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2005年7月

2005年7月31日 (日)

Oily Boy

 今日の午前中、8月のレースのため愛するMotoGuzziのレーサーの仕様変更を行った。

 仕様変更とは、テクニカルコースの筑波サーキットから高速サーキットの岡山国際サーキットにギア比をあわせる為に、デファレンシャルを組み替えたのです。

 マシンをジャッキアップして、リアタイヤを外し、リアサスペンションユニットも外す。リアスイングアームに四本のスタッドボルトでがっちりと固定されたいるデフケースを、筑波仕様の7/33から岡山仕様の8/33というギアが組み込んであるもう一つのデフケースと交換するのです。一人でガチャガチャと奮闘する事、小一時間。

 MotoGuzziは普通のオートバイとは違い、駆動方法にチェーンではなくドライヴシャフトを使っているため、こんな大掛かりなこととなります。チェーン駆動のオートバイなら、リアタイヤを外して、リアホイルについているスプロケットを交換すれば終わりである。(作業時間およそ30分)

 機械いじりは嫌いではないが、この作業は場所柄、手にグリスがべっとりついて、指の爪先の中がオイルとグリスで真っ黒になり2・3日落ちないのが玉に瑕だ。

 軍手をすればいいじゃんという人がいるが、熱くて車体に触れない時は確かに軍手をするが、冷えていて直接素手で触れる時は、素手のほうが細かなデリケートな作業がしやすいので、どうしても爪の間が汚れてちゃうんですよね。

 ただ、黒ずんだ爪先を見ながら「齢38歳、僕はまだまだOily Boyだ。」とほくそえむ自分がいました。

 なぜほくそえむかって・・・それは私の敬愛する人物、白洲次郎氏もOily Boyだったからです。私なんかとじゃレベルは全然違いますけどね・・・ただ嬉しい事に誕生日は同じなんですよ。

 白洲次郎氏は1902年の2月17日生まれ、私はその65年後に生まれています。

 「ただそれだけのこと・・・」って言われるとその通りなんですけどね。

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2005年7月30日 (土)

Cavalleria rusticana

 火の玉ライダーと呼ばれ、ポテンシャル的には決して優れているとは言えないマシンで出来る限りの速さで駆け抜けていった男・・・タルクィニオ・プロヴィーニ・・・私たちにはイタリアの二輪模型メーカー『Protar』の社長さんと言った方が馴染み深いですよね。私は縁があって、ProtarJapanの岡部和生社長にかまってもらえる間柄となり、模型クラブ『不老隊』の隊長なんてものにも担ぎ上げられていました。

 何しろこの私でさえ1967年生まれで、氏の全盛、日本の鈴鹿サーキットに来た63年の日本GPはまだ影も形も無かったのであ~る。

 そして、今年の1月6日、我らのプロヴィーニが亡くなった。だれも予想してない突然の出来事でした。悲しみに打ちひしがれた岡部さん・・・私は随分心配しました。一時期、あちらからは手紙、こちらからは返信で電話をかけるといった事が、毎日のように続いた時期もありました。そのやり取りの中で、プロヴィーニの人となり、決して裕福ではない田舎出の人でしたが、その胸の内にあった騎士道精神、頓知の利いた行動を取り、周りの人を煙に撒く人柄・・・そんあ岡部さんの思い出話が続きました・・・。

 今、仲間内で来年の1月6日までにプロターの模型をそれぞれ作って、プロヴィーニ御大の一周忌はそれらを持ち寄ろうという話が出ています。

 私の作る模型は心の中で決まっています。プロヴィーニが最後に乗ったBenelli250/4・・・。

 1963年のMotoMoriniで250ccクラスで世界ランキング2位となるが、翌64年はMoriniがGP活動を休止することとなりました。プロヴィーニにはこの時、二つの話が来ていたそうです。ヤマハのライダーとなるかイタリアのBenelliのそれとなるか。プロヴィーニはここで彼にとっては不利益となる選択をします。Benelliのライダーとなることを選んだのです。「胸の内の愛国心がそうさせた。」と後に岡部さんにプロヴィーニ自身が言われたそうです。プロヴィーニは自分の乗るBenelliのマシンをつや消しグレーの爆弾の塗料で塗装します。「爆弾に火の玉が乗るんだ!!」スクリーンとカウリングの段差にはビニールテープを巻いて空気抵抗を少しでも無くそうとする。ゼッケンの横に小さな丸を書く。「Buco del culo(尻の穴)だ。ちんたら走っているとここに突っ込むぞ!」と笑いながら話されたそうです。

 昨日のことです、一周忌のことで仕事の合間、岡部さんに携帯電話を架けていた時、

岡部さん:「この前、テレビでイタリアの教会の事をやっていたんだけど、教会にねシンプルな丸があるんですよ・・・窓だそうなんだけど・・・それをね『神の目』って言うらしいんだ。プロヴィーニはこのことをもちろん知っていてさ、わざと逆説的な意味で『尻の穴』なんて言っていたんじゃないかなって今頃になって気が付いたんだ。」

私:「そうですよね、プロヴィーニさんらしいですよね。」

岡部さん:「いつもこんな具合なんだ。本当のことを最後まで言わないで・・・でもね・・・昨日夢の中にプロヴィーニが出て来てね、笑ってたんですよ・・・。」

 その懐かしむような、嬉しそうでもありちょっと切ない岡部さんの言葉に、不覚にも熱いモノがこみ上げてきました。それを悟られないように早々に話を切り上げ電話を切ってしまいました。

 プロヴィーニ自身、台頭してきた日本車に負けじと人馬一体となり奮起したこの時代。マシンに施された、まるで自らを背水の陣に置くが如くのカラーリング。自分で考えうる良い効果の出ることはすべてやろうと貼ったビニールテープ、ゼッケン横の『尻の穴』マーキング。プロヴィーニの執念、岡部さんの思い、これらを私が理解し、この手の中で表現することができるであろうか・・・。

 今日のBlogの題“Cavalleria rusticana”とはピエトロ・マスカーニ作曲のオペラの題名です。意味は「田舎者の騎士道」となります。映画“レイジング・ブル”のテーマ曲となったのは、このオペラの交響的間奏曲で、あのカラヤンも愛した美しく切ない曲です。

 後にプロヴィーニは、イタリア政府よりカバリエレ勲章を送られ本物のカバリエレ(騎士)となったのです・・・。

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2005年7月29日 (金)

