走る理由
先日、ProtarJapanの岡部社長と話をした時、MOTOGUZZIでレースをしている理由の話となった。
私はその時、「もちろんレースなので、いい成績で速くなりたいのはもちろんだが、その根っこの部分は走りたいから走っているんだ。」というような事を話したらしい。(よく覚えていないや)
するとその後、こんな内容のメールを送ってこられた。
Subject: なぜレースをするのか?
> レンソー・パゾリーニの葬式には
> プロビーニも行った。
> 彼は、黒いセルの眼鏡使用で
> けっして色男派ライダーではなかった。
> 喋りも唐突・・・
> ビデオのなかでは、彼も生きている。
> 「おいらはAgostiniみたくスターではない。
> ・・・
> ・・・
> io corro per correre」
> おいらは走る、走るために。
GP350ccクラスをBENELLIで走っていたレンソー・パゾリーニの言葉である。“Io corro per correre.”直訳すと「おいらは走る、走るために。」
食事制限、厳しい筋トレ、早朝練習、頑張っていたのだが、何か閉塞感を感じていたのは確かだった。ただがむしゃらにやっていた感があった。この初心に帰るような、「走りたいから走っている。」と言うパゾリーニの言葉で、目の前が開け、気がラクになり、もう一歩前に進めるような気がする。
初めて自転車に乗れた時の嬉しさ。オートバイ(原付)に初めて乗った時の自分の世界が広がったような感動。肉体労働を続けてGUZZIを買って、嬉しさのあまり、夜通し首都高をぐるぐる回った時の楽しさ。そして今乗っているレーサーで始めてサーキットを走った時の怖さと楽しさの入り交ざったなんとも言えない快感。
・・・・“Io corro per correre.”「オイラは走りたいから走るんだ」・・・・
初心不可忘 風姿花伝 世阿弥
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