SUPERCALIFRAGILISTICEXPIALIDOCIOUS!
始まりは、幕末から明治にかけてです。今でこそ日本美術の一つとなった『浮世絵』は、この頃の扱いと言えば大量印刷物のチラシ、プロマイドであり、使い捨ての紙屑の類でありました。
当時の外貨を稼ぐ重要な輸出品であった陶磁器の梱包用の充填剤(私たちも宅急便で物を送る時、新聞紙をくしゃくしゃと丸めて詰め物に使うじゃない、あれと同じ)として使われおり、そのおかげで海外へ旅立つことが出来ました。世の中には捨てる神あれば拾う神あり、日本でそんな扱いを受けていた浮世絵は、かの地の外国人によってArtと評価され、ただの紙屑が後に立派な絵画として取り扱われるようになりましたとさ。
時は過ぎ・・・昭和十五年(西暦1940年)、海の向こうの伊太利亜にBenelli250-4という競技用モーターサイクルが生まれます。
エンジンは驚く無かれ、4サイクル、排気量250cc、水冷DOHC加給機付き四気筒(四気筒を誇らしげにアピールするがごとく燃料タンクのBenelliのライオンエンブレムも四匹だ!)、4 in to 2のエグゾースト、最高出力は52.5馬力!でした。不幸にもその年、伊太利亜は第二次世界大戦に巻き込まれ、この走る宝石は時代の闇の中へと消えて行きました。
この『4サイクル・250cc・水冷・DOHC・4気筒』エンジンを心臓に持つモーターサイクルは、80年代半ばから90年代初頭にかけて日本で大輪の華を咲かせます。しかも、前述のBenelli250-4のような競技車ではなく、誰もが買える量産車として国産4メーカー全てから販売されていました。
日本車は加給機無しの自然吸気ですが、4バルブヘッドとなっており、19,000rpmからレッドゾーンといった工芸品のようなエンジン。改めて考えても、この様なエンジンが量産市販されていたなんて信じられないことです。
欧州車の模倣から始まった我が国の二輪モータリゼーションでしたが、『4サイクル・250cc・水冷・DOHC・4気筒・4バルブ』こんな二輪車を量産していた国なんてどこを探しても在りません。この件について日本人として誇らしく思います。
小さな小さなエンジンに、『水冷・DOHC・4気筒・4バルブ』と言うメカニズムを詰め込んであるそれは、機械式複雑時計の『ミニッツリピーター・トゥールビオン・ムーンフェイズ・永久カレンダー』にひけをとるのでしょうか?ただそれが高価な時計とは違い、価格が手ごろで身近に多数存在していた耐久消費財であったというただそれだけの理由で本当に素晴しく価値のある物に気付かないでいたのではないですか?かつての浮世絵のように・・・
『水冷・4サイクル・250cc・DOHC・4気筒・4バルブ』
バイク好きが、この呪文のような一連の長い言葉を一息で言えると、何か素敵なことが起きるような気がしませんか?
私は何か素敵なことが起きるような気がします。
当時のCBR250RRのプレスリリースをリンクしておきました。読んでみてください。
(注:CBRを紹介したのは深い意味はありません。この時代のオフィシャルな資料をweb上に管理してあったのがホンダ社だけだったからです。Benelliの詳細、画像データをお送りして頂いたProtarJapan代表の岡部和生様に、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。)
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コメント
ルイジ・タベリ氏が持っているRC162は、オリジナルのEngパーツに耐久性が無いのでCBR250のエンジン載せて、イベントレースに出てるそうですよ。
投稿: kuwa | 2005年6月24日 (金) 00時11分
kuwaさま
またまた~どうかしちゃったの?
それってイギリスで作られたクラシックlookのお遊びバイクでしょ~。
投稿: 松永 | 2005年6月25日 (土) 23時37分