アイザック・ディーネセン

 今、アイザック・ディーネセンの“アフリカの日々”を再読している。

 たしか私の蔵書の中にあったはずなのだが、探しても探してもどこにもない・・・

 でも、また読みたい衝動は抑えられず、Amazonの24時間以内に配達可能の文字に負けて、また買ってしまった。どうせ後から出てきたりするんだこれが。

 実はこの前にもうニ段階あって、アニメ攻殻機動隊の「笑い男」の話を性懲りも無くまたCATVで観てしまい、その影響でサリンジャーの“ライ麦畑でつかまえて”再々読してしまい、その“ライ麦畑でつかまえて”の中でこのディーネセンの“アフリカの日々”が出てくるシーンがあり(文中の題は“アフリカ便り”となっています)、“ライ麦畑~”を読み終わるのと同時に“アフリカの~”を再び読みたい衝動が起きたと言うわけです。

 アイザック・ディーネセンと男名のペンネームですが、実は女性です。まあ本文中はコーヒー農園の女主人と言っているので名ばかりの男名のペンネームではあります。洋の東西を問わず、日本でも紀貫之が土佐日記を「男もすなる~」と女性と成り代わって書き始めましたが、執筆中に 愛しい娘の死などにより当初のコンセプトが吹き飛んでしまい、最後の方では、ちゃんと男、紀貫之として作品と変革してしまっていますよね。言い方は悪いが、どちらも今風に言えば、異性のハンドルネームを使ったネカマのようなことをやっているようなもんですw。

 この小説“アフリカの日々”は、ハリウッド映画“愛と哀しみの果て”(何でこんな邦題になるのか理解に苦しむ)の原作として知る人ぞ知る読み物です。

 映画のほうはメリル・ストリープとロバート・レッドフォードの恋愛作品ですが、原作の小説は非常にドライな視点で(このあたりの事から男の名を使い作品を執筆していた所以ではないかと思われる。)、著者の18年間のアフリカの生活を綴ったものです。

 また訳者の横山貞子さんの翻訳が素晴らしく、その文体は簡素でバランスがよく、たいへん美しいです・・・。

 私的には原作小説の勝ちとしたいところですが、恋愛映画に溺れたい方は映画もどうぞ。(でも映画観るだけじゃなくて、本当に素敵な原作の方もちゃんと知っていた方がいいと思うぞ!)

 ディーネセンの原作の映画化されたものといえばもう一本“バベットの晩餐会”があります。

 これは原作、映画とも素晴らしいので皆様には両方を読んで観ていただきたいです。なので一切内容は書きません。

 学生時代の映画小僧だった自分、この映画を見てアモンチラード(シェリー酒の一種)がどうしても呑みたくなり、酒屋に買いに走りました。

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2005年7月28日 (木)

Return of The Missing Ring

 6月22日の記事『SUPERCALIFRAGILISTICEXPIALIDOCIOUS!』で紹介しましたBenelli250/4が、今店頭に並んでいる八重洲出版のオートバイ本“別冊モーターサイクリスト”のグッド・ウッド・フェスティバル・オブ・スピードの記事中のカラー写真の中に小さく出ているのを発見しました。

 正直、物凄く驚いた・・・本屋で手に汗握りました・・・現車がちゃんと戦争をくぐり抜けて生き残っていた・・・・(涙)

 このマシンは戦争のドサクサ(Benelliのぺサロの工場は連合軍の爆撃を受ける)で行方知れずとなっていたということでしたが、貴重なマシンはアルファがそうしていたように安全な所に疎開してて、誰かが死蔵していたのでしょうか?

 それが今頃、レストアを終えて出てきたと。

 四輪の方ではそういった話は結構ありますよね。ポルシェがチシタリアのGPマシンをアルゼンチンから奪還した話(これは戦後の話ですが)だとか、英国人がソ連崩壊後のラトビアのリガからアウトウニオンのPヴァーゲンをばらばらの状態で木箱に入れ、官僚に賄賂を渡し、なんとか西側に持ち出した話、ドライバーと共に墓に埋葬されていた戦前のメルツェデスGPをバブル期に金に目がくらんだ人々が掘り出した話、・・・この手の話はつきません。

 でも今回、本屋で立ち読みをしていて、ちゃっちゃなBenelliの写真を見つけた時、まるで戦争や動乱で失われたと思われてきた名画が返ってきたようで、美しい物好きの私としては、大変うれしく、機会があれば実車をこの目で見てみたいものです。

 ひょっとして今年のコンコルソ・イタリアーノに出てくるのかな?

 かつてこの会場で見た、アゴスチーニが乗ったMV agusta350-3気筒の本物のコンパクトなかっこよさに打ちひしがれました。

 ちなみに四輪は美しい水色のぺガソ・・・(遠い目)

 瓶星さま、今年ラグナ・セカ行くの?行くのなら偵察よろしく!

 今年のテーマは「シャパラル」でしたっけ?

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2005年7月27日 (水)

Your eyes only

 まだはっきりとは申せないのだが、水面下で一つのレースの計画が産声を上げようとしている 。

 まだ細かい点等、色々決めなくてはならないことも沢山あり、本決まりではないので詳しいことはまだ述べられない。決まり次第このBlogで発表するつもりです。

 しかし、上記の件に対して、レースやるやらないは別として今から取り掛からないと間に合わないことがある。

 それは、チームを組むライダーと来年までに体重を合わせる事である。

 だってレースを正式にやるって決めたのに、「ごめん、ライダーの準備が出来てません。」なんて絶対言いたくない台詞だ。

 ズバリ目標体重68kg!!!

 ただ痩せて、68kgじゃ駄目なんです。「チームを組む」で察している方がいらしゃると思いますが、水面下で進んでいる計画は耐久レースなんです。

 スタミナを上げつつ減量しなければ意味が無いんです。

 ただ68kgといえば、大学入学時の体重だ。リーバイスの501のウエストサイズ30inchを履いていたっけ・・・・(遠い目)。この時分、東京より田舎に帰省した時、空港に出迎えに来ていた母親が私だと判らなかったという、おまけ付だ。

 ちょうど去年の転倒を境に、レースに対する考え方がガラッと変わってしまったので、以前の私と判らない位の方がちょうど良い。あの時より生まれ変ったと思えばいいのだ。

 G.Pライダーの故タルクィニオ・プロビーニ御大はライダーを引退し、ファンの人から「あなたは、プロヴィーニさんでは?」と聞かれた時に、「私はプロヴィーニだった」と答えたという有名なエピソードがありますが、そんな時、私も故プロヴィーニ御大を気取って「松永だった」と答えてみたいと思っている。ただプロヴィーニ御大はレーサーとしての自分で無くなっている事に、シニカルに答えたのに対し、プロヴィーニさんのGPとは違い私はサンデーレースではあるが、以前より増して二輪レースにはまって行く身の上を表現しての「松永だった。」にしてみたい。

 ただこの辛い筋トレ&食事制限が来年までつづくかと思うと、すこし気が滅入ってしまうのも、弱い自分の本音ではありますが・・・。

PS:食事で果物はちゃんと取るようにしているので、今が旬の桃が夕食の一皿としてありました。この桃を食べながら、この時期限定のフレッシュな桃とヴーヴ・クリコを使った大好きだったカクテル『ベリーニ』を思い出し、今は呑めない境遇の自分がなんだか恨めしくなりました・・・・

 来年の今頃はこのプロジェクトの成功を祝って『ベリーニ』で乾杯といきたいものですね。

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2005年7月26日 (火)

信号待ち

 こんな車輌が信号待ちしてました。

jieitai ちょっと見とれちった・・・

 今回はだらだらと書く文章よりも、この写真一枚の方が説得力あるね。

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2005年7月25日 (月)

人間ABS

 昨日のまさに日付が今日が変わろうとしている頃、鈴鹿サーキットから帰路、自宅に急ぎハイ・エースのハンドルを握っていた時のことである。

 兵庫県佐用町の峠道をちょっと言えない速度で走行中、街灯などない山道の暗闇の中に小さな光るものが二つ、「なに?」と思いながらアクセルから足を離していると・・・・

「げっ、でっかい雌鹿(バンビなんてレベルじゃない)だっ・・・」

 小さな光る二つ物とは、鹿の目の瞳孔がヘッドライトに反射していたでした。

 フルブレーキングである、まずブレーキペダルをちょっと踏み込んで車の姿勢を作り、すぐさま「ギューゥゥゥ」てな感じにペダルを踏み込んだ。

 タイヤスキール音が「キャッ」と出たところで、靴の中の足の指をリリースする感じでブレーキを緩め、すぐさま再びペダルを踏み込み。

 その間、鹿の方は映画“ブレードランナー”のレプリカントのごとくヘッドライトの光を瞳孔に反射させた状態で金縛りにあって車道の真ん中で凍り付いている。(頼むよ走って逃げりゃいいじゃん)

 間一髪、鹿の1m50cm程手前で停車、まだ鹿は凍りついているようなので「ペッ!」とハイ・エースの安っぽいホーンを短めに鳴らすと、今まで掛かっていた金縛りから「はっ!」と解かれたようで、一目散に道路脇の林の中へ消えてゆきました・・・。

 レースやっていると、こういった時、役に立つなぁ~。

 鈴鹿の帰りに鹿を助けるって何かの予兆・・・・?

 鹿よ、命を助けたんだから恩返しよろしく!

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2005年7月23日 (土)

元の切り上げ

 昨日の夜より、中国元が対米ドルに対して2%の切り上げとマスコミが騒いでいる。

 ちょうど、この前の筑波のレースの時、パドックの中で「中国への投資は株とかじゃなくて、元の切り上げを見越して、北京か上海にマンションを買っておいて、中国政府が切り上げとかのアクションを起こしたら80年代半ばの日本のように土地バブルが多分起きるので、その時に売り逃げだね。」なんて話がちょうど出ていたところです。

 日本も85年のプラザ合意によって円高に誘導されバブルが起き、その後の大蔵省の総量規制によってバブルが崩壊しそして現在に至ります。

 さてさて中国はどうなりますやら。たった2%の切り上げでアメリカが納得するとは思えませんが・・・。

 日本の二の轍を踏まないようにスローペースで動くのでしょうか。

 それは神のみぞ知るのでしょう・・・。

 在中の工場などはもっとコストが安くつく、アセアン各国に移動を始めるであろう。

 お金と人は高いところから低いところに動くのが世の常ですから。

PS.明日は鈴鹿サーキットに行ってきます。帰りは午前様になると思いますので、Blogをお休みさせていただきます。

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2005年7月22日 (金)

環状7号線若林交差点

 私がお世話になっているバイクショップ『GUZZI SPORT JINGUSHI』がはれて法人化されて、法人化と共に『(有)モト ラボロ』と社名変更もされた。(HPはまだ変わってないね)今まではジンさんこと神宮司忠男の個人経営だったのです。お店も今やMOTO GUZZIの専門店と言うわけでなく、MOTO GUZZIの他にDUCATIのサービス、トライアンフの販売等も手がけておられる手前、時代の流れに沿った法人化と社名変更なのです。お店の名前が変わったからといってお店の内容が変わるわけが無いんですけどね。

 思い返すと、私がジンさんのもとに通い始めてもう15年が経とうとしている。初めてお店に伺った時、環状7号線とチンチン電車の世田谷線が交差する若林の交差点にあった木造の店舗で、縦にオートバイが二台入ると一杯になるお店でした。店の前に駐車してある白いLeMansIIIに赤い風車が付いているような排気口を持つ、 ラフランコーニマフラーを初めて見て「かっこいいなぁ~」と思ったのを今でも憶えています。 ジンさんによく隣の定食屋さんでお昼をご馳走してもらいました。(豚汁が美味しかった。)1990年に大学生の分際(その頃はバブルの絶頂で肉体労働をすれば実際買えた)で新車のV40Targaを購入し、ジンさんとの付き合いが始まり今に続いているのです・・・

 その後、私は田舎へ帰り就職し、Targaは中国道でブローしてしまいましたが、限定解除後の今、街乗りはLeMansIとLeMansIIのオーナーとなり、サーキットではGUZZI SPORT製のLeMansIIコンプリートレーサー(市販車のモデュファイではない)に乗っています。

 このレーサーのタンクエンブレムを『MOTO GUZZI』ではなく『GUZZI SPORT』としているのですが、「これはMOTO GUZZI製じゃなくてGUZZI SPORT製だ!」と言う私なりのこだわりがあるからなのです。なのでお店にとっては前向きな社名変更なのは十分理解はしていますが、なぜか私の心が少し切なくキュンと痛むのです。

 15年のお付き合いの間に、店舗の場所は若林→上馬→横浜の仲町台へと変わりました、私のレースにのめり込む度合いが強くなるにつれ、上京の折にはジンさんのご自宅にまで泊めていただける間柄となり、 私にとっては前日にこのblogに書いた、暗い道を照らしてくれた大切な人達の中の一人として思っている人物でもあります。

 数年前、環7を自動車で走っている時、あの世田谷線の若林交差点を見ると、もうそこにはあの懐かしい建物は無く、コインパーキングとなっていました・・・。それでもそこを通った時、いつも夜遅くまで明かりがついていた『GUZZI SPORT JINGUSHI』のあの時が、その場所を通り過ぎる一瞬の内にフラッシュバックしてきました・・・・・・。

 さて、この8月13、14日に岡山国際サーキットで行われるレース『モトルネッサンス』は、所属チーム名『GUZZI SPORT R.T』でエントリーする最後のレースとなりそうです。

 ジンさん、俺、頑張るからね・・・

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2005年7月21日 (木)

ジムにて

 ジムの肱岡トレーナーにレース結果を報告することとなりました。

 私「肱岡さんごめんなさい、転倒してしまって・・・。あんなに一生懸命してもらったのに期待に添える結果が出せなくて。」

トレーナー:「それより体は大丈夫ですか?」

私:「すいません・・・」(しょぼーん)

トレーナー:「あのね、松永さん!僕たちがやっていることは勝負事ですよね。こんなこといくらだってあります。努力した人が全て良い結果がでることなんてないんです。世の中なんて不平等なんですよ!」

私:「・・・・・・」(わかってらい、そんなこと。)

トレーナー:「でもね!それでもなお成功する人もまた決まって努力してる人なんです。今回の結果は結果!もっと高みをめざし、自分を信じて、更に自らを研鑽するしかないでしょぅ~?」

私:「・・・・・・」そんなことも判ってると思いながらも、激しく感動&同意、38歳のおっさんがちょっと目をウルウルである。

 そうだ、そうだった・・・たぶん10歳位年下のトレーナー氏によって、もう一度思い出された・・・人生は死ぬまで今が延々と続いているのだ、明日・未来なんて無い・・・だから今が大事なんだ・・・そうだった・・・

 私は幸せ者だ、道に迷いヘッドライト無しで暗闇を進んでいる時、いつも誰かしら「こっちだよ」と道を照らしてくれる大切な人達がいる。

 本当にありがたかった・・・

 映画“アラビアのロレンス”の劇中にこんな台詞がある「人間には二種類ある。人生が書かれている者と、自ら書く者だ。」と。

 私も七転八倒し、泥芥に塗れ喘ぎながらでも、後者とならんがため、自らを研鑽していくつもりだ。

 ただ、『本身の一振り』と成らんが為に。

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2005年7月20日 (水)

いたたた・・・

 歳なのか丸一日のタイムラグを置いた今日、痛みがピークに達している。

 左肩、肩甲骨まわり、わき腹、足・・・

 正直、スゲー痛いです。

 打ち身だらけの背中、蒼痣の周りが少し黄色くなっていて鏡を見ると、我ながら少しキモい。

 というわけで短いですが今日はもうおしまいです。

 痛いのでもう寝ます。

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2005年7月19日 (火)

転倒しました

 レースの結果報告です。

 MAX10の予選の1周目で転倒してしまいました。

 ただマシンの損傷は軽微でしたので、持っていたスペアパーツにより緊急修復、事務局に嘆願書を入れ、予選グリッド最後尾よりの決勝でした。

 MAX10の決勝は転倒時損傷したシフトペダルが上手く修理できていなかったらしく、決勝走行中3周目で下がったままスタックしてしまい、ギアチェンジが上手く出来なくなりました。何とか完走しましたが、自分の走りが全く出来ませんでした。

 もう1つエントリーしたMAX7までの1時間のインターバルで再修理です。

 アスファルトの照り返しで38℃を超えるサーキットの気温・・・既に一度の決勝走行で熱中症を起こしかけており、指先が熱痙攣で震えます。ナトリウムイオン不足を認識しスポーツドリンクを飲み日陰の涼しいところで待機するのですが一向に体調は改善されませんでした。

 いやいや革つなぎに体を入れて(着るなんていってられない)、再びレースです。

 結果から言うと1分10秒を切れませんでした・・・不甲斐ないっす・・・いくら状況が悪くたって自分でで決めた事です・・・結果1分10秒4・・コンマ5秒で9秒台に届かずです。

 本当に情けないっす・・・・

 レース当日は、興奮していたのと熱中症の疲労感で自覚症状がありませんでしたが、今日になると去年のレースの後遺症がある左肩をまたやってしまったようで、左肩が痛くて上がりません、右手親指も腫れています、左腿のハムストリングにも蒼痣、右ひざ関節の内側にも大きな蒼痣で曲げると疼痛がします。

 思いっきり自己嫌悪です。

 8月の13、14日が次のレース、岡山国際サーキットでのモトルネッサンスです。

 悔いの残らぬようにまたトレーニングと走行練習に励みます。

 明日からまたトレーニングジム通いです・・・肱岡トレーナー不甲斐ない結果で申し訳ありません・・・松永って本当に馬鹿ですね。

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2005年7月17日 (日)

この連休中にPistaに立つ同志達に

 皆様がこの記事をお読みの今この時、私は筑波サーキットのパドックの中にいるでしょう。

 MAX10(自己ベスト1分10秒までのライダーで行われるレース)というレースに出走しているのです。

 去年の5月のこのレースにおいて、筑波サーキットの第一ヘアピンにオーバースピードで進入し、ハイサイドによる転倒、その結果左肩の靭帯を切り、右手親指を骨折し、体のそこらじゅうが打身による内出血でダルメシアンのようになってしまいました。頭から着地したようでヘルメットはガリガリに削れ、同時に脳震盪を起こしていたようです、今でもその時の記憶がありません。

 その後、自分のレースに対する甘さを骨身に沁みて(リアルに)感じ、レースを控えるのではなく、今まで以上に真摯に付き合っていくことを選択しました。

 怪我がある程度回復するのを待ち、2004年7月24日より肩のリハビリを兼ねて、今通っているトレーニングジム「ワールド・ウイング」に毎日通う事となりました。30分でも時間があれば、ジムの開いている日は毎日です。どんな理由でも理由を付けて休むのは簡単だけど、自ら決めた事から逃げないように意を決したのです。エヴァンゲリオンの碇シンジではないですが「逃げちゃだめだっ!」です。あぁ、こうやって客観的に自分を見ると、ほとほと難儀で不器用な性格ですね。(笑)

 でもヨーダも言っていますよね「やるか、やらぬかじゃ。試しなど有りはしない。」と。

 プロのアスリートにコーチをする肱岡トレーナーが本当に親身になって私の面倒を看てくれ、プロコースでもない中年デブの私の戯言に対して、トレーニングメニューを一生懸命考えてくれました。

 そのトレーニングを始めてからほぼ1年が経とうとしている今現在、確かに以前に比べ体重は激減したし、関節の柔軟性は大幅に良くなりました、基礎体力も以前に比べ上がってきたようです。しかし自分的にはまだまだ道の途中・・・、目標の体重ではないし、股関節の開度なんかも、もう少し柔らかくしたいし、2マイル(3.2km)を12分以内で走る体力もまだ無い。(只今所要時間20分程度、時間の根拠は、米陸軍グレーンベレーの入隊試験の2マイル走がそうなっているから。←変な理由)そして何より、去年から決めた自分へのノルマ、筑波サーキット自己ベスト1分10秒以内、岡山国際サーキット1分50秒以内がまだ達成できていない。

 肱岡さん、私はあなたの努力に報いることの出来る人間でしょうか?私の目標の1分10秒切れるでしょうか・・・・・・・そうでした「やるか、やらぬかでした。」やるしかないのですね。

 これと同じ日、筑波から少しはなれたツインリンク茂木でも、私のレース仲間が耐久レースを舞台としてお互い鎬を削っている。

 リバーフィールドの横部代表セカンドグリッドの溝口さんdeLIGHTの片岡社長、いつもはGUZZIで私のライバル竹中さん(今回はDUCATI)、そしてGUZZIで筑波のコースレコードを作った鶴岡さん(今回はBMW)。

 私を含めてみんな、普段は別の仕事で生業を立てているサンデーレーサーです。

 サンデーレーサーは弁当と怪我は自分持ちです。リスク丸抱えでそれに見合ったリテールなど期待できません。ただモーターサイクルで競争することが三度の飯より好きなだけです。

 今日この同じ日にPISTA(競技場)に立っているみんな、自分の持てる力を出し切って走ろう、出来うることならだれも怪我をせず、それぞれの目標を達成されんことを、そしてまたどこかのパドックであった時、「あの時はこうだった」とお互いの走りを報告し合える事を切に願います、笑顔と共に。

 それではみんな

“May the force be with you.”

PS:明日はBlogをお休みとさせていただきます。

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2005年7月16日 (土)

明日天気にしておくれ

 なんか天気予報見ていると怪しいんですけど・・・

 明日の天気お願いします。

 レースに出るので・・・真剣にタイム狙って行きたいのです・・・。

 MAX10のみに飽き足らず、追加で一つ上のクラス『MAX7チャレンジ』まで追加エントリーしたんです。

 一年間のトレーニングの結果を見える形で出したいのです・・・

 お願いです、明日天気にしておくれ!!!

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2005年7月15日 (金)

粗食の中の美食

 毎日が空腹感に一杯で精神的に病んでいる。

 もう少しの辛抱である、この週末が済めば炊きたてご飯をとるつもりだ。

 前にも書いたが、「ご飯半膳(一膳ではないのがつつましい(涙))のしょう油バターのせ」を食べたい。

 一年ぶりに会った顧客の方が「松永さん、病気でもしてた?えらいやつれよう・・・人が違って見えますよ」とも。

 私「今までが病気だったんスヨ!」と答えたが、本音はただ「減量はよ終わらんかな」である。

 量は食べているのだが、内容が何の味付けもしていない茹でた野菜と茸、やはりお湯で茹でただけの笹身、それと納豆1パック、納豆の旨みがとてもうれしいのである。

 野菜鍋が主食で、おかずが納豆、そしてトレーニング・・・・ラップタイムのためである。

 トレーナーの期待も掛かっている。

 自分一人のことではないので耐えねばなるまい。

 あー、でも月曜の夕ご飯には「しょう油バターご飯」を半膳でいいのでお願いします。

 これだけ苦労しても停滞期の今、体重は行ったり来たりを繰り返すばかりでなかなか思ったとおりに下がってくれない。

 筋肉量と基礎代謝量が低いのか、また8月のレースまでにトレーナーと要相談である。

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2005年7月14日 (木)

自由主義社会?

 昨日、値段が安くなったN.Y.Nasdaq市場のマイクロチップメーカーの株式をナンピン買いしようとしたところ、外国株式の売買なので、買い注文を入れる前になんちゃら言う書類出せと言うことになり、結局その日の注文に間に合わなかった・・・。(正確には非勧誘外国株式の投資確認書という)

 私「あのね・・・株って時間との勝負なのに・・・明日以降私の希望の値段より上がって買えなかったらどうするの・・・それにちょっと前までこんなのなかったでしょ・・・」

 証券会社の担当者は「なにぶん金融庁の指導でして・・・」の一点張り。

 非勧誘外国株式の投資確認書とは、一般に情報があまり出ていない外国株式の売買には、株価変動リスク、発行者の信用リスク、為替リスクが有ります、といった当たり前のことについて「自己責任なのを判っています」といった内容の、言わば『念書』のようなものだ。

 絶句・・・である、株の売買をやる以上、それが国内だろうが国外だろうが上記のようなことが自己責任なのは言わずもがな、わざわざ書面でそれを確認だなんて、しかもそのおかげ(会社勤務中なのでハイそうですかとそんな書類を会社を抜け出して用意出来るわけない!)で注文が時間内に確定できないなんて・・・それが本当に金融庁の指導であるならば日本って社会主義の国?

 案外こんな細かな規制とまでは言わない指導と呼ばれているものが、日本経済復調の脚を引っ張っているのかもしれないと実感した今日一日でした。

 NETですりゃいいジャンという声も聞こえますが、私はそれほどMSのセキュリティーを信じてないので、オールドタイプと呼ばれようが、未だに証券会社に電話をして注文をしている。

 でももうそろそろ、その考えを改める時が来ているのか・・・

 今この時間コンピュータに張り付いてNY市場をモニターしている。今日の注文の値段を決めるために。

 只今00:06。

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2005年7月13日 (水)

歯車が回りだした

 かねてより親交のあった九州の柴田さんを、私が出走しているレース“モト・ルネッサンス”の開催会社リーバーフィールド横部社長に紹介した。

 一昨日、横部社長率いるリバーフィールド軍団と、戦後の日本で始めて二輪クラブマンレース行われていた方々(柴田さんもメンバー)のOB会“雁の巣会”と面談が実現したようです。

 その詳細は横部社長のBlogに詳しく書いてあります。

 私の好きな諺に「旧い革袋に新しいワインを」というのが有ります、この新旧二つのアマチュア二輪レースの団体にもこの諺のような良い化学変化がおきて、かつてヨシムラを含めがむしゃらに走られていた方々、そして今もなお、自己責任においてサーキットを走っている我々、その二つの出会いが成熟された二輪モーターリゼーションの前兆となりえればと切に願い、紹介者として間にに入った次第です。

 でも先ずは皆さん自分自身が楽しみましょうよ!

 これだから週末が待ち遠しいんです。

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2005年7月12日 (火)

画龍点晴

 レーシングマシンのゼッケン貼りは私にとって1つの儀式。

 塗装面と同じ感じの艶のあるフィルムを使い、ゼッケンナンバーをプロッターより出力する。よもや貼った数字のフィルムに皺なんかがよっていたら我慢がならないのです・・・。

 なぜってレースに出るってことは、そのレーシングマシンにとって、ぶっ壊れて再起不能になることがありえる場所に連れ出す事だから。そんな場所に行くの時、オーナーとして愛しい我が機に思いっきりのおめかしを施してやるのは当然の行為と思いませんか。それを「フェチ」だとか「萌え」とか呼ばれるのならば呼べばいい、汚名は甘んじて受ける所存です。

 乗り手の愛するマシンは、走行中、ライダーの手足の延長器官となり、またライダーはマシンの制御ユニットという部品の1つとなる。マシントラブルでライダーは痛い思いをする事があれば、ライディングミスでマシンがクラッシュする事だってある。そう、走行中は運命共同体としてそこを走っているのです。

 そんなマシンの最後のおめかしであるゼッケンが皺まみれじゃ、画龍点晴を欠くってもんですよね。

 私は時間を掛け、愛情を込めて、おめかし=綺麗綺麗にゼッケン番号を貼ってやるのです。

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2005年7月11日 (月)

自転車

 10年以上前の競技自転車のタイヤ交換をした。

viner  チューブラータイヤだったので接着剤で手がベトベト・・・

 何でこんなことをしたかと言えば、秋に岡山で行われる、自転車オールナイト耐久レースに出たいからだ。今日練習で乗ってみたらホイルからタイヤが外れそうになったのです、ブレーキングの時に・・・・コワー

 共に戦う兵隊を一本釣りしているのだが、だれも僕チンの誘いにウンといってくれないの・・・・

 フーンだ。一人で朝練だ!!

 こうなったら奥の手、トレーニングジムで兵隊探そうかな?

 でも、自転車のマジな人を釣ってしまったら私もマジで走らなあかん・・・そんなのできるか・・・

 みなさーん、オチャラケチーム出走!!!!チーム員募集中!!!

 東京のNOG兄さーん、どうすか1/1は?

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2005年7月10日 (日)

Beauty or The Beast

 昨日、鈴鹿市のdeLIGHTさんの所で、二輪友達の岡部さんの納車があり、そこに同行することとなったのですが、その納車されるマシンとは・・・ 聞いて驚け!MV agustaF4 1000 Tamburiniなのだっ!(パフパフドンドンドンッ!!!)

20050709141714 この冬、どーしてもタンブリーニが欲しい岡部さんを、deLIGHTさんにご紹介をさせていただいたのですが、Kataoka社長の頑張りで、昨日晴れて、無事に輸入台数日本国内30台のオートバイのオーナーとなられた訳です。(パチパチパチ)

 本物は凄くChicだ!大人のバイクだ!かぁ~うらやましい!

 エンジンを掛けると、「バッ・バッ・バッ・・・・」といかにも圧縮の高そうな、それでいて非常に歯切れの良い排気ノート♪お腹に響くバリトンの響き・・・慣らし前なので回転が上げられないが、ピークパワーにっ達する11,500rpmでは、さながら“魔笛”の夜の女王のごとくすばらしいソプラノで歌うのだろうな~ぁ。

 エレガントさと獣性が混然一体となったイタリアンデザイン。設計者の執念がドライカーボンのカウリングの内側にムッチリと詰まった感じ。コンパクトなのにマッチョな感じと言うか、凝縮感があるというか、なんともいえない動的な美しさがあります。走るぞーって。

 いつまで見ていても飽きません、私は貼り付いてしまってスクレーパー持ってこないと、ここから動けません。 はうー(深い溜息)

 やっぱりモーターサイクルはイタリアンに限りますね。

 岡部さん、本当におめでとう。

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2005年7月 9日 (土)

トレーニングメニュー

 このBlogの読者より「ジムに通っておられるようですが、どのようなトレーニングをされていらっしゃるのですか?差し障りが無ければ具体的に教えていただきたいのですが。」と問い合わせを受けました。

 別に差し障りなんてありませんのでお教えいたします。

・ディップス20kg20回とシーティッド・チェスト15kg20回を交互に組み合わせ(これをスーパーセットといいます。)を7set(後背筋と大胸筋)

以下のメニューは上記と同じくすべてスーパーセット7setです。

・ラットマシン20kg20回とプルオーバー35kg20回(肩、背中上部周り)

・アイアンクロス35kg20回と横腹ストレッチ左右それぞれ20回(肩甲骨周り、体側)

・アウター50kg20回とサイドヴェント(ワイドスタンス)20回(ヒップから太ももにかけての外側、体側から太ももにかけて)

・エコノミー・レッグプレス60kg20回とインナーサイ45kg20回(ハムストリングス、股関節)

・リバース・インナーサイ35kg20回とNewディップス15kg20回(膝周り、上半身)

・前傾スクワット20回とインナーサイ捻り左右それぞれ45kg20回(下半身、股関節)

・平行ワイドレッグプレス20kg20回とハックスクワット20回とNewラットマシン15kg20回(股関節、下半身、上半身)

と、これで今やっているトレーニングメニューは全てです。

 下から数えて2つのメニューをやるために、準備運動としての体ほぐしのために、それまでやっている上記6種類のスーパーセットがあるようなものです。

 時間で言えば1時間半から2時間でしょうか。set数は試合前なので調整で7setとなっていますが、Offのトレーニング期はそれぞれ12set、シーズン中の試合2週間前まではそれぞれ10setになります。

 減量のための食事制限と共に行うと、ハンガーノックを起こすのがわかっていただけましたでしょうか?

 目指せミケランジェロのダビデ像!!

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2005年7月 8日 (金)

懐かしい顔

 トレーニングジムにて懐かしい顔に出会いました。

 高校時代の剣道部のエースだった山本君です。

 お互いどうしていたか報告し合い、私がオートバイのロードレースに熱を上げていることを知ると、「信じられない・・・・」といった、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてました。(笑)

 彼はまだ剣道を続けているとのこと。

 夏のOB会に来るように強く勧められましたが、日時を聞いてみると岡山国際サーキットでわたしゃレースですがな・・・。

 剣道で腰を故障したようで、そのリハビリと柔軟性をアップのためにジム通いを始めたらしい。

 ちょっと笑って破顔すると皺が多くなっていますが、それでもやんちゃだった高校時代の山本君そのままで、話していて何かほっとしました。相変わらず右腕よりも左腕が太い、剣道を続けていた証拠だ。私といえばこの20年間で利き腕の右の方が太くなっていますが、はっ・・・バイクのハンドルさばきも左手を使うので駄目ジャン自分・・・またコーラの瓶に砂と水を入れて左手一本で素振りですね。(山本君肉体改造のヒント、ありがとう)

 私のは方はオジサンになっていてガックシきていなければ良いですが・・・?

 彼は剣の道に、私は機械式の乗馬の道に・・・高校の同じ部活をしていた同級生が、未だ牙を研ぎ続けていることを知り、なおさら私の体も熱っぽくなり、彼に負けじと動作の1ストロークごとに細心の注意を払いながらトレーニングに打ち込む今日一日でした。

 今年こそ筑波のコースで1分10秒、岡山で1分50秒、今年のうちにこのタイムを切りたいなぁ~って、おおっと間違えた、「切りますっ!!」ですね。

 あぁ~ハンガーノックでこのBlog書きながら眩暈がします。(今日はトレーニング直後に帰宅、直ぐに執筆中です)

 只今体重79キロになったと思えば朝起きて80キロ、80キロになったと思えば朝起きて79キロ・・・・アンダンテ・・・・停滞期です。

 できるのかぁ?8月のレースまでに目指せ体重75キロ、体脂肪率20%未満なんて!!!

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2005年7月 7日 (木)

The God Father

 私の伯父の処に仕事で伺う用事がありました。

 朝一でご自宅を訪問し、仕事の方はサクサクっと終わり、抹茶をご馳走になっている時、「僕もだいぶ歳を取ってしまい、今まで大切にしていたコレクションを、生きてまだ頭がシャンとしているうちに、物の良し悪しの判る人間に形見分けしたい。」という申し出があったのです。

 私が『物の良し悪しが判る人間』かとどうかは本人には良くわかりませんが、そう言われた事はちょっと評価されたようで嬉しく思いました。

 この伯父はかつて百貨店の外商部長をやっていたこともあり、彼こそ『本当に物の良し悪しが判る人間』であり、その伯父が心を砕いて集めていたのが、焼き物、特に小品のぐい呑みのコレクションです。

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 コレクションの中より二つ選びなさいとのこと、一つ目にまず選んだのは、谷口良三作の『柿天目』のぐい呑みです。見た目は熟した柿の実の緋色をしていますが、日光にかざすと赤紫色の色が出、まるで熱帯の甲虫の羽の色のようにギラリと輝きます。飲み口の部分が波型に強弱が付けてあり、優雅な立ち姿をしています。前に見せてもらった時に「良いですね。」と言ったのを憶えてくれていたようで、桐の箱の蓋のところに「法くん」と書かれた付箋を貼っておいてくれていました。伯父も先ずこれを、と思ってくれていたのでしょう。

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 二つ目は、まるで雪をかぶったような半透明の青みががった白い釉薬がぽってりと掛かった美しい志野焼きと、耀変の掛かった天目との間をさんざ悩んだ挙句、鈴木健司作『油滴天目』を選びました。釉薬の正面に浮かぶ油を垂らしたような耀変の輝きが見えますでしょうか?

 かつて伯父の家に遊びに行った時には、先代の六代・清水六兵衛先生と懇意だった話、そして、なぜぐい呑みが好きか話をしてくれました。「小さいものを作る方が技術的に難しいのだよ。生地の薄さ、釉薬のかけ具合、高台の削り具合、全てがぎりぎりの緊張された処に小品の美しさがある。」と、好きなぐい呑みを手に、愛しむようにそれを見ながら、そう私に教えてくれたものです。「無理をして出来る範囲なら良い物を選べ、だが皆が言う『良い物』、値段が高いから『良い物』というのに騙されないで。なぜそれが良いかという事、その「なぜ?」の気持ちが無いと駄目だよ。一生勉強です、自分の中にちゃんとした基準を作りなさい。」

 伯父といっても母の姉の旦那なので、血が繋がっているわけでは無いのですが、この伯父とはなぜか馬が合い、よく話をし、いろんなことを教えてもらえたのです。

 幼少の折より、普通の人には考えられないような苦労をし、兵隊として戦争を経験し、戦後は百貨店の外商部長として鎬を削り、退職後はボランティアとして点字翻訳の活動。人に対して物事をズバッと言ってしまう処がありましたが裏表の無い性格の現われであって悪意は無く、私にとっては映画“ゴッド・ファーザー”の「Don Vito Corleone」のような存在の人物です。

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 かつて模型の展示会で掌に乗るほどの大きさの、イタレリ1/72シャーマン戦車を作ったことがありましたが、それはこの伯父の「小さな物の中にこそ、本当の緊張した美しさがある。」の一言が製作動機といっても過言ではありません。

 いとおしみながら集めたコレクションを渡す時、伯父はどういった思いでそれを私に託したのでしょうか?本当に私でよいのですか?まだ人間として私のレベルが物に負けていませんか?

 そんなこんなを考えると、貰った側としては身の引き締まる思いです。

 だって人間はいつか死んで塵芥となる定めですが、大切に扱えばこういった物はずっと残る物ですよね。「もののあはれ」とか言って、簡単に壊してしまうようなことがあってはオーナー失格です。

 こういう物のオーナーたるは、手に入れた物をどうにでも好きにしていいって訳では無く、ただ次のオーナーに手渡すまで一緒にいる時間を許された存在ってだけの事です。だから次のオーナーのために心を砕いて現状を必死で維持する。それがオーナーとなりうるべき義務と責任だと私は思うのですが、皆様はそう思いませんか?

 少なくともこの伯父にそう習いました。ただし、仕舞い込んでおくだけではなく、ちゃんと盃として使用するのが前提の話しですよ。

 ありがとう・・・伯父さん。本当に大切にします。

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2005年7月 6日 (水)

火星人来襲

 「宇宙戦争」が公開中ですが、オリジナル版の「宇宙戦争」とエンディングが違うらしい・・・・。

 そもそも「宇宙戦争」は1938年、オーソン・ウェルズ(市民ケーンとかのね)のびっくりラジオドラマ企画がメディアとしての初登場です。

 ウッディ・アレンの映画「ラジオデイズ」の劇中で、アレンのおばさんがデート中、車のラジオから聞こえてきた「宇宙戦争」を相手の男性が本当だと思い込み、おばさん一人をおいて逃げてしまうといったエピソードがありましたが、そのくらい大事件だったようです。

 ここで予習のために見ておきたい映画を列挙しておこうと思います。

オリジナル版「宇宙戦争」(ジョージ・パル)

「マーズアタック!!!」(ティム・バートン)

「世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す」(ハリー・ハウゼン)

「アイアン・ジャイアント」(米国アニメ映画)

 松永的には「マーズアタック!!!」と「アイアン・ジャイアント」は必須です。

 ちなみに「マーズアタック!!!」の空飛ぶ円盤は、「世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す」のそのものです。こんなとこにも監督ティム・バートンのオタクさがわかります。

 「アイアン・ジャイアント」はH.Gウエルズが書いた原作版の「宇宙戦争」の火星人の歩行兵器をモティーフにしています。3本足じゃないけどね。

 でもなぜ地球人はこんなに火星人が好きなのでしょうか・・・?

