江まで美術館に行ってきます、東京在住時代はArtの世界が身近にあり、すぐに何かしらの展覧会に行けたものですが、田舎に引きこもるとそちらの世界と疎遠になっていくのです。アール・ヌーヴォーの作品でも見て命の洗濯です。

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2005年10月 8日 (土)

目について思う

 ジムにて、剣道を続けている山本君とお互いのトレーニングについて話をする機会がありました。

 そこで彼の口から出た言葉は、「目のトレーニング」についてなのです。普段より何か目のトレーニングをやっているかと言うものでした。偶然にも昨日、モト・ラボロの神宮司さんから「もっと練習です。とにかく練習です」と私のサーキットでの練習走行不足を指摘を受け、その翌日の今日、山本君からも目に付いての話だったのです。

 この二つの事例は今の私にとっての天啓だと思いませんか。

 サーキットでの実走はそのスピード粋での目のトレーニングにももってこいなのだ。山本君の話す「目のトレーニング」はそれにとどまらず、普段よりフォーカスのスピードアップ、動体視力の神経伝達スピードの維持のため何か考えた方が良いのではということだった。「お互いもう若くないのだから衰える一方、筋トレで体の維持をこうやってお互いやっているが、お互いの競技を考えると目の機能維持を考える歳だ、衰えてからでは遅いんだ」とのこと、激しく同意です。

 もともと視力の悪い私、11月のモトルネが終わりオフシーズンに入ると共に、近視・乱視矯正の「ウェーブ・レーシック手術」を受ける予定にしているが、その後の視力維持トレーニングを真剣に考える時に入っています。

 太平洋戦争時、零戦のパイロットでエースだった坂井三郎氏の著書「大空のサムライ」の中で、目のトレーニングで遠方凝視をしていたという記述がある、その時、昼間の空に星を見たとも。

 思い返せば大学時代の陶山先生の生化学の講義の最初の内容が、人間の潜在ポテンシャルについてであった。人間の肉体の性能を使い切った時の人間の可能性のすごさに驚き、今でもその内容はこの頭の中に残っているのだが。それによると「昼間の空に星を見る」行為はかねての人間ならできていたであろう視力なのだ。アフリカ人が水平線上に「あぁ何々村の誰と誰がいる。」と識別できるように。

 文明人と称する我々が、自らの体の性能を生かしきれず退化させ、自らの思い込みによる限界の檻に閉じ込められているかが証明されているがよく判りました。

 この前のオートポリス遠征の時、夕食時にkuwaさんとこれから僕たちの目指すべき道は「高貴な野蛮人」=「noble savege」だ、と話したばかりだったのだが、山本君といいジンさんといいkuwaさんとの話といい、やはり何かが私の背中を押しているようにしか思えないですよね。

 話を戻しますね。目という器官のブラッシュアップのみならず、見るという行為は実は脳が見ているのであり、脳内のニューロンネットワークの再構築、神経伝達スピードの維持などやる事が山盛りです。そう目だけではない身体全てがそうなのだ・・・。

 ストイックに初動負荷トレーニングを行う事は「この体を使い切る」方法論だと身をもって解る今日この頃なのです。

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2005年10月 7日 (金)

ドナドナドナ~♪

 今日の午後6時前にキャニオンサービスさんがこの前のレースで壊れたレーサーを、横浜のモト・ラボロまで運んでくださるとの事。会社を定時のソッコー帰りで帰社したにもかかわらず、家の前に到着してお待ちになられていました。

canyon  キャニオンさんも法人化され(有)Canyon Serviceとなられ、エアーサス付きの美術品なんかを運ぶのと同じトラックでの運搬です。うれしぃ~オーナーとしてこんなに大事に運んでいただけると本望でございます。

 こうして私のレーサー@壊れは、東に向ってドナドナされて行きました。

 後はジンさんの判断です。間に合うかモト・ルネッサンス!

 もう私のできる事は自分の体の治癒と調整です。昨日もちゃんとジムにてトレーニングしてきました、がっ・・・マシンスクワットのところで、私が勝手にスクワットをしないよう、お目付け役のトレーナー氏が「いいですかマシンスクワットは明後日からですからね。休むのもトレーニングです」と先手を打たれてしまった。申告しないでこっそりやろうと思っていたのだが、ばれていたらしい。ちぇ・・・。(でもこうやって自分で書いてて気が付いたのだが、私ってそーとー大人気ないよな。だれだ精神年齢3歳児と同じだなんて言っているのは!!少なくとも5歳児の甥とは話が合うぞ!ってあかんがな。)

 でもなんかマシンスクワット抜きのこんなメニューじゃ物足りないぜ。

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2005年10月 6日 (木)

The Ultimate Racer

  ロケット機を使ったレースを2007年にするらしい。記事はこちら。この記事を読んでアメリカって本当に凄いと言うか、ある意味尊敬できるくらい馬鹿なことを真剣にやる国なんだな~と感じ入った。

 エアレースと言えば、毎年9月にRENOでレシプロ機のレースが行われている(一度でいいから行って見たい)、でも、いきなりロケット機のレースするって・・・凄いね主催者・・・。

 今現在空を飛んでいるロケット機と言えば、スペースシャトルか、この前Xプライズを勝ち取った『SpaceShipOne』しかない筈だ。

 エントラント集まるのかいな・・・?大きなお世話ですね。

 私個人としては、大戦機の独のコメート、日本の秋水、戦後なら初めて音速を破ったBELL社のX1、大気圏外まで行ったX15なんかが大好きなのですが、いったいどのような21世紀のロケット機がエントリーするのでしょう。ひょっとしてSpaceShipOneを創ったScaled Composite社が市販レーサーかなんかを売るのだろうか?とにかく実現化されれば、楽しみなイベントではある。

