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2005年8月 5日 (金)

雪中の松柏

雪中松柏愈青青、
扶植綱常在此行。
天下久無龔勝潔、
人間何獨伯夷清。
義高便覺生堪捨、
禮重方知死甚輕。
南八男兒終不屈、
皇天上帝眼分明。
 

 高校時代、剣道部で稽古が終わった後、黙想をし、この漢詩(Blogの性格上横書きなのはごめんね)を毎日暗誦させられていました。

読みは

雪中の松柏 愈(いよい)よ青青(せいせい)、
綱常を扶植するは此の行に在り。
天下久しく 龔勝の潔き無く、
人間何ぞ獨り 伯夷のみ清からんや。
義高くして便(すなは)ち覺る 生は捨つるに堪(た)へ、
禮重くして方(まさ)に知る 死の甚だ輕きを。
南八 男兒にして終に屈せず、
皇天の上帝 眼 分明なり。

となります。

 ジムで山本君と昔話となり、この「雪中の松柏」の漢詩の暗誦をまだできる?といった事になり、忘れかけていたのをwebの力を借りてここに調べていたのですが、レースのために苦しい日々を送っている今の私は、この漢文を読んで身につまされる思いがしました。

 それにしても高校の時、何も解ってなかった・・・悔しい・・・過去の自分の馬鹿さ加減に・・・。

 懐かしさと、悔しさと、今の自分の状態を鑑み、急遽Blogに掲載する事としました。

意味

雪の中であっても松柏は葉の色が青々としている、(逆境の中でも意気が盛んである。)
人のふみ行うべき道徳をしっかり打ち立てるのは、この行いに在る。
世の中、ずっと龔勝のような潔さはなかった。
人の世、なぜ伯夷だけが清らかなのか。
義とは高いものであり、生を捨てても良いと自覚している。
禮とは重いもので、死を甚だ軽いものであるとまさに知る。
南斉雲は男の中の男であり、最後まで屈服しなかった。
天帝の眼(まなこ)はそのことをはっきりと見抜いておられる。

*龔勝、伯夷・・・二人とも、二君に事えること恥じて、食を断って餓死した官僚。

*南斉雲・・・兵糧攻めの極めて凄惨なことが起こっていた時であっても、順逆の理、義を最も重んじて最後まで戦った武将。

 この漢詩の作者、謝枋得(南宋末の人)も新王朝の元に仕えるのを拒み、この詩を吟じた後、食を断ち死を選びました(1226年~1289年)。

この漢詩より

『雪中の松柏』の意味は

困難や苦難に出会って後に、はじめてその人の真価がわかる。

また、普段は分からないが、大事に遭遇してはじめて君子の真価が現れることの喩え。

となります。

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