 デ・パルマに聞いてみたいもんです。(笑)あっデ・パルマにとっては笑い事じゃないか。

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2005年7月 5日 (火)

ターニングポイント

 この四月に燃料電池車とハイブリッドカーのみで争われるモンテカルロラリー「Rallye Monte-Carlo Fuel Cell & Hybrids」が開催されたようです。

 結果は元F1ドライバーのハインツ-ハラルド・フィレンツェンを擁するオペルチームが優勝しました。

 内燃機関の自動車が走り始めた時代に始まったモンテカルロラリー、その団体が燃料電池車とハイブリッドカーのみで競技を行ったということは、もうそこまで内燃機関を使った自動車のターニングポイントに至っていると思いませんか?

 われわれが今、蒸気機関車に感じるノスタルジーを、ガソリンで走る自動車に感じる日が来るのは案外近い未来なのかも知れませんね・・・・私にとっては寂しいことですが・・・

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2005年7月 4日 (月)

銀河で一番速いポンコツ

 皆様は模型メーカーのFineMolds社をご存知だろうか?

 小規模メーカーで有りながら、小規模であることの利点「フットワークの軽い事」を上手に使い、スケールモデルに加え、スタジオジブリの“紅の豚”シリーズやルーカス・フィルムから“スターウォーズ”の模型化権を勝ち取った会社である。

 模型のクオリティーに関してはルーカス自身が「劇中の本物よりカッコイイと」(ある程度のお世辞は有るであろうが)シャッポを脱いだくらいなのです。

 そこの新製品が“ミレニアム・ファルコン”だっ!!!(滝涙)

 待っていた、俺は待っていたぞーっ!!!(ナイアガラ滝涙)

 今の三部作よりも、旧三部作の熱狂的なFANとしてこの製品化に対してFineMolds社に感謝状を進呈したい!!

 信じてますからね、多少時間が掛かってもよいので、同社から販売されているT.I.Eファイター、X-Wingファイターと同じくらいのレベルのFineなMoldsのやつをお願いします。

 昨今のSWとかガンプラの隆盛、サブカルーチャーの傾向を見ていると、時代が80年~90年代に戻ったような予感がします。

 そうすると同じように経済もバブルの時の状態となるのか?

 はっ・・・これってヲタによる景気動向予測。

 予感といえば公開が近づくにつれSWのエピソードIIIについて、ますます「I have a bad feeling about this.」な感じが強まるのですが・・・

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2005年7月 3日 (日)

ヨーロッパ退屈日記

 故伊丹十三氏の著書“ヨーロッパ退屈日記”を読んでいる。

 著者によるあとがきの日付が一九六五年三月一日と記してある!!!私が生まれるよりも2年前、40年前に書かれているのです!!!

 今、読んでも「ホー」と納得させられる。いいですか、40年前ですよ!!皆さん。

 40年前にル・マンのレースを、グルメ、ファッションにについても語られています。

 もう一度言います40年前ですよ!!

 ただ、ちょっと気になるのは表紙に「この本を読んでニヤッと笑ったら,あなたは本格派で,しかもちょっと変なヒトです」と有ります。

 あーやはり変なヒトか・・・自分・・・自覚してるけどさ・・・

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2005年7月 2日 (土)

こんにちはぁ~こんにちはぁ~♪

 会社の回りの人間が「愛地球博」行ったとか行かないとか騒いでいる。

 私個人としてはロボットとかに人一倍興味があるし、カナダの燃料電池スタックの基礎特許を持っている会社の株主だったりするくせに、エコだとかとか表だって言われると拒絶反応が出てしまうのは、人間としての本質が天邪鬼だからでしょうか。

 行かれた方にシツモ~ン?

 よかった?

 感想をコメント欄に書いてちょ。

 たまたま、CATVのAnimaxでDr.スランプやっていて、何の気なしに見ていた時、「ひょとして、名古屋での万博の正式な読み方は『アイ・チタマ・ハク』だったりして・・・」(登場人物の一人、名古屋弁が標準語のニコちゃん星のニコちゃん大王は、『地球』のことを『チタマ』と言っているんです。)と妄想して、一人でうけていました。

 だってこんな絵が思い浮かんだんだもん。

大王「アイ・チタマ・ハクに行くだがや!」

しもべ「大王様、それを言うならアイ・チキュウ・ハクです。」

大王「おみゃー、チタマはチタマだがや。」ってね。

 あー38歳にも成って、本当に馬鹿ですね私って・・・。

 馬鹿な冗談はさておき、『愛地球博』のロボットよりこちらの方が個人的には好みなんですが・・・

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2005年7月 1日 (金)

Science Fiction-Double Feature♪

 ついにピーター・ジャクソンの“King Kong”の予告編が公開となった。

 ピーター・ジャクソンといえば、体格の良い指輪物語の三部作の監督でしたが、King Kongのホームページを見ると、激痩せしてますがな。

 Kong役は指輪でゴラムを演じた、ジャクソン組のモーション・キャプチャー俳優、アンディー・サーキス!!

 貴乃花なみに激痩せして身を削り製作しているKing Kong・・・あぁ名作の予感・・・

 しかも“SW・シスの復讐”の時とは違い、そそるよな、この予告編・・・昔のモノクロ時代のオリジナル版King  Kongの匂いがします。

 それにKongが程よい大きさ・・・リアリティのある怖さを狙っているのか、ピーター・ジャクソン・・・さすが映画界のThe King of Otakuである。(ちなみに来日の折にはアキバのこの店で商品を大人買いしたらしい。)

 オリジナル版に対する監督の愛、リスペクトを感じます、かつて指輪物語を映画化した際、原作に敬意を払ったように。

 好きだよねぇ~、空想怪奇映画を愛して止まないんだよなこの人(遠い目)・・・

 この予告編を見ていたら頭の中でリチャード・オブライエンの歌“Science Fiction-Double Feature”の歌声が聞こえてきました。

 ピーター・ジャクソンさま、歌詞にあるように「I'm gonna give you Some terrible thrills!」とか思っていらしゃるんでしょうね・・・。

 今、松永的にキテル映像クリエーターはサウスパークのトレイとマット、そしてピーター・ジャクソンだ!(根っからの映画HIHO購読者だなこりゃ)

 それでは私はこれより淀川長治のナレーションを聞きながら、1933年製作のオリジナル版King KongのDVDを見る事とします。

 それでは みなさま またお会いしましょうね さよなら さよなら さよなら

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