 それと、モーターサイクルの競技車に乗るのだってこんなに楽しいのに、飛行機のレーサーを操るって、二輪と飛行機じゃ操縦者の負担は比べ物にならないのかも知れませんが、すげー面白そうですよね。いいなぁ~

 しかし・・・ロケット機かぁ~。パイロットがフル加速掛けた時ブラックアウトして失神、墜落なんてことにならなきゃいいが・・・。 

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2005年10月 5日 (水)

これが青痣

 イレギュラーなBlogのupですが、まあ余興のつもりで青痣画像を貼り付けます。

 背中は一人では撮れないので、右腕のやつをお披露目です。「こんなののでかいのが背中の左半分に有るんだ・・・」と、そこはかとなく思ってください。

それではどうだ!

aoaza

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痛みに耐えて

 一昨日の記事のコメントに書いたとおり、月曜日からジム通いを開始している。

 さすがに月曜日は怪我の具合、疲労の調整を含めて軽めのトレーニングメニューであったのだが、それが問題ないと報告すると、昨日は今迄どおりのトレーニングをやってみましょうと言う事になった。

 いつもの10セットの内、背筋、脹脛等の打撲部分の筋肉を使うトレーニングは、5~7セットまで疼痛がする。

 しかし10セットもすると筋肉が動くようになるし、痛みも和らぐ。普段のとき歩いても痛かった脹脛が歩いても痛くないのである。いつものようにビバンダムのTシャツが汗で体にピッタリと貼りつく頃には、体温も上がり絶好調。ただトレーナー研修生の女性の一人が私の青痣を見つけ、「大丈夫ですか・・・」と、ものすごい神妙な顔をするので、今迄平気だったのに少しへこみました。

 つくばでこけた時は背中の青痣が点々と分布していて、かねて書いたようにさながらダルメシアンのようだったが、昨日が怪我をしてから2日目で、内出血を散らす薬の効果もあるせいか、初日ははっきりしていた脊椎パットの跡の青痣の輪郭がぼやけ、それぞれが繋がり、大きな一つの蒼い大陸のフォルムとなっている。まるで巨大な赤子の蒙古斑のようだ・・・その回りは黄疸が出たようなちょっと黄色めの縁取りつきだ。今回はホルスタインだな・・・。

 しかし、モトルネのため休むことなく、GUZZI乗りゆえの『鷹の爪』(唐辛子じゃないぞ!)を研ぎ続けるのだ。

 頑張れっ自分!

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2005年10月 4日 (火)

戦場(いくさば)の装束

mukade  さて、いきなりですがこの画像をご覧下さい。モデルの彼はレーシングチーム『LOVER'S MC』の有田選手です。 ここ一年、松永が気になって気になって仕方のない選手が彼なのだ!!

 何が気になるって?彼の革ツナギのデザイン、それを着る彼のセンスが気になっているのです。(センスが悪いって意味じゃなく、むしろその逆)

 聞けば、自分自身でエナメル塗料を使い黒い革ツナギに描かれたそうです。かっこいぃ~。

 その昔の戦国時代、甲斐の国、武田信玄の軍団に「むかで衆」と言う「特殊部隊」がありました、その軍団の旗指物が彼が着ている革ツナギに書かれているような百足の絵なのです。

 武田の旗指物は赤地に黒の染め抜きの百足ですが、その意匠は有田選手のそれとほとんど同じなのである。その由来は、頭を落とされても動きつづける、一節づつに切られても生きていると言った事より、突撃戦の先駆け、または一団となった部隊が、個々に動き再び一団となるといった、変則的な戦略のできる特殊部隊といった意味での「むかで衆」といった名前のようです。

 その百足を、背中から両の脚に掛けてに2匹、両の腕(かいな)にそれぞれ一匹ずつ、歌舞いていますなぁ~これぞ戦場の装束であります。彼自身は切り込み隊長の意味で百足の絵を背負っているそうです。

 タイム的にも同じようなタイム、負けられないのである。秋のモトルネッサンスにも出走されるそうです。皆さん、ちょっと注目してみてください。

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2005年10月 3日 (月)

レース報告

 昨日、九州の大分オートポリスサーキットで行われたレース、one&twoフェスティバルの参戦結果についてです。

 残念ながら、決勝オープニングラップで私の前を走っていたBuell XB9Rが、コーナリング中に転倒、この転倒に私も巻き込まれ、転倒リタイヤとなってしまいました。

 フルバンク旋回中、目の前に転倒車両が飛び出してきたため、避けようもなく。どうすることもできませんでした。

 マシンは中破、近いうちに横浜のモト・ラボロに運び、修理にかかります。私の体の方ですが、またしても右手親指、左の背中の肋骨部分を強打し呼吸をすると痛いというか痺れます。そのほか打撲箇所として家に帰って風呂場の鏡で確認した限りでは、左ひざ、左ふくらはぎ、それと鼻先の軟骨の感触もおかしいです。ヘルメットの顎の部分を地面に打っているので、メットの内側に鼻の頭を強打したようです。多少出血をしていたみたいで赤い鼻くそが出てきました。

 まあ今のところはこんなもんです。今日、明日、痛みによる地獄がこれからまっている事を思うとちょっといやな感じです。

 今一番心配なのは、来月のモトルネッサンスまでにマシンが走れるようになるか、それまでに体が良くなるのかと言った事だけです。←懲りてない馬鹿・・・

